第2話 恋の魔法は唐突に


 ぼくはきのう、はじめてのおつかいに、いきました。おかあさんがびょう気なので、ぼくとおにいちゃんで、おかあさんのかわりにお店にいくことにしました。おかあさんは、
「さい近は人げんがつよいので、気をつけてね。」
と、言いました。おにいちゃんが、
「だいじょうぶだよ、おかあさん。人げんなんて、おれがやっつけるよ。」
と、言いました。ぼくは、ちょっとこわかったけど、おにいちゃんもいっしょなので、いっしょにいこうとおもっていきました。
 おみせは森のさきの、ガゼーおばあちゃんのおみせです。ぼくたちのしゅるいは、スライムといいます。ぼくたちはおにくを食べるので、おにくを買いに、いきました。
 おかあさんがおかねをくれたので、おにいちゃんがおかねをもってふたりでいきました。おかあさんが、
「おつりでおかしを買っていいわよ。」
と、言いました。とてもうれしかったです。
 そうしたら、ガゼーばあちゃんのおみせにいくまえに、森をあるいていたら女の人がいました。
 女の人は
「あり金ぜん部おいていけばいのちだけはたすけてやるぜ」
と、言いました。おにいちゃんがいやだというと、女の人は、おにいちゃんを木のぼうでいっぱいたたきました。おにいちゃんがうごかなくなると、女の人はおにいちゃんのもっていたおつかいのお金をとりました。
 ぼくは、
「それはおつかいのお金です。」
と、言いました。
 そしたら女の人はぼくもたたかれたので、ぼくは一しょうけんめいはしって、家にかえりました。つぎの日におにいちゃんを見にいくと、おにいちゃんはからからになっていて、うごきませんでした。おかあさんは、
「おにいちゃんはしんだのよ」
と、いいました。
 とてもかなしくて、ぼくはいっぱいなきました。とってもかなしかったです。 




「……チッ、しけてやがんな」
 あたしはぶちのめしたスライムからむしった銅貨を数えていや~な顔をした。まったくこの森のモンスターどもと来たら、もうちょっと人間様を襲ってがっぽり持ってるんだと思っていたが、意外にしみたれている。これはもうちょっとこの森でスライムやらこうもりやらと格闘して、さっさと戦闘用のナイフでも買うべきだな。そんで、襲うのを雑魚モンスターから人間に路線変更すりゃあもうちょっと実入りが良くなるっていう仕組み。なにしろあたしは稼がなくてはならないのだ。世界を救うためでも王子を守るためでもない。……だって金がなくっちゃ飯も食えないじゃないか!
 時々、いっそのことあのカニ食ってやろうかと思うのだが、なかなかチャンスがつかめない。カニのくせに妙に気配に敏感で、あたしが奴を食おうかどうしようか迷っているときに限って、王宮の話を持ち出したりするのだ。正直、王宮には魅力がある。3食昼寝付きで毎日遊んで暮らせる場所だ。国家権力にも関心がないわけじゃない。真っ先にあの義父と継母を血祭りにあげて馬鹿1号2号をあたしの奴隷にしてやる……ということを考えるに、サティラーン15世を食べるのはもっとせっぱつまってからでもいいやという気分になるのだ。
「乙女すまない、私がこのような姿であるばかりに……」
 あたしがモンスターをひっくり返して有り金をあさっているのをみて、サティラーン15世は声を震わせる。その声が未だにどこから出ているのかよく分からないのだが、しかし戦闘が終わってあたしが金を探していると必ずこの王子様はそんなことを言うのだ。しかも微妙に声が震えている。
 別にいいよ、とあたしは言った。巻き込まれたのは本当なので、厭になったらこいつを食って全部終わりにしてもいいのだから、サティラーン15世が考えているよりも実はあたしは楽天的に構えている。
 しかしあたしの言葉にいたくサティラーン15世殿下は感激あそばしたようだった。ぶわーっと泡を吹いている。最近気付いたのだが、目を潤ませる代わりにサティラーン15世は泡を吹くようなのだ。あたしは溜息をついて言った。
「ちょっと、泡吹かないでよ」
 泡を吹くとカニは不味くなる。最終手段の食料なのだから、大切にしてやらなくちゃ。ご禁制だの何だの、関係ない。森の中で一息に殺って、あとはミソまできれいに舐め尽くして甲羅を土に埋めてはいおしまい、だ。だがサティラーン15世はあたしの言葉を違うようにとったらしい。乙女、と感極まったような声でふるふる震えだした。泣き上戸というか泡癖があるというか、もう鬱陶しいったらありゃしない。やめてよ、とあたしはもう一度言った。
「泡ばっかふいてないで、その辺の枯れ木でも拾ってきてよ。今夜はこのへんで野宿だからさ」
 やっかい払いと雑用をかねて言いつけると、それを 一体どうこね回してそんな解釈になったのか知らないが、サティラーン15世はまたふるふる泡を吹く。
「乙女はいつも前向きでひたむきで、とても強いのだな……余の身の回りにはそんな女性はおらなんだ。乙女、どうかこれからもよろしく頼む」
 ……こいつは根っから善人なのと単なる馬鹿と、一体どっちなんだろう。
 この場合、あたしは顔が良ければ善人で普通以下は馬鹿と呼ぶことにしているが、なにせ相手はタラバガニである。この時点で本来は馬鹿と結論してもいいが、王子という肩書きに免じてやってもいいような、駄目なような。
 あたしはあきれ半分で溜息になり、ありがとねと気のない返事をした。
「ああ、それとさあ、乙女ってのやめてよ。なんかさあ、小っ恥ずかしいんだよね」
 正直、背中がかゆい。と、サティラーン15世は急にふわーっと甲羅を赤くした。最近はカニの喜怒哀楽が分かってくるようになった自分に、ほんのちょっぴりだが嫌気がさす。
「で、で、で、では、なんと呼んだらいいのか教えてもらえぬか」
 ……何を照れてるんだ、この蟹は。あたしが眉をひそめると、カニはさらに赤くなりながら、では、と言った。
「では、『朝露の薔薇』とかはどうであろう?」
「……はァ?」
「で、では『勝利の輝乙女』は?」
「……」
「ならば『麗しの蝶』などはどうだろう? 他にも『微笑みの月』とか『誘いの虹』とか……そうだ、私たちが出会ったのが夕暮れであったから、『黄昏の真珠』とか……」
 何故かサティラーン15世はもじもじとはさみをすり寄せて、照れを隠すのに必死である。その奇妙にきらきらゴージャスな名前にあたしはあっけにとられ、少しの時間をぽかんとして過ごした。が、乙女だけでもむず痒いっていうのに『黄昏の真珠』。冗談じゃない。あたしは長い長い溜息をついた。
「……イーリス。名前はイーリスだから、そう呼んでよ。『黄昏の真珠』って呼んだら二度と口きいてやんないからね」
 サティラーン15世は何故かますます照れ照れと足で土をひっかいていたが、やがてイーリスとあたしを呼んだ。何よ、と返事をするとサティラーン15世はそわそわと甲羅をゆすりながら、はさみをあげてあたしの服の先をちょんちょんひっぱった。それはサティラーン15世があたしにかがんで欲しいという合図だ。仕方なくその場に座り込んだあたしの手をそうっとつまみ、サティラーン15世は乙女イーリス、と言った。
「どうか余のことも、その……お前の好きな名で呼んでくれまいか……余は、余は……そのぅ……イーリスと旅をするうちに、乙女の清純で強い輝きが我が心を夜明けの太陽のごとく照らすのを感じたのだ。既に余の心はそなたイーリスのもの。イーリスが望むのならばたとえこの世の果てに落ちているという真実の宝石でさえ手に入れよう。余は、余はそなたへの恋に囚われて日夜胸の痛みに身を焦がしておる。余はそなたの愛の奴隷、そなたの微笑みは幾千幾万の星よりも余の胸に輝き、そなたの吐息はどんな嵐よりも余の心を騒がせる。だがこの苦しみこそ恋の喜び、無上の切なさをどうか分かっておくれ、イーリス、我が麗き黄昏の真珠」
 サティラーン15世はもう、茹で上がったみたいに真っ赤だ。芝居の台詞のようなことを一気にまくし立てられて、あたしも少しくらくらする。……何言ってやがるのか、半分も分からねぇよ……
 ただ一つ分かったことは、こいつが善人でも馬鹿でもないってことだったろう。
 ───こいつは、天然だ!
 なんだか一匹で勝手に盛り上がっているサティラーン15世に、あたしは辟易しながらあのねえ、と言った。
「その変な名前で呼ぶのやめろってさっき言ったじゃんか。今度そんな名前で呼んだら本当に承知しないよ。分かった?」
「……うむ、余はイ、イーリスの言うことには従おうとも。そうだイーリス、代わりに余を好きなように呼んでくれまいか」
 あたしは近所の犬がごろんと転がって腹をさらした姿をふと思い出した。あれは可愛がって欲しいときの仕草だ。あたしは溜息をついて言った。
「じゃ、サーちゃん」
 考えるのも面倒くさい。だが、その適当な呼び名にも、サティラーン15世はぶるぶる甲羅をふるわせて感激している。
「イーリスと呼んだらサーちゃん……くふぅん」
 などと上機嫌に呟いて身をよじる姿にあたしはもうどうにでもなれという気持ちになり、スライムの有り金を探すのをやめて死骸をその辺の草むらに放り込んだ。仕掛けておいた罠にかかっているモンスターがいれば動けないところを滅多打ちで成敗しなくては。とりあえず森の中でかきあつめたキノコだの鳥の卵だので今は食いつないでいるが、肉が食べたい。盛大に肉が食べたい。そのためにはモンスターをこつこつ倒して金を貯め、まずナイフと顔を隠すための覆面を買って……
 あたしが手順をもう一度頭の中で確かめていると、突然サティラーン15世が叫んだ。
「クレーロス!」
 止める間もなくカサカサと横ばいでサティラーン15世が走っていく。エビカニに関わるものはご禁制で見つかったら死刑と決まっている。あたしはあわててその後を追った。
「ちょっと、サーちゃん!」
 愛称とやらで呼びながら、あたしがサーちゃんに追い付くと、その目の前で魔法使いのローブを着た男がカニをすくいあげた所だった。フードで顔は見えないが、男だってことくらいならわかる。
「おお殿下、殿下、ようご無事でいらせられました……このクレーロス、殿下のご無事をどれだけ案じておりましたことか……!」
 そのまま感極まってカニを抱きしめたまま、魔法使いはオイオイ泣き出す。ちょっと、とあたしはサーちゃんをかかえたまま感激に浸っている魔法使いの膝を足でつついた。
「あんた、誰? サーちゃんの知り合い?」
 用心はしなくてはいけない。一応これでも王国復興を目指す身なのだ。それにこいつが不審人物と分かったら容赦なく縛り上げてあらいざらい剥ぎ取るのが吉だろう。魔法使いの持っている杖や本は高く売れるのだ。
 と、魔法使いの腕の中のサーちゃんがあたしにはさみを振った。
「これは以前話をしたであろう、宮廷魔術師のクレーロスというのだ。余の忠実なるしもべであるから、遠慮は要らぬぞ」
 ああ、なんだかそんな話もあったような気もする。確かサーちゃんの味方だったような覚えがあって、あたしはふうん、と頷いた。
「クレーロス、この乙女は余を救ってくれた勇敢な女性だ。王国復興と余の呪いを解く手助けもしてくれるということになっておる」
 ……サーちゃんの呪いを解くには乙女の真実の愛とかいうものが必要だと聞いた気がするのだが、それは一体どういう意味なのか。あたしが黙っていると、照れくさそうな声音でカニは付け加えた。
「何しろ我々は既に、サーちゃん・イーリスと呼び合う仲なのだ」
 絶句したあたしの目の前で、そうですか、と魔法使いは頷き、そしてフードをとった。
「……う……っわー……」
 あたしは思わずごくりと息をのんだ。フードの下からでてきたのはまるで絵画の中から抜け出してきたような、正真正銘の美形だった。真っ白くてきめの細かい肌に真っ青な瞳、そしてサラサラの長い金髪。すっきりした目元と薄い唇は今まで見た中で一番の美形だ。これからも一番の美形であり続けるだろう。すごい……か、かっこいい……
「殿下をお助けくださり、また我々に力をお貸しくださるとのこと、このクレーロス真実感謝申し上げましょう」
 そう言ってクレーロスはサーちゃんをそっと地面に置き、膝をついてあたしの手の甲に口づけをした。あたしはぼうっとして、その手をさすった。クレーロスはふと唇をゆるめて笑った。その笑顔がまた、何ともいえないほど素敵だ。たまらん。こんなカニうっちゃっておいて、こいつと旅がしたい……!あたしがごくっと息をのむと、クレーロスは眉根を寄せてこちらを見上げてきた。とにかくどんな表情をしていても撲殺されそうなほどの美形オーラがじんじん出ている。何もかもが絵になるのだ。
「ああ、いや、そのぅ……」
 あたしが言葉を探していると、クレーロスは淋しげに笑った。くうぅ、その顔がまた格別だ。
「失礼をいたしました、姫君。私など殿下に比べればものの数にも入らぬ身、殿下の麗しきお姿と比較されるに甚だ恥じ入るばかりにございます」
「……ちょっと待って。サーちゃ……あの、サティラーン15世ってさ、美形……なの?」
「ええ、国中で一番美しく凛々しいお姿でございました。今はあのにっくき魔女めの呪いでこのようなおいたわしいお姿に身をやつしてございますが」
 何かを思いだしたのか、クレーロスの宝石みたいな目が潤んでぽろぽろと涙がこぼれる。あたしはサーちゃんにじっと視線をやり、クレーロスをまじまじと見つめた。
「あのさ……例えばあんたとサーちゃんだったらどっちが美形だって言われてた?」
 クレーロスはきょとんとした顔をし、ゆっくり首を振った。
「私など殿下の足元にも及びませぬ。何故なら……」
「よせ、クレーロス」
 カニが不意に言った。
「今の余はそのような賛辞を受けるに値せぬ……呪いを解き元の姿に戻ったならば、その話も聞けようが」
 そうでございますね、とクレーロスは悲しげに俯いた。またその顔があたしの心臓にどんぴしゃだ。
「ともかく、今後のことをご相談申し上げねばなりません。……乙女、どうかこれからもご協力くださいませぬか」
 クレーロスの言葉にあたしはこくこく頷いた。こんな美形に頭下げられて厭だといえる女はいないだろう。……それに……
 あたしはサーちゃんをちらっと見た。トンチキなカニの姿をしているが、これは王子だ。国王がおっ死んでるから、王子と言うよりは国王だ。しかも王妃も一緒に死んだってサーちゃんは言っていたから、小うるさい姑もいない。家付き、金付き、権力付きの王子様がもし本当にクレーロス以上の美形なら……
 あたしはサーちゃんを拾い上げた。
「早くサーちゃんの呪いがとけるように頑張ろうねっ」
 囁いたとき、腹の底から新たな気概がふつふつとこみ上げてくるのを感じてあたしはにやりと笑った。


 ───そして、救国伝説が始まる。