第1話 出会いは突然に


 夕飯の買い出しに行かせた姉たちを待ちながら、あたしは待ち合わせの井戸にもたれて舌打ちをした。夕暮れはもう近い。あいつら一体どこで油売ってやがるンだろうと苛々しながら4本目の煙草に火をつける。大体もう25と23なんだから、買い物くらい自分で出来ねえとな。あたしはフンと鼻で笑った。
 もう覚えてないくらいに母親が死んで2年前に父親が再婚し、その後父も死んで新しい父がいるのだが、継母には娘が二人居た。二人とも継母に負けないくらいブスで性格が悪い。継母と義理の姉たちに虐められてこき使われるなんて、今時流行らねえっての。
 最初の頃、あたしに家事一切をやらせようとしやがったので、姉二人にはちょっと現実って奴を教えてやった。具体的にはボコにして半日井戸に落としてやったんだが、効果はテキメンで、やつらはあれ以来あたしの奴隷ってわけ。
 煙草を吹かしていると、馬鹿どもが帰ってくるのが見えた。
「ど、どうぞ、イーリス様」
 差し出された籠を受け取り、中味を確かめてあたしはふーん、と呟く。そうすると馬鹿1号がびくっとするのが分かった。
「あの、何か、イーリス様……?」
「釣りが少ねぇような気がすんだけど」
 じろっと二人の顔を見ると、馬鹿どもは怯え上がったように身を寄せ合って、それから馬鹿2号が口を開いた。
「お塩が値上がりしたみたいなんです、ほんとです」
「ま、調べりゃあすぐに分かるこったがな。そういうことにしといてやるよ、ほら、さっさと家に帰んな。あたしが怒られるじゃないか」
 流石に父にばれるとマズイので、継母と義父の前ではあたしは大人しくしているのだ。が、あたしにいいつかった用事は大抵奴隷1号と2号にさせている。継母も義父の前では大人しいから、いい勝負だ。大体、継子を奴隷にしようっていう、その根性がねじ曲がってる。まあこっちも大人しくしているふりしてこいつらをこき使ってんだから、おあいこだろう。
 馬鹿どもが家に戻っていくのを見ながらあたしは5本目の煙草を取り出した。少しは時間をおいて帰らないと、変に勘ぐられたらたまらない。あの馬鹿どもは完全にあたしの奴隷だからいいけれど、いつかあの継母にもぎゃふんと言わせてやりたいな、へっへっへ。
 そんなことを考えながらあたしは買い物籠を掴んで歩き出し、そしてふと足を止めた。
 ……何か、声がしたような気がしたのだ。なんだろう。あたしはきょろきょろと周辺を見回すが、しみったれたいつもの村以外のものは何もない。気のせいかと歩き出そうとすると、今度ははっきりと耳に聞こえた。
「そ、そこな乙女よ……」
 弱々しいけど確かに人の声だ。通り過ぎかけていた草むらから聞こえる。
 あたしはじっと考え込む。
 最近王都にどっかの国が攻め入ってきたとかで、こんな田舎には軍隊も何も関係ないんだけど、追われてきた騎士とかは時々見かける。その類だろうかと思いながら、でも変に首突っ込んで自分までとばっちりを受けるのは大迷惑だ。
 相手を見て格好良かったら助けてやろうと決めて、あたしは草むらを覗き込んだ。
「…………………………カニ……?」
 あたしはぼんやり呟いた。草むらに倒れて……るのかどうかよく分からないんだけど、とにかく甲羅を上にして落ちているのは確かにカニだった。結構見事なタラバガニ。
「カニではない!」
 急にそのカニが怒鳴った。さっきまで弱々しくこっちを呼んでたくせに、こんな時だけ元気になるのはみんな同じだ。
「カニではない、余は、余は、サティラーン15世なるぞ」
「はぁ?」
 サティラーン15世というのは確か、この国の王子だったような気がする。噂で聞くだけだけど、超絶美形で気高く優しいとか何とか…… あたしはじっとりと目の前のカニを見た。甲羅が傷ついていたり、足の動きがとろかったりと本当に傷ついてはいるらしい。
 あたしの視線に気付いたらしく、カニはゆっくりハサミを振った。
「今の私は本来の姿ではないのだ、乙女」
「ふーん」
 あたしはカニを草むらに戻して家に帰ろうと歩き始めた。ガイキチに関わったらいけない。カニだからちょっとだけ手当てしてやって回復したところをパクリでもいいんだけど、流石に喋るカニは抹殺しづらいのだ、あたしでも。
「ちょ、ちょっと待て乙女! 余の話に興味はないのか! 待てったら!」
 草むらからカニのサティラーン15世が叫んでいる。無視しようとしたあたしの足は、けれど次の言葉に止まった。
「話を聞いてくれたら王宮の侍女にしてやるぞ!」
 王宮の侍女。それはエライ人たちのお茶や遊び相手を勤める職業だ。勿論、豪華な食事にドレスに夜会に宮殿に…… 豪華絢爛なバラ色に塗り潰された空想が頭を一周し、あたしは足を返した。侍女という話が嘘だったら鍋でいい。聞くだけならタダだ。
 あたしが戻っていくとサティラーン15世はぷくぷくと泡を吹いていた。泣いてるんだろうか喜んでるのか、カニの感情表現はイマイチ分からない。あたしはカニを拾い上げて井戸まで戻り、取りあえず泥だらけの甲羅を洗ってやった。と、サティラーン15世は身もだえしてぜぇぜぇ荒い呼吸をしながらあたしの手を押しのけた。
「た、頼む、洗うなら塩分が5%程度の水にしてくれ……真水は身に染みるのだ」
 海生生物なのでどうやら真水はまずいらしい。あたしは注文の多さにむっとしながら真水を拭き取りついでに甲羅を綺麗にした。
「で、話って?」
 あたしは井戸にもたれて座り込みながら聞いた。自称サティラーン15世はうむ、とカニなりに重々しく頷いて長い溜息をついた。
「実は、王都に突然カルロ王国の軍が攻め入って参ってな……父上と母上は敵の手に掛かってお最期を遂げられ、私は魔術師の呪いにかかり、こ、このような、口にするのも汚らわしい、この姿に……うぅううう……」
 カニはひたすら泡を吹きながら主張していたが、あたしは半ば白けて井戸の石組みに蒸した苔を爪でひっかいていた。大体その話を良く考えると、実は王国ってとっくに滅びてるんじゃないのだろうか。田舎の村にはあんまり王様が誰でも関係ないからなあ。そうすると、王宮の侍女とか言うのはこの自称王子さまのカニの作り話に近い。
 あたしの反応が薄いことにサティラーン15世は気付いたらしく、乙女、と重い声を出した。
「私は王都を奪回し、父上と母上の敵を討ち、王国を復興せねばならぬ。どうか力を貸してくれまいか」
「それは別の人に頼んでよ」
 あたしは即答し、溜息になった。
「大体このカニが王子さまですって言われてさ、はいそうですかって信じる訳ないじゃん。それにあたし、今の生活が気に入ってんだ。大体、何であたしなのさ。他にも沢山、もっと頼れる人がいるでしょ」
「それが……魔法使いの呪いを解くには乙女の真実の愛が必要で……」
 なんじゃそりゃ。やってられるか。あたしが思い切り鼻白んだのを感じ取ったのか、カニはしかし、と強く言った。
「いずれ私を宮廷魔術師たるクレーロスが発見するであろう。私を安全な場所に魔法で飛ばしたのは彼だからな。クレーロスから話を聞いて欲しい。どうか乙女、それまで私を匿って欲しいのだ」
「見返りは?」
 サティラーン15世はちょっと怯んだように泡を吹いたが、やがて言った。
「王国を取り戻したら乙女の望みを全てかなえよう。だからしばらく安全な場所に……」
「分かった分かった」
 あたしは大きく手を振った。あんまり遅くなっても具合が悪い。
 既に日は落ちてしまっていて、継母が痺れを切らしているに違いない。あの女がきゃんきゃん吠えたところでちっとも怖くも何ともないし用事は全部あの馬鹿女どもにやらせればいいだけだから痛くも痒くもないんだが、煩いことは煩い。
「取りあえず、あたしの家に行こう。ていうか、カニが喋るとみんなびっくりするから絶対黙ってろ」
 自称サティラーン15世はこっくりとはさみで頷いた。
 家に戻ると案の定、継母がぎゃんぎゃん騒ぎ立てた。今日の夕飯は抜きだとかぬかしやがる。釣り銭まで文句をつけられて、あたしは多少腐り気味だ。夕飯はどうやっても抜き、になったようだったのであたしは部屋に引き上げた。あたしの髪に隠れて背中にしがみついていたサティラーン15世が降りてきて、何と非道い母親なのだとこぼしはじめたので、あれは継母だと教えてやった。
「そ、そうなのか乙女……そなたも存外苦労しておるのだな……なんと哀れな」
 カニに哀れんでもらわんでも結構だが、サティラーン15世は甲羅を震わせている。カニかどうかはともかく、優しいの部分はどうやら本当らしい。
「乙女、いずれ王国を取り戻した暁にはそなた、王宮にくるか? あそこなら誰もお前に無理無体をせぬ」
「あーはいはい、王宮っての、いいね」
 適当に返事をしながらあたしはサティラーン15世の甲羅を撫でた。夕飯はこれにしようかな。喋るカニってのに惑わされずに冷静になればこれは食料なんだし。
 どうしようかな、と思いながらあたしがサティラーン15世と適当に話をしていると、突然部屋の扉が開いた。なんだよ、と思いながらそっちを見ると義父と継母と馬鹿どもがあたしを異様な目で見ている。
「イーリス、一人で先ほどから何を喋って……」
 義父は言い掛けたのを途中で何故かやめ、そしてイーリスと怒鳴った。あたしは首をすくめた。義父はつかつかと歩み寄ってくると、サティラーン15世を掴んでおお、と体を震わせた。
「エビカニはご禁制になったのを知らんのか、イーリス」
「なに、それ」
 初耳にあたしはきょとんとした。義父は真っ青になって震えている。
「法律が変わってエビカニは飼うのも駄目、売買も駄目、もちろん食べるのも駄目になったのだ、イーリス。死刑になるんだぞ」
 あたしはぎょっとしてサティラーン15世を見た。さっき言いつけた通りサティラーン15世はあたし以外の人間がいるから口を聞かないが、このタラバガニを所持しているだけで死刑だなんて、そんな馬鹿なことがあるか。
 あたしが呆然としていると、義父はサティラーン15世を掴んであたしの胸に押しつけた。
「お前がこれを持っていたことが分かると俺たちまで死刑になる。今すぐ出ていけ、イーリス」
「ちょ、ちょっと待ってよ、甲殻類が駄目って何で……」
「お偉い人のすることなんか知るか! とにかく出ていけ、イーリス! お前はうちとは関係ない娘だからな!」
 何かを反論する暇もなく、あたしは蹴り出されるようにして追い出された。義父の肩越しに見えた馬鹿1号2号の嬉しそうな顔ったらなかった。
 忘れ物だ、とあたしに更にサティラーン15世を放り投げ、義父はばたんと扉を閉めた。あたしは急いで立ち上がり、扉を蹴りながら叫んだ。
「馬鹿野郎、この家はなあ、あたしの父さんが働いて建てたんだぞ、全部横取りしやがって! 出ていくのはお前らだろう、返せ、返せよ、あたしン家!」
 そうやって喚いていると、隣の家のババァが顔を出した。
「あらまあイーリスちゃん、一体何を……」
 が、そのババァもサティラーン15世を見た瞬間に顔が固まった。エビカニ禁令というのはどうやら本当らしい。
「い、イーリスちゃん、そのカニ……いいえ、見なかったことにしてあげるから、はやくおうちへ入りなさい、ねっ」
 それだけ言ってババァも引っ込んでしまった。あたしは怒りでふぅふぅうなりながら、家の扉をがつんと一発蹴った。
「くそう……覚えとけよお前ら……絶対にいつか後悔させてやるからな……!」
 あたしは呟き、そして固まったままのサティラーン15世を抱き上げた。
「すまない乙女、おそらくカルロ王国の者たちが私がこのような姿に身をやつしていると知って、密告を促す為に禁令を出したのであろう……」
 心底申し訳なさそうなサティラーン15世にあたしは言った。
「ねえ、王国を取り戻したら何でもしてくれるって言ったの、ほんと?」
 あたしの低い声に、サティラーン15世は重々しくそうだ、と言った。
「何でもそなたの思うままじゃ、乙女」
 よし、とあたしは頷いた。追い出されて行くあてもないし、密告に賞金が出ているなら絶対に義父と継母はあたしを訴えるだろう。要するに、掴まったら死刑だ。なら、やれるところまでやったろうじゃないか。
 覚えてろ、こんちくしょうめ! あたしと蟹が王国を取り戻した暁には貴様ら全員まとめて蒸し焼きにしてくれる!
 あたしはサティラーン15世をむんずとつかみ、夜の中へと走り出した。


 そしてここから蟹と王国の、サーガが始まる。