第2章 赤い小鳥 10

 小間使いの少女が来客を告げた時、女将はちょうど帳簿をつけ終えて一服を始めるところだった。煙草は振り出しの妓楼にいた頃に覚えたが、悪い習慣だと思いつつも手放せない。来客といっても気兼ねするような仲ではなかったから、女将は煙草に火を入れながら、手振りで適当に座るように客に促した。
「かあさんが用事っていうのは珍しいね」
 そんなことを笑いながら言って女将の前の椅子に腰を落とす男も煙草のみだ。暫く二人で向き合って黙りこくりながら煙管をいじりあっていれば、いつものようにぬるく空気はほどけていくものであった。
 この男が自分を名で呼ばなくなったのはいつ頃だったろうと女将はふと思い、所々に白いものが混ざり始めた鬢を見やる。
 お互いに出会った頃は10代の若さであったが、年月の神というものは容赦がない。男からは脂気を、女からは水気を、それぞれ等しい量、奪っていく。
 うんと遠い昔はこの男の肩に爪を立てたこともあった。けれど遠景の中の陽炎のように、それは既に霞んでいる。
 一体それがどんな気持ちであったのかを説明することは難しかったが、自然と体が離れていくに従って、心は近くなっていくのは不思議だった。あるいは沢山の修羅場を同時に見た悔恨と歓喜が強く自分たちを結んでいるのかも知れない。
 いずれにしろ、今は既に自分は瑞々しい奢りと華やかな驕慢の中にあった遊女ではなく、男もまた上だけを睨むようにしてぎらぎら輝いていたタリア王の若い幹部ではない。お互いに未来が自分の良い方に転がっていくと頑なに信じていた時代は終わったのだ。
 そんなことを思って女将はふと鼻で笑った。自分もずいぶんと老けたものだと思ったのだ。
 ほんの10年ほど前まで自身の馴染みの客とも時折寝るくらいはしていたはずなのに、まるですっかり干上がった年寄りみたいなことを。
 けれど、店棚にいる年若い娘たちが繰り返す恋情沙汰の一つ一つがいつか自分が見ていた過去の光景と重なって、自分の経験からひいては年齢までを感じることも多い。
 結果も結末も分かっているはずなのに娘たちの真剣な愛情を一息に切り捨てることが出来きずに却って苦しめてしまうこともあると、分かっていながらの自分の甘さに再び女将は苦笑になった。
「今日はご機嫌だね、かあさん」
 男が煙管をいじりながら言った。女将はそうだねえと笑い、一服吸ってからあのね、と切り出した。
「あんたに見て欲しい娘がいるんだよ」
 男は煙草を続けながらふん、と何度か頷く。あの白い衣装の子だねと言われれば頷いた。
 見て欲しいという言葉には気に入ったかどうかを尋ねる意味が含まれている。だとするならそれは水揚げ前の娘についての話である以外にはなく、今この妓楼には見習いは一人しかいない。
 この店の一番の揚げを誇っている娘の説得で、やっと客を取ることに同意してくれたばかりだ。
 未だに痛々しく目を腫らしたまま起きてくるのも、仕方あるまい。いずれにしろ、何にでも人は慣れていく動物だと信じる他はなかった。
 だからそれには頓着しないふりでてきぱきと水揚げの準備を進めてきたが、肝心の入札が入らない。例えばシアナの時には数件の入札があって比較的高い値が付いたものだが、本人が人目を引く美少女というわけでもなく、明るく客に愛想を言うでもないのならば、これは諦めるしかなさそうだった。
「……若いよね。いくつ」
「14。男は知らないから、まあ、なるべく優しくしてくれるのをと思ってね」
 タリアの男には奇妙にゆがんだ性癖を持っている者も珍しくない。外から来る客などはそうでもないが、タリアの内側の抗争に身を置いていれば緊張の解ける瞬間には何かがたわむのかも知れないと女将は思っている。
 最初から娘たちにそんな応用問題を解かせるつもりがないのは確かだったし、この男がごく普通に女を扱うことも知っていた。
 若い連中のうち宴席で親しげに話していた隻腕の男でも良かったが、後で他の娘に聞いたところによるならば、彼女は他の無軌道な少年たちの悪戯に衝撃を受けていたようだった。だから女将は彼女が宴席で泣き出してしまったことを殆ど叱ることが出来なかったが、若い男はこの際しばらくつけない方がいいかも知れない。
 適度に油の抜けた優しげな中年男の方が、恐らくは彼女を安堵させるだろう。父親は記憶にないと言っていたから、いっそそんな風にでも慕ってくれさえしたら。
 女は大切な商売道具であると同時に女将にとっては娘でもあるのだった。
「彼女ねえ……かあさん、どうしてあの娘を買ったんだい」
 意外なことを聞かれた女将がどうして、と聞き返すと男はいや、と苦笑気味のような曖昧な顔になった。
「かあさんの好みじゃないからさ――あんたは昔から、明るい娘が好きだったろう。割とね。だからちょっとかあさんの趣味に合わないような気がしてさ」
 別に彼女がどうこうじゃないよ、と付け加えて男は煙管をくわえた。
 男の言いぐさに女将はそうかも知れないと何度か意味無く頷いた。
 確かに女衒の男たちが連れてくる少女たちのなかから自分は明るくて快活な娘を取る傾向にある。
 というよりも、宴席の座持ちのことなどを考えていると自然とそんな娘が増えてきたという方がいいだろうか。
 ただ、と女将はあの少女の笑顔の印象を思い出す。それまでは平凡といってよい顔立ちに見えていた少女が、微笑むと何かが切り替わったように愛らしく見えた。
 笑顔が良いというのは女を口説く古典のような文句だが、その究極に強力な形を見た気がする。
 大人しげな風情、大きな瞳、黒い髪。多分これらが全て完全に調和したならば、女神の如く崇められなくとも、天使のように愛されるに十分だと直感したのだ。
 それに、連れてきた女衒の男は基本的には大通りのもっと大きな妓楼に出入りしている。時刻は既に夕方を過ぎて妓楼の長い夜が始まった後、女衒は本来客のいない時間に娘を連れて売り歩くものだから、自分の所へくるまでに大棚を相当回ったに違いない。
 女衒は彼女をもっと大きな店へ入れようとした――それだけの価値があの少女にあると踏んだのだ。
 その読みを、女将は信じている。
 そんなことを女将は煙草の合間に説明した。男は既にタリアの住人ではないが、元はタリア王の配下であるから妓楼の仕組みや女衒の勘は知っている。
 女将の言葉が終わるのを待って、男は頷いた。
「まあ、いいさ。かあさんに貸しとくよ」
 水揚げを引き受けたことを簡単に告げて、男は煙草の火種を灰皿に落とした。
 男の年齢からして、怯える娘を宥めながらの破瓜の儀式はそろそろ気が重くなってくる頃だ。それには粗野な衝動が要るが、脂が抜けていくにしたがってそうした部分もまた、落ちていくものだ。
 だがこの男に頼もうと思いついたのは決して間違いではないはずだと女将は考える。タリア王の元に出入りしていた頃の男にはなかった余裕と穏やかな優しさが、彼がタリアをでてから20年で身に付いた結果だとするならば信じるに足りた。
 いつ、と聞かれて来月の頭にはと返答する。その直前に少女の月経が終わるから、それを待つつもりであった。
「……優しくしてやっておくれよ。無理はさせないで。最初の男で全てが決まるとは思ってないが、ある程度の価値観は決まるからね」
「分かっているとも。かあさんの信頼を裏切るようなまねはしないよ」
 男は仄かに笑った。
 灰を切った煙管を丁寧にぬぐい、腰のベルトから差し込むのは煙草をする男たちの大体の習慣だ。次の一服を始めないと言うならば、男はもう帰るつもりでいるのだろう。
 場に現れてからさほど時間はたっていないが、男は忙しいのは知っているから引き留めるつもりはなかった。
 女将は立ち上がって応接室の扉を開けてやった。昔はタリアの中でも修羅と呼ばれて憚らなかった男の背は同じような高い位置にあるが、以前のような体全体から発散されるような蒼い凄味は消えている。
 20年前に彼は突然人の諍いに愛想を尽かして修道僧になってしまったのだ。その心境の変化を男は気が向いたのだと笑ったが、きっと何かがあったのだろう。
 それが何かと聞かないのも言わないのも、自分たちの間にある信頼がそうさせている。僧職に水揚げを頼むというのも奇妙な話ではあるが、男が承知したならよいのだろう。
 帰りしな、男は思いだしたように幾ら、と聞いた。女将は少し思案顔にしてから言った。
「200で全部揃うようにしておくよ」
 水揚げには揚げ代の他にも祝儀や花や記念の衣装など、細かなものが沢山入り用になる。それを全部で200で揃えるというなら、こちらから頼んだ負い目を差し引いた程度の勉強はしたということになる。
 だが、男は明るく笑った。彼の笑顔の嫌み無い朗らかさだけは、ずっと変わらないものであった。
「いいや、かあさん。後100、出そう。それで少しは良い花と良い衣装を揃えてやっておくれ」
 女将はありがとうと呟いた。男は軽く笑い、ふと真面目な顔つきで女将に向き合った。
「あんたとつるんでいられるのもそろそろ終わりかもしれんからな。どうやらこの秋には北部へ出向だ――やっと、正式な教師免許が降りたからね」
 そう、と女将は頷いた。地方の教会は大概、子供たちのための初等学校を兼ねている。そこで教鞭を執るのは神職者であるのが普通だ。
 男が以前から人生の最後をどこかの鄙村で穏やかに過ごしたいと望んでいたことを女将は知っている。教師免許を持って地方の教会へ出向するというのなら、望みが叶ったことになるのだろう。
 だから女将はおめでとうと言った。男は軽く頷いた。
「だから、これがかあさんにしてやれる最後かも知れないと思ってね――どれ、娘はどこに? 少し話をしていこうか……源氏名はなんと」
「リーナ。矢車草の淡い紫」
 女将はゆっくり言った。本名が矢車草を意味するリィザであるなら、そこから派生する薄青紫の色名を与えるのがいいだろうとここしばらくで出した結論である。本名とさほど変わらない呼び名を与えるのも習慣であったし、その響きは彼女には似合っているように思われた。
 リーナね、と男は繰り返して出ていった。
 残されて女将は新しい葉を煙管に詰め始める。この習慣だけはどうやら墓場まで持っていくことになりそうだった。
 男はきっと上手くあの娘を言い宥めてくれるだろう。あの娘が持っていた銀の板は神へ祈る時の道具だし、適当に威圧の抜けた年上の余裕に甘えさせるだけの、男には器量がある。
 娘たちのことはいつでもそれなりに女将には気懸りだった。最初に入った妓楼から身請けされて出ていった先で女将は一人女の子を産んでいるが、実娘は3歳の誕生日を迎える直前に死んでしまった。
 今いる娘たちは、だからみなあの子の代わりだ。死んだ子の年齢を数えるのが如何に馬鹿馬鹿しいかと思いながらも、それは今一番年齢が上の遊女と同じくらいだと知っている。
 身請けされた先の主人が亡くなると保証もなしに屋敷を追い出されたから、タリアに戻ってきた。
 主人の存命中に買い集めておいた宝石などを元手に、タリアのもっと奥の方に小さな妓楼を開いたのは、自分の知る世界があまりにも狭いのだと気付いたからだ。
 娘たちは4人、その全員はもう妓楼にはいない。自分も彼女たちよりも10ほど上であるだけだったから、時折は客も取った。
 そうして生き抜いてきた挙げ句、やっとこの店にまでたどり着いたのが7年前のことだ。
 タリアというのは不思議な町で、これほどの妓楼が建ち並び、女の美しさが一番にまず価値を持って品定めされるというのに、この町で勝ち抜いていく女たちはさほど美しくない。
 無論何を以て勝利とするかで基準は違うだろうが、女将は決して娘たちが夢見がちに語るように恋を得た相手に望まれて幸福な結婚のために出ていくこと、であるとは思っていなかった。
 最初の妓楼を出ていく時には自分もそう信じていたが、普遍や永遠はこの世にない。
 男は確かに自分の人生に豊かな色彩を与えてくれる。恋も愛も、どんな色であっても眩しく見せてくれる。
 けれどそれは一瞬の所作、年月の大河の中で水泡になって弾け消える夢でしかない。
 どれだけ美しい色を添えてくれるとしても、その中核にいるのは自分自身であり、染められるのは自分の人生なのだ。相手の男ではない。
 生き抜いていくのに必要なのは自分の意地と才覚で、それだけが娘を亡くしてタリアへ舞い戻らざるを得なかった女将を支えてくれた。女将は年齢を重ねた今でも整った容色を持っているが、自分の美しさになど何の価値も見いだしていない。
 そうしてがむしゃらに生きていた日常の、ふっと空く陥没のような時間には、女将は今まで知ってきた沢山の女たちが押し流されていった赤い奔流を見る。
 その色が酷く暗く悲しげであればあるほど自分の正しさを確信できるのに、時折は全く反対のことを考えもするのは可能性をさぐる人の本能だろうか。
 女将が思い出すのは決まってあの異国の女だ。南の国から連れてこられた、美しい女だった。最後までこの国の言葉が片言のあやしさのままで、だからこそ一層に可憐であった女。
 恋をして舞い上がってつぎ込んで、裏切られては泣く事を繰り返して最後には運河に身を投げた、ずっと昔の妓楼で一番仲が良かった、あのいもうと。
 彼女の華やかで寂しい人生を思う時、自分は明らかに勝利者であるという自負と共に一抹の羨望を飼う。
 それは自分が恋に遂に耽溺しきれなかった女であることと密着していることなのだろう。
 あのいもうとの息子も娘も、母親によく似た線のきつい美しさを持っていた。
 息子の方は2度ほどしか見たことがないが人形のように凛と整った面差しをしており、娘の方は……今は女将の娘だ。源氏名をシアナ、本名をシャラという。
 女衒が連れてきた中では久しぶりに極上の美人になるだろうと買ったのだが、身の上を聞いて不思議な縁に驚嘆した。似ているとは思っていたが、いもうとのようなやや冷たく見えがちな美女は多い。珍しい顔立ちではないのだ。
 シアナか、と女将は深く煙を吸いながら、目をすがめた。リーナのことも確かに案じているが、シアナの先ゆきも別の意味で溜息をつきたくなる。
 シアナもいもうとと同じく恋に身を滅ぼす種類の女だ。少なくとも、その素質はある。
 ライアンにひたすら入れあげて他のことを構わない狭窄を女将は何度も叱ったし、そのせいで他の客が疎かになりがちなのはすぐに指名の減少につながると他の遊女たちにも散々言われてなお、シアナの性癖はいっかな直りそうにない。
 ライアンがその欠損を派手に埋めようとする結果が数度の宴席という形になって実際は潤っているのかも知れなかったが、女将はその方法も気に入らなかった。
 土台、それはライアンが彼女を身請けるか彼女を諭すのが一番良いのだ。それを金でうやむやにしてしまう方策が癇に障る。
 これまでも何度か女将はその話をライアンにしてみたことがあるが、彼は身請けに関しては素っ気なく断り、説得に関しては乗り気でなかった。
 ライアンはシアナを自分の異父妹だと思っているのだろうかという疑問は、女将の中ではすぐに否定されるべきものだ。
 確かにいもうとの最初の子はライアンと言い、後に生まれてくるシアナの7歳上の、暗い目つきの笑わない子供であった。いもうとがシアナを生む金ほしさにライアンをどこかの曲芸団に売り払った経緯や、シアナが日ごろ顔も知らない兄の話を聞かされて育っていたことをあわせれば、境遇や年齢の相似から兄妹であると考えることは不自然であるとは思えない。
 だが、ライアンは自分がシアナの兄ではないと知っているはずだ。シアナから聞いたのか女将と彼女の母が古い知己であると聞いて、自分に問うたではないか。
(シャラの兄を見たことがあるか)
と。
 いもうとの息子が名をライアンと言ったことを女将は覚えていたから、そのときに彼がシアナを妹ではないのかと思っているのだと知った。
 だが、自分はすぐに否定したはずだ。シアナの兄である子供を見たことはある、だが、その瞳の色はあの下らない父親と同じ琥珀色だったと返答した。
 ライアンはシアナと同じ緑色の瞳を僅かに歪め、すぐに分かったと言った。兄妹であることを否定した後にライアンはシアナに通うのをやめるのかと思ったが、そうではなかった。以前と変わらずに姿を見せるのが、不思議でたまらない。
 一体二人はどうなっているのだろうと女将は思うことがある。
 シアナがライアンと自分の面輪の相似を指摘されて怒るのは、それが彼女の胸奥に巣くう不安の根に近いからだ。兄妹だと本当に証明されてしまったらライアンは自分にますます遠くなるだろうという恐怖から、半ば反射のように反応してしまう少女を哀れにも思う。
 ライアンは兄妹である可能性を否定する材料をシアナには一切伝えていないし、女将にもその口止めを頼んでいる。
 だから二人が馬鹿馬鹿しいことではあるが男女の関係を結んでいないのは女将から見れば明白であった。
 シアナがライアンの特別な女だと吹聴するのは意地でもあろうし見栄でもあろう。
 それに合わせている男の方がどちらかというなら悪いが、それでシアナの気が済むならば黙っていてやってもよかった。
 可哀相だと思うのは、シアナのそうした性格の偏りや脆いくせに高い矜持ではない。
 人を形作る神というものがいるのなら、何故、丁寧に造形した美女たちに限って内部のねじをいい加減にするような真似をするのだろうということだ。
 そんな女たちを厭と言うほど見てきた。
 とてつもなく男にだらしがない、絶句するほど金銭感覚が荒い、そして呆れるほど純情すぎて頭が悪い――
 そのどれか一つでも内側に持った麗女くわしめは不幸になると決まっている。
 シアナは最後の条件の娘だ。
 遊郭にくる男たちの戯れのような言葉に本気になって金がないと言えば揚げ代を自分が肩代わりしたり小遣いをやったりする娘、男に与える金のために必死で他の客の気を惹こうとする娘、そんな娘たちを叱って良かったことなど一つもないが、それでも言わずにはいられなくなる。
 それを言った時に娘たちがいう言葉も決まっている。愛しているのだとか身請けの約束をしただとか。
 愛している女から金をむしる男などいない、金も持っていないくせにどうやって身請けするつもりなのか、そう言っても大概聞く耳を持たないものだ。
 信じてはならないものを信じて身を持ち崩していった女たちの結末は、大抵聞かない。彼女たちは消えていくのだ。赤い河の先に待ち受ける、黒い闇の中へ。
 シアナもそうやって消えていく運命にある女になるだろうか。女将はそれを思い、自分で否定したいために首を振った。
 少なくともライアンは金払いは悪くない。彼女を悪く利用していないだけでもまだましであると自分に言い聞かせ、それでも気に入らないと不満を呟く胸を宥めるために煙草を飲んで呼び鈴を取った。
 リィザに与える水揚げのための衣装の採寸と生地の選定をしてやらなくてはならない。水揚げの衣装は特別なもの、一度袖を通してそれきりにするものだが、男が多少奮発してくれた分をそちらへ回してせめて飾ってやりたかった。
 幾ら美しく着飾らせても、あの娘の心が晴れやかになるわけではないと分かっていても、してやっても良いことというなら、女将にはそれくらいしか思いつかなかった。