第1章 祝祭の日 10

 タリア王屋敷の門をくぐるとまず目に入るのは美しく整えられた前庭と馬車寄せだ。タリア王というのは通称で、タリアの支配者は系譜上、国の末端にいる。
 官位は下端であったが、実状は悪くない程度の影響力を持っていた。治外法権ともいえる自治制度を許されているのは、タリアから回る献金が国を実際に利しているからだ。逆に返せばその金があるからこそ、自治が認められている。
 官位がありその公邸であるならば、馬車寄せは必須だ。皇城、つまり国府との行き来は馬車に決まっている。実際は殆ど使われていないにしろ、それは様式であった。
 馬車寄せから扉を抜けて吹き抜けの玄関ホールになめらかに降りている螺旋階段を上り、左へ行けばタリア王の執務室ということになる。執務室といっても大抵はタリア王の側近たちがたむろしている。タリア王自身はいないこともあるが、これは個人の資質に寄るところが大きいだろう。
 先のタリア王であったカレル=コリーグは外へ出ることが多く、そして彼を駆逐してその座についた現王アルード=クールは屋敷にいることが多い。カレルは高官との接触が多かったが、それを国からの過干渉と捉えて不満に思う者も多く、カレルを葬ってタリア王となったアルードはまずはタリア内の方向の統一を強いられている。故に、あまりタリアを離れることがなかった。
 ライアンが執務室へ入っていくと、側近の男たちがちらりと彼を見た。男たちと同じようにライアンもまた、アルードの配下といわれる立場にある。
「お前の陰気な顔を見るのは久しぶりだな」
 そんなことを言ってアルードの隣に佇む男が笑った。彼も側近の一人だ。久しぶりというのは単なる嫌味で、ライアンは2日と続けてアルードの側を離れたことが殆どない。
「例の連中の残党がほぼ掴めたので、その報告を」
 抑揚なく呟くと、ライアンはここ数日かけて集めた情報を口頭で伝えていく。ライアンは字が読めないから自身で告げるくらいしか方法がなかった。それにアルードから次の指示があるだろうから、代理を立てるくらいなら自分でこなした方が早い。
 例の連中というのはタリアの中の不穏分子だ。前王カレルの派閥は首塊が倒れた後に徹底した残党狩りに遭った。宗旨替えした者もいるが、前王の頃よりは明らかに遠ざけられている。タリア王に近い位置にいるほど旨い汁を吸うことが出来るゆえに、放逐と呼んで差し支えない扱いだった。
 彼らにとってはアルードは元の主人の仇であるという単純な理由だけでもなく憎むべき相手であった。そしてアルードがカレルを暗殺したとき、それに積極的に協力したのがライアンであったせいで、ライアンもまた、その連中には敵視されている。
 ライアンの報告が終わるのを待って、アルードは呼び鈴を取った。その音に反応してすぐに現れたのは魔導士であった。国から借り受けているのだろう。
「カノン、連中の根城の座標を取れ。場所はこれが案内する」
 はい、と返答する魔導士の顔は銀の仮面に覆われて見えない。カノンというのも魔導士としての名であって本名ではない。だが背格好や声からさほど年齢のいかない、まだ少年という範囲に属することはわかった。
 それ以上の指示はなかった。戻ってこいとは言わなかったから、今日はどうやら好きにしていいらしい。ライアンは内心でやっと呼吸をした気分になった。
 アルードがライアンを側に置きたがるというのは事実だ。それを気に入っている、と表現するなら現実に即してはいるのだろう。が、ライアンはそんな単純な話ではないことを知っている。アルードもライアンと2人の時はそれを隠さない。
 前王カレルの死に関わる幾つかの謎とされている部分の殆どをライアンが引き受けたのは事実だ。アルードはライアンもいずれ始末する気でいる、その秘密を共有する者として、生存さえも気に入らないから。
 アルードがライアンを側近として年齢若い割に厚遇するのは秘密の保持料だ。能力がないとは思われていないらしく、いくつかの末端的な仕事は任されているがそんなことであれば幾らでも代わりはいる。ライアンを近くにおくのはその方が言行や挙動を監視しやすいという理由であろう。
 ライアンは前王カレルが嫌いだった。もしくは憎んでいた。カレルはライアンをチェインの自治と引き換えに愛人になるように強要した。まだ彼が少年だった頃に、当時のチェインの王であったリァン・ロゥがカレルの望みに応じてライアンを差し出したときには死の影さえ見た。カレルの目を引いたのが自分の顔であるのなら傷つけて焼いてしまいたいと思ったこともある。
 だからアルードがカレルを暗殺する計画を持ちかけてきた時、若干の勿体はつけてみせたものの承知した。それはライアンにとっては解放を意味したからだ。
 そしてそれが済み、ライアンは別のものに縛られることになった。アルードとの共棲は悪くはない。少なくともカレルのようにライアンは神経を逆立てなくて済む。
 だが、危機感はカレルの時よりも数段上だった。カレルの場合はライアンをそれでも単純な意味で気に入ってもいたから、チェインの自治を買うために彼と寝ていても以前のような恐ろしさは感じなかった。だがアルードは違う。アルードとの間にある緊張はカレルの時よりも増していた。
 そしてそれでもお互いに離れていかないのは、お互いの利用価値を良く知っているからでもある。2人とも相手に決して好かれていないことを承知の上で共に在るのはタリアの自治のために必要なことを知っているからだ。
 力は正義であり、正義は力ある者のものだ。タリアの中の法律を究極に簡略するとこういうことでもあった。
 だから力無い者たちは排除され、敗者となり、更に踏みにじられる。カレルの残した残党を狩るのも当然の成り行きだった。
 魔導士に座標をとらせる、ということはそのうち建物ごと始末するつもりだからだろうか。魔導というものにライアンは詳しくないが、それを扱うのにかなり細かい計算や座標の把握が必要なことは見て知っている。
 少年魔導士を根城になっているアパートまで連れて行った帰りにライアンは自身の本拠であるチェインの「煉瓦屋敷」と通称されるアパートへ入った。
 ここは建物ごと、丸ごとがライアンのための要塞だ。彼の手足となるべき少年たちが常時たむろしているし、彼らをまとめる幹部たちも半数程度は残っている。
 幹部という扱いをしているのは現在6名。一人はチアロだがこれが一番年齢が下で、残り5人の内3名はライアンがチェインを完全に掌握した頃からの配下である。
 チェイン自体の人数は2千人見当といったあたりだが、派閥は100以上あった。彼らの棲み分けから小さな抗争などに至るまでライアンが全て面倒を見ているわけではないが、起こったことの報告は受ける。
 1階の広間の隅にライアンの席はある。北側の窓の側に置かれた椅子、脇の小卓とその上の灰皿と火種箱。いつもの場所で煙管に火を入れるライアンに幹部たちが大体の事を告げていると、視界の隅に一番の側近が入ってきたのが映った。
 こちらへ来るように軽く手で合図すると、頷いて寄ってくる表情がいつもより暗い。
 普段は多少あてられるほど明るく振る舞う少年である。それは他の幹部たちにも分かるのだろう。
「どうしたチアロ、悪いもんでも食ったか」
 軽口にチアロはやや憤然という調子で違うよ、と切り返したがあまり表情の色調は変わらない。
 煙草を続けながらライアンは手振りでチアロに側にいるように指示する。どんなに配下が増えて幹部が彼に忠誠を誓っていても、ライアンが最も心許しているのはこの少年だった。……それが何のためでありどれだけ下らないことか分かっていながらも。
 チェインの中の報告が済むとライアンはそれに指示を出す。例えば規律を破ったものには制裁を、派閥同士の抗争にはある程度の決着を。タリア王の元では手駒の一つに過ぎないライアンでも、チェインに戻れば確かに年若い者たちの王であるのだった。
 それも一段落ついた頃、ライアンは他の連中を追い払ってチアロの手を軽く叩いた。何か言いたそうにしていたが口を開かないのは、他人に聞かせたくない話だからだろう。
 チアロとの連絡は密で、お互いに相手がどんな出来事を抱えているかは知っている。チアロが人前で自分に話せないというならば、クインのことだろうと察しはついた。
 ライアンは食事にでも行くかと腰を上げた。チェインにいるときに彼の身辺を守る役目の男が合わせて立ち上がるが、ライアンはそれには首を振る。
 護身役は万一の時のライアンの身代わりになる役目だが、今は必要ない。ライアンは殆ど酒を飲まない上、体調も悪くなかったから、自分の身を守ることくらいは不足ないであろう。
 警護を連れていくときは人死が出ると分かっている時と、酒が入ると分かっている時だった。酒は元々体質に合わない。有り体にいうなら弱いのだ。
「あれがどうかしたのか。小遣いが足らないと言うなら馬鹿とでも言ってやれ」
 煉瓦屋敷の廊下を歩きながらライアンは言う。クインの身辺を整え、不自由ない生活をさせてやるには十分な額を既にチアロに渡してある。それ以上というなら浪費の限度というものであった。
「そのことなんだけどさ……」
 チアロがぼそぼそと、申し訳なさそうに呟いた。
「ごめん、俺、つい戸籍の話しちゃって……そしたらあいつ、戸籍いらないって言うんだ。あと、ライアンと話がしたいって……痛っ」
 考えるより先に出てしまった手を軽くうち振り、ライアンは溜息になった。
「奴は俺たちとは考え方が違うと言っただろう。迂闊にも程が過ぎる」
 チアロは打たれた首を片手で押さえながらごめん、ともう一度言った。ライアンは舌打ちをした。今更取り返しようもなかった。
 クインが何を言い出すかは分かっている。戸籍の拒否ともう一つ、最初の話へまた立ち戻るのだ。一度は言いくるめたはずの話を蒸し返されてはライアンも面白くない。
 奴の誇り高さは本物だとライアンは溜息になった。売春などは自分の身の上に起こる出来事であると見切っている。
 出来事は波だ。荒いものもあればゆるやかなものもあり、そして自分自身が硬く砕けない岩であると自負するなら、波は自分を妙な形に変えたり削ったりはしない。長い時間にそんなことにならないように波打ち際を駆けていく気でいる。
 不意に最初の夜のことが蘇ってきて、ライアンは苦い顔になった。老人に稚児に売られたことさえ知らなくて、彼にしてみれば突然の出来事に驚愕と恐怖で動けなかったあの日のことを。あんな風になりたいのかと思うと怒りさえ沸いた。
 ライアンは苛立ちのまま何度か溜息をついた。チアロが重ねて謝罪の言葉を吐いた。ライアンはそれに頷き、腹心に言った。
「で、戸籍の調査の方はどうした。止めたのか」
「いや。俺の主人は奴じゃなくてライアンだからね」
 それでライアンは僅かに機嫌を直した。戸籍の調査までをクインの言葉に付随して止めたなら、チアロに更にもう1発くれてやるところだ。それはそれでいい、と呟き、ライアンは煉瓦屋敷を出た。外は既に夕暮れの気配であった。
「食事が終わったらお前は奴の所へ行け。明日の昼過ぎに行くと伝えろ」
「ライアンは?」
「……あの女の所へ」
 分かったとチアロは頷いた。明日は昼からまた同じ話の繰り返しになるかと思えば気が滅入る。その前に考える時間も欲しかったし、何も考えない時間も欲しい。
 そして何よりも、芯からの休息が欲しかった。そんなときに行く場所をライアンはあまり持っていない。が、あるだけましというものかも知れなかった。