第1章 祝祭の日 14

 帝都の夜空に花火が咲いている。
 6月は祭事が多い。北寄りの国々では待ちかねた、短い夏を楽しみ昇華するために沢山の祭事がおかれている。
 初夏シタルキアにおいて最大の祝祭は始祖大帝の生誕祭であろう。始祖大帝の生誕の日付は実は不明なのだが、6月の末日を最終日として3日間帝都を華やげてくれる。
 縁日、見せ物、それに滅多にはない皇族の臨席、貴族の子弟達の仮装行列――
「聖祖大帝ってどんな方だったんでしょうね?」
 山車の上に座りながら、きつい帯のせいで苦しく先程から呼吸をしている弟にリュース皇子はさあ、とゆるく笑った。
「記録はあんまり信用できないからね……知りたければ父上の跡を継いだらどう?」
 皇帝にしか代々伝授されていかない秘密もある。それがどんなものか想像もつかないが、大量に神秘的なものも混じり込んで、一種嫌悪さえ抱くようなおどろしさを醸していた。
 秘伝、秘宝、秘画に儀式。
 皇子の返答に弟は途端に厭な顔をした。
「僕、勉強ってからきしだから……兄上の方が絶対向いてると思うんですよね」
 弟の言葉にリュース皇子は苦笑した。自分が立太子に一番近いことは知っているが、母の違う弟が2人いる。第1皇子は自分だが体の弱さを引き合いに出されれば苦しいだろう。
 が、異母弟たちとて憎くはない。
 彼らの母は宮廷の華やかさが苦手で、次男を出産した頃から帝都郊外の静養地、ロリスに引き込んでいる。帝都よりは遙かに自然の豊富な環境でのびのび育ったせいなのか、2人とも非常に素直で明るい性質だ。
 ライン皇子がまたふう、と苦しい呼吸をついた。もう千年以上も昔に滅びた漢氏という少数民族の民族衣装は裾が長く、帯がきつく、それを幾重にも捲くために傍目にも苦しげだ。
 リュース皇子も同じような格好であるが、明確に2人の衣装には差があった。
 自分の衣装は右肩を脱いでその上から漢氏様の甲冑を被せてある。刺繍も縫いの糸も全てが燃えるように赤い。これは建国の功臣、イダルガーンの扮装である。
 そしてラインの方は同じような赤い衣に金糸銀糸で細かく刺繍の入った打ち掛け、沢山のかんざし、施された化粧、刺繍は蘭の花の図案。これは始祖大帝の皇后であったラファーナ妃を模している。
 ラファーナ皇后の逸話として最も有名なのは「オレセアルの緋天使」としての救世伝説で、剣の名手として名高い。ラインは先の少年剣術会での優勝を受けて、この仮装行列の後の剣の模範演武までを担当するのだ。
 同じ漢氏の衣装でも、女物の方が格段に身体にはきつかろう。そんな状態で剣の型の披露をするということで、ライン皇子はここ暫くそれに引き合わされていたが、天性の勘があるのか昨日最後の練習を覗いたときは流麗な動きであった。
 ふう、とまた同じような溜息を弟がついた。リュース皇子は小さく笑い、弟の胴をきつく締める帯の隙間から、数本隠し紐を抜いてやった。抜いても差し支えない部分の紐だから構わないだろう。少しは楽になったのか、ライン皇子はにこりと笑う。そうすると扮装のせいもあってか少女のようだった。
 その笑顔にみせられたのか、歓声が上がった。適当に曖昧で反感を持たれない程度の微笑みを振り分けながら、リュース皇子は弟に手を振ってやるように囁く。他の高位の貴族の子弟達も華やかに笑顔を振りまき、聖祖大帝とも呼ばれる建国者の時代を模した仮装行列を盛り上げることで熱心だ。
 頭上で光の花の咲く音がする。つられたようにライン皇子が見上げ、素直に笑顔になった。刹那炸裂する光に照らされて、弟の頬が微かに反射する。
 花のようだと讃えられる自身の美貌とは少し異なるが、同じような女性系の顔立ちは似たところがなくもなかった。今の自分の年齢と同じくらいになればきりりとした少年のようになり、いずれは瀟洒で華やかな宮廷貴公子となるだろう。
 その時自分が皇帝であろうがなかろうが、こうして幼い日々に密な閉鎖空間を持つことがきっと良い方に作用する。弟の気性からしてそれは確定に思われた。
 仲の良い兄弟であることはいずれ、何かの武器にもなろう。ましてリュース皇子は元来が虚弱で、戦向きのことが出来にくい。軍学として用兵や戦略を学ぶことが出来ても、実際戦場にたてるかどうかは微妙なところだ。ライン皇子はそれを補完してくれる存在となるに違いなかった。
 ライン皇子は花火に見とれたり沿道に詰めかけた群衆に手を振ったりで忙しい。それを微笑ましく見守りながら、リュース皇子は自分も同じように軽く手をあげて愛想を振りまいた。
 視線を投げかける度にその周辺が熱を持つのが嬉しいようでもあり、それが自分という個人へ向けるものでないと知っているから複雑でもあり、だがあまり小難しく考えることでもないと思うこともあり、リュース皇子はただ意味のない笑顔だけを零すことに専念している。
 沿道の人群れをさらりと流した視線が、ふっと引っかかるように戻った。何かを見た気がしたのだ。
 とても懐かしい、何か大切なものを。
 その感触を確かめるように、ゆっくり進む山車の上から皇子は視線を流し返した。ふと何かを掠め、気付いて戻り、そうして焦点を絞ったその瞬間。
「あ……!」
 皇子は思わず腰を浮かせて振り返った。彼の珍しい動揺に、周囲の人垣が触りと蠢く。それが決定的な違和感になろうとした刹那、人々の波間からくるりと背を返す細い身体があった。
 待って、と叫ぼうとしてそれを思いとどまったのは3年前の苦い記憶が蘇ったからだ。
(逃げるんだね)
 自分の不用意な言葉で蒼白となったあの顔。間違いがない。人目を引かないように髪を……染めているのかかつらなのか良く分からないが金色にして編み上げ、当時と変わらぬ少女の様式に身を擬態しながらこちらを見ていた。
 名前も知らぬ、あの「少女」。帝都にまだいたのか、それともどこかから戻ってきたのだろうか。いずれにしろ、間違いなく自分を見に来たのだと皇子は確信した。
 自分や弟がこの仮装行列に参加することは前もって告知されている。そのせいもあって沿道は凄まじい人だかりだ。
 その中から見つけた奇跡に皇子は笑った。これは本心からこぼれてくる、安堵と嬉しさのためのものであった。皇子の晴れやかな笑みに一層周囲が歓声を上げる。それに上の空で手を振りながら、皇子は群れを抜けて流れに逆らって泳いでいく、美しく伸びた背筋を見つめた。
 背は良く伸びている。以前から背格好は同じ程度であったが、今もそれは変わらないだろう。少女としては既に長身という部類にはいるほどに背丈はあるが、細身の印象が強いためにすらりとしたしなやかさだけが目に残る。
 3年前に見失ったときにも卓越した美貌であったはずが、再び目にすれば一層鮮やかであった。その場だけ、空気の色が変わるほどに。
 多分彼は自由に生きているのだろうと皇子は悟った。一目見たときの印象があまりにも違う。
 良かったと僅かに唇を綻ばせていると、ようやく人垣を抜けた彼が振り返った。皇子はそっと視線を彼にまっすぐあてた。彼もじっとこちらを見ている。
 まさぐりあうようなもどかしい一瞬の後に、瞳がかち合った。夜といっても沿道の灯りで昼間ほどに明るい大路では、全く同じ色の瞳が見て取れた。
 皇子は彼に笑いかける。単純に、皇子は再会が嬉しかったのだ。
 だが彼の方は反応が違った。一瞬何かに撃たれたように頬を痙攣させ、そして顔を歪めて隣の男に何かを言った。 
 それで初めて連れがいることに皇子は気付いた。年齢の頃はそう変わらないだろう少年が一緒だ。背は随分と高いが顔立ちが幼さの片鱗を残している。少年が「彼」の肩をぽんと叩いて背を返す。それを追うように身を返して、彼は振り返った。
 こちらを見つめてくる眼差しは、色味が複雑すぎて明確な名を付けられない。憧憬でもない。再会の喜びでもない。帝都から追い出したのだという元凶を憎しむ目でもない。
 どれかというなら、と皇子は路地に紛れて消えていく背を見送りながら思った。あの僅かに痙攣した頬の種類は、切なさだったかもしれない。哀しげであったかもしれない。それは単純な理屈ではなく、彼が皇子に対して複雑な思いを抱いていることの証明の気がした。
 ……だが、何のための?
 皇子は僅かに顔を曇らせる。兄上、というライン皇子の声に気付いたのはその時のことだった。
「そろそろ城へ入りますから、立って歓呼を、って」
 仮装行列もそろそろ終幕というわけであった。山車の上で皇国万歳を叫ぶ民衆に応えながら、皇子は彼の消えた方角を目で追っている。帝都にいると分かっただけで胸が温かになった。
 探そうという気はなかった。彼が皇子を恐らくは自分の意志で見に来たことで、そして憎まれていなかっただけで十分であった。皇子と話がしたいと思うなら、幾らでも方法はあるはずだ。例えば中等学院だとか。今年の冬には卒業ということになっているが、自分がまだ在籍していることは知っているはずだから。
 やがて山車が完全に城の内部へ入ってしまうと、皇子は弟と共にそれを降りた。ライン皇子はすぐに演武が始まるため、簡単に着付けを直して最後の練習にと借り出されていく。皇子は着替えをするために、控え室の方へ足を向けた。
 皇族用の控え室には皇子の母がいた。父帝は見えない。他の儀式があるのだろう。始祖大帝の遺産と呼ばれるものは沢山ある。それらをいちいち確認するような儀式はうんざりするほどあった。
「あら、終わったのね、リュース」
 母が微笑む。ええ、と頷いて衣装の裾を踏まないように気をつけながら皇子は母の隣へ座った。侍従がすぐにやってきて、彼の衣装をいくつか手早く見せていく。
 その内の一つを適当に指定し、合わせた他の衣装や装身具を揃えるために侍従が下がると彼は甲冑の紐を解いた。本物ではないからそれは殆ど繊維で出来ていて身体に負担はないのだが、やはり開放感はあった。
「ラインの演武が始まる前に着替えますから、一緒に行きましょう、母上」
 そうね、と母妃は笑って頷き、皇子の頬をゆっくり撫でた。そんな風に母に触れられるのは本当に久しぶりで、皇子は嬉しくなって俯く。ラインのように満面で表現できないのは性分であったが、それでも彼の顔がほころんだことで母もまた、にこりと笑った。
「演武が終わったら花火のいいところが残っているから、高演台にでも行きましょうね」
 皇子は他愛ない約束に微笑んで頷く。母と持てるゆっくりした時間を、皇子はとても貴重に感じていた。
 やがて侍従が戻ってくると、先に結い上げて飾り羽をさしてあった髪を解きほぐした。きつくあげられていた髪の根本が弛むと同時に痛む。微かに顔をしかめてこめかみを押していると、母が隣で呼吸を呑んだのが分かった。
「……母上?」
 皇子は不思議に母を見つめる。母妃は一瞬泣き出しそうな顔で頬を歪めたが、すぐにそれを取り繕った。が、慌てて浮かべた微笑はぎこちない。何か、信じられないものを見てしまったという顔をしている。
 母上、ともう一度皇子は呼びかけた。皇妃は僅かに首を振り、何でもないのよと笑ったが、それが嘘であることは考えなくても良かった。怪訝な感触に皇子が戸惑っているのを配慮したのか、母はいいのよと重ねて笑い、皇子の手を取った。
「妹の子供の頃に似ていたから吃驚したのよ。あの子もとても美人だったから……」
 そうですか、と皇子はそれに異論を唱えなかった。母方の叔母は十九の時に亡くなっている。写真を見たことがあるが、確かに母や自分と共通する繊細で端麗な美貌の持ち主であった。
 ともかくお召し替えをといわれ、皇子は控え室を出る。衣装室で漢氏様の仮装を脱いで新しい衣装に袖を通していると、目の前に鏡がおかれた。髪の手入れを始めるのだろう。
 視線を鏡の中の自分に与え、そして皇子もまた驚愕して声を挙げた。どうしました、と侍従が聞くのに首を振り、今度はゆっくりと鏡に映る姿に目を走らせた。
 髪は漢氏の扮装用に黒く染めてある。きつく高めに結い上げられていたせいで、下ろされた髪は僅かに波打ち、皇子の形の良い頬を縁取っては流れ落ちている。仮装の際の見栄えを考慮して、ラインほどではないにしろ施されていた化粧が唇に華やかな色として残っている。
 まるで少女のような姿。3年を経て見失った少女が鏡の中から戻ってくるようだ。
 皇子は他人がひっきりなしに賞賛することに殆ど無関心で、自分の容姿には無頓着であった。3年前も美しい少女だと思った。だが、それは印象だけで顔立ちの明確な刻印ではなかったのだ。
 だが、今ならはっきり分かる。自分が最初に中等の教室に入っていったとき、教室を包んで鳴り止まなかったざわめきの意味でさえ。
「似てる……」
 皇子は呟いた。似ている。自分たちは鏡に真向かうようにそっくりだ。髪を黒く染めて印象が変わったことで初めて気付いた――
 そして皇子は僅かに振り返り、いや、とすぐに首を振った。
 自分を見つめる視線に何が籠もっていたのかは分からない。……彼の方は自分たちの相似について知っているのだろうか。
 探したい、と皇子は思った。今までの何よりも強く、そう思った。