第1話 祝祭の日 3

 祝祭を鮮やかに彩る光の花が夜空に咲いた。火薬は貴重品だが、それを一瞬の見物に費やすことが出来ることこそを奢侈と呼び、富貴という。こうして自分たちが贅沢を享受できるのも安定した宮廷と安泰な国家の成せるものだと思いながら、皇子はそれを見上げた。弟のはしゃいだ声がする。
「母上、ほら、また違うのがあがりました! すごいなぁ」
 皇子はちらりと視線を隣へ座る同母弟の皇子へ向けた。母親譲りの菫色の髪が、花火の明るく刹那的な光の下でなめらかに輝いている。
 父の誕生日の園遊会は晴天であれば城の広大な中庭で行うのが慣例であった。
 弟を挟んで母がゆったりと座り、更にその隣に父が居る。両親は祝辞を受け取るので忙しいが、自分や弟はまださほど構われなかった。
「ライン、母上はお客様のお相手で忙しいのだから煩わすのでないよ」
 弟の手を軽くたしなめるように叩くと、弟はぺろりと舌を出して笑った。屈託ない笑顔、明るくて人懐こい性質、そんなものをこの弟はきっと父親から譲り受けたに相違ない。外見は母によく似ているが、中身は父とそっくりだ。
 ――だから、だろうか。
 皇子は微かに目を伏せる。自分もまた、母と似ている。表面ではなく、内面が。
 神経が細く、苛立ちやすく、そしてそれを口に出せない性質が。母も自分も絶対に口にしないだろうが、お互いに似過ぎたせいで、2人きりになると妙に気まずい。親子だからという括りを取り除いてしまえば単に気が合わないで済むことも、母と子であるから複雑であった。
 母であるイリーナ正妃は明らかに弟を溺愛しており、愛情の取り分の比率だというようにか、彼には弟に対するような関心を持たなかった。
 もちろん親子であるから普段の生活の中で情愛を感じないことはない。母は自分を理解するように努めようとしているし、彼の生来の病弱さを気に掛け、それと引き換えにしたような聡明さを喜んで沢山の教師をつけてくれた。
 ただ、と皇子は花火を見上げながら思う。そうやって母と離れて過ごした時間の長さが、きっと今のぎこちなさの原因なのだろうな、と。
 教師たちが皇子を褒め称えると母はとても喜んでくれた。だから努力もしたし、そもそも皇子にとっては勉強などはとても簡単な事に思われた。道ばたの花を手折るほどのことにしか思えなかった。
 それに勉学というものはどんなに複雑でも煩雑でも、そこには必ず答えがある。明確な回答がある。本当に分からなくて難しいのは他人だ。母とはいえそれは他人、他人のことは分からない。
 そっと皇子が溜息を落とすと、兄上、と小さな声がした。弟が少し心配そうな顔つきで彼を見上げている。
「どこか具合でも? 僕、お部屋までお送りしましょうか?」
 いや、と彼は微笑む。弟を愛しているのは母だけではなく、それは自分も同じ事であった。
 ラインという4才年下の弟の一番良いところは、こうして何の見返りや算段などもなく他人に優しく振る舞えるところだろう。意識して出来る年齢ではないから、これが本質なのだ。
 愛されやすい気質というものがある。それは確かに弟に宿り、自分には欠けているものなのかもしれなかった。
 3年前から通っている中央中等学院でも皇子は完全に周囲から浮き上がっていた。自分はどうやら近寄りがたいらしい。そう級友を邪険にしているつもりはないのだが、他人とつき合うのが苦手なのだ。
 成績は飛び抜けており、身分と、そして級友と呼ぶべき同学年の在籍者達が自分よりも5,6才は年上な事もあって皇子は大抵一人だった。
 そして自分を遠巻きにする級友達に囲まれて、彼は時折「彼女」のことを思い出した。正確に言うならば、少女に擬態して中等へ通ってきていた、あの少年のことを。
 彼が何を考えていたのかは分からないが、彼は自分の顔立ちの麗しさと、飛び抜けて年少であることを上手く利用して立場を作っていた。共に過ごしたというほどの時間さえ共有できなかったが、彼の意図したことは分かる。年齢と成績と美貌が揃うことで孤立するなら、崇められる孤独を選んだ者の微笑みだった。
 彼とならば少しは共感を持てただろうという感慨は、年月を経るごとに深くなっていった。彼もまた、孤独を知っていたから。
 それはよく分かる。「彼女」が突然学院から去ったとき、驚愕と疑問の嵐が通り過ぎていったが、それはまさしく一過性のものだった。2ヶ月もすると、そんな少女などいなかったように級友達の環は閉じた。幻のような少女だったという言い方を皆がした。
 いつでも微笑みを絶やさずに、誰に対しても誠実で優しい。誰とも上手くやっている―――それは誰にも都合が良かったということだ。
 人は自分の都合で生きているが、友人は友人なりの、教師は教師なりの都合がある。他人である以上、それを受け入れろと押しつけてくる。級友たちもそうだったろう。「彼女」に対して聡明で大人しい美少女の役を与えて、そこから逸脱することは歓迎しなかったに違いないし、何を言っても微笑む「彼女」はある面、確かに好都合なのだ。
 「彼女」がよく告白を受けていたと後に聞いたが、その理由も分かる。美しく聡明な少女が自分の言うことを否定せずにいちいち頷いてくれる、その満足感はどれだけだろう。自分を全肯定してもらえることほど、心地の良いこともないだろうから。
 そして友人や教師の、全員の望みが一致することなどあるはずがない。だが、現実「彼女」はみなとうまくやっているように見えた。誰ともうまくやっていて、そして誰とも特別親しくなかった。誰にとっても都合の良い少女ではあったが、それ以上ではなかった。
 それを虚しいと思っていなかったはずはないだろうと皇子は思う。それが分からないというような鈍感さは持ち合わせていなかったように思われた。
 あの子は、と皇子はその面影を目の裏に描こうとしてみるが上手くいかなかった。非常に整った顔立ちであったことは覚えているのだが、何故か記憶が薄い。級友達も似たようなことを言っていたから、これは恐らく印象の問題なのだろう。
 だから「彼女」は幻になってしまったのだ。本当にそこにいたのかどうか分からないような、曖昧な存在感しか残さなかったから。
 皇子とてそれは同じだった。「彼女」のことは、曖昧な色のような印象でしか記憶に残っていない。だから彼と話した時の記憶は鮮明で、輪郭もくっきりと鮮烈だった。あれが彼の本質なのだ。
 動揺して青ざめた後、自分を強請っても何も出ないと呟いた声。いつか彼が少年であることが露見する可能性があると分かった瞬間の、諦めの早さと見切りの鋭さ。逃げていくのだと悟った皇子が差し出した餞別を撥ねつけた潔癖さときつさ。
 彼とだったら、少しは話が出来たかも知れない。皇子はそんなことを思う。自分の疑問を優先させてしまった幼さを今更後悔しても取り返せないが、孤独を知る者同士の共通が自分たちを結んでくれただろうか。
 もう一度会いたい。皇子は時々、そんなことを考えている。今度は少年として生きている、素の彼に会いたいものだ。
 あの時彼が処分してくれと言った魔導論文は、先に賞を取った時間の生成に冠する魔導理論の発展と展開だった。論旨を大まか記憶し、皇子はそれを自分で書き直して提出した。「彼女」の論文の抜けた部分や補足の足らなかった部分を説明し、半ば引き継いだような皇子のその論文は、やはり賞を取った。
 去年その検証実験が行われたが、呪文構成は皇子の論文に基づいて書かれたため、術者の魔導士は男性であった。「彼女」の足跡を消すことが出来て、皇子は真実、彼との約束を果たしたような気になった。賞金は使わずに残してある。会えたら渡してやりたかったから。
 皇子はいつしか、「彼女」と似たような場所にいた。飛び抜けて若く、魔導に才能があり計算に強く、虚弱な体質のせいで運動を休み、他人を寄せ付けない空気をまとって教室に座っている――
 「彼女」と自分は同じなのだ。「彼女」として生きていた少年が中庸の孤独を選んだように、皇子は孤高であることを選んだ。いずれにしろ、級友と呼ばれる者たちと話が合うとも思えない。
 ラインだったら、と皇子は思う。この弟であればそんなことはないだろう。きっと友人という輪の中に入って楽しく明るく生活を始めるに違いない。第4皇子という生まれなど感じさせないような気安さと、身分高く大切に育てられた者特有のまっすぐな愛らしさ、屈託なく他人を信じる人の良さがある。
 自分にはとても出来そうにないけれど、と皇子は内心で苦笑し、まだ心配そうにしている弟の肩を叩いた。
「大丈夫だよ、ライン。……向こうで雑技が始まるから見に行こうか。私たちがここにいてもすることもないしね」
 弟はこっくりと頷き、母にそこを離れる旨を告げて立ち上がる。その手を引いてやりながら皇子はまだ続いている花火を見上げた。
 彼は今どこで何をしているだろう。逃亡生活を続けているのだろうか、まだ少女として生きているのだろうか。だが、それは彼のためにはならないはずだ。いずれ大きな齟齬が生まれるだろうし、そうでなくても秘密が多いと呼吸をするのも苦しい。
 だが、彼が今を幸福だと感じていればそれでもいいことかもしれなかった。また会えるかどうかは分からない。魔導士を使って足取りを追ってもいいしそれは不可能なことではなかったが、皇子はそれをする気はないのだった。