序文

夜静海濤三万里   月明飛錫下天風

 この本の刊行の初年にあたる本年は、旧皇国が(たお)れて丁度三十年の節目の年となる。旧国の未曾有とも呼べる歴史の長大さに比較すれば微々たる暦年であるが、しかし我らと我らの親や祖父母の世代が勝ち取った改革の灯火は未だ熱く、我々の胸に希望の光を投げているものと私は信じている。
 旧皇国の歴史はことに序盤、神格・伝説化された部分を多く含み、また国秘という鉄壁の向こう側にあってそれまで殆ど研究も検証もされずに至ったが、国斃れた後にようやくそれが許された。
 ゆえに当初、神格化された伝説や逸話は故意に(おとし)められ非難と批判の対象とされてきたが、その狂熱は既に去り、我々は冷静に歴史を検証するべき時期に来ているはずである。
 シタルキア皇国の歴史は決して歴史検証委員会があら探し(・ ・ ・ ・)をするための材料ではないし、鋼鉄の箱に入っていた資料を無理矢理つなぎあわせて揶揄するためのものでもない。
 歴史は学ぶ者にとって含蓄多い示唆であり、資料に埋もれて見る壮大な夢である。だからこそ二千年の時を超えて公開された諸処の資料を必要以上に貶めてはならないのだ。
 そしてこれは歴史書ではなく小説である。歴史の本格的な検証は歴史学者に任せておけばよいが、私は研究とは違う方向からシタルキア皇国という二千年余の命を誇った国家の初端を構築したいという衝動に昨年からとりつかれており、今ようやく発表できる機会を得てこの序文を書いている次第である。

『太祖皇帝、名をエルシアン、中名をクリス、国号シタルキア、姓をエリエアルと称す。諡号は聖極斉天紅神皇帝(せいきょくせいてんこうじんこうてい)、諡名を聖天帝と称す。シタルキア王国第十七代国王・戒前王(カルシェード)が第二十二子にして第十三王子、母の名は未詳(つたわらず)崩御(くもがくれ)られて後、(この間記録なし)に喪哭(祭礼)し、その後(この間記録なし。前記と併せて故意に破棄した可能性が高い)に御葬奉る──』

 正史『聖天帝本紀』の冒頭部である。エルシアン帝の軌跡は神格化の中にあって、彼に関する記述は奇跡という名の脚色に殆どが費やされている。それらを検証しつつ取り除き、事実と思われる部分に自分になりに解釈を加えたものがこの小説であると考えていただければと思う。小説を楽しんでいただければ幸いである。

 また、本書の執筆にあたり様々ご協力いただいたアネキス氏とレメ氏に心より謝意を表するものである。

共和暦三十年  自宅にて  ミカ・エリン