遣らずの雨4

  そこに立っていたのは20代の半ばだろう、黒髪の青年だった。不意に開いた双瞳の金がめら立つ炎に似て目に痛い。クロウは誰だ、と低くいった。ほっそりした肢体に雨が跳ねて水の皮膜を作っているように、その空間から浮き立っている。体重がないような軽い動きで青年はゆっくり近くの常緑樹へもたれ、腕を組んでクロウを見た。
「君が新しい主人ってわけか。ふぅん……まぁせいぜい長生きすることだね」
誰だ、とクロウはもう一度言ったが青年は答える気はなさそうだった。肩をすくめてにやにやと薄く笑っている。それからちらりとクロウの埋めた騎士の辺りを見てそいつは、と言った。
「少なくとも心中するほどには勇気があった、というべきかな。ふふふ、単に頭が悪かっただけかも知れないね」
 何を言っている、とクロウは遮った。青年はやはり答えなかった。額に張り付く髪をゆらりとよせてくつくつと喉を鳴らして笑った。
「君が全くの外れだってことはわかってるんだよ。必然的にね。だから後は」
ちらりと投げた視線は騎士へ一瞬あたり、それからすっと上にあがってクロウに当たった。クロウは眉をしかめた。何かが酷く苛立っていて怒りの衝動のようなものが吹きあげてくる。
「君が蛮勇を誇って野垂れ死ぬ愚か者か、恐くなって逃げる卑怯者か、どちらになるのか見物を決め込むこととさせてもらうさ。毎回本当に面白いからね」
 腹の中で溜めていたものがふっと切れた。クロウは拾った剣に手をかけて青年目掛けてうち下ろした。距離も速さもその不意打さも万全だったはずだった。
 だが青年には当たらなかった。涙に滲むように姿が一瞬薄れ、クロウから10歩ほど離れた位置にまた姿を現した。クロウは魔導士か、と目を見張った。魔導自体、一般化はしていない。魔導という才能の要る科学を人が使うようになったのはたかだか150年ほど前、しかもその大系を握っているシタルキア皇国が徹底した秘密主義に事を運んでいるせいで、シタルキア以外の諸国では国に一人いるかいないかだ。
 こんな場所にたった一人でいるはずがない。
「残念だね、僕は魔導士ではない」
そんなクロウの思惑を見透かしたように青年が言った。クロウは顔を歪めた。青年はクロウの手にした剣に視線を投げ、やれやれという調子で肩をすくめた。
「それを手にした奴は例外なく僕を斬りたがる」
そんな言葉を吐いて青年はまた笑っている。クロウはお前、と強い声を出した。
「お前は、一体」
「外れには関係ないさ」
青年はぴしゃりと言葉を遮り、片手を上げた。別れの挨拶なのだとクロウは気付いた。待て、という言葉をやはり青年は鼻で笑った。その姿が不意にぼやけて薄くなり、黒く続ける常緑樹の木々を透かして消えた。
 クロウはその場に暫し立ち尽くした。葉を叩く雨の温い音だけが深い森に満ちている……





 雨が続いている。
 しだるる水が体を伝って下へ行く度に、記憶の沼をかき回して底に溜まった泥を澄んだ水に無理に含ませようとする。
(何故)
 その言葉が遡ってくる予感を連れて雨は降る。
(何故)
  答えるはずがないとわかっていても。