夏の扉2

 ……皇太后からの誕生日の贈り物は剣の下げ緒とマントの止め金だった。それぞれ黒耀石と色の深い紫水晶で飾られている。エルシアンの髪と瞳の色に合わせてあるのだ。

 つけてみるように言われてエルシアンはマントを止めるピンを引き抜き、もらったばかりのそれを同じ場所に当てた。

「よく似合うわ、エルシアン。お前は本当に着飾りがいがある子だね」

 皇太后エレイナは上機嫌のままに背後に立つ侍女を振り返る。ねぇ、と同意を求められて侍女は深く頷いた。蝋燭の灯に侍女の白金の髪の光が淡く揺らいだ。エルシアンは侍女と僅かに視線を合わせて笑う。

「ありがとうございます、おばあさま。大切に使います」

「間違ってもあの子にやってしまっては駄目よ」

 念を押されてエルシアンは苦笑になる。あの子というのはこの場合リュードのことだ。リュードは宝飾品を好きで集めているが、エルシアンも何度か巻き上げられているし、女に貢がせるし、無軌道を絵に描いたようだった。

「おばあさまからだと言えば少しは自重するでしょうよ」

 エルシアンは肩をすくめる。だが口で言うほどリュードを(いまし)めようなどと思っていないのはエレイナにも分かっているようだった。本当かしらと呟いて笑っている。

 この日エルシアンは十八才の誕生日を迎えた。父王から遅れること二日だが、本当にこの日に生誕したのかは定かでない。母親がいない、のは死別したからではなくて不詳だからなのであった。

 誰だか分からない女の子供だとはじかれても不思議ではないが、父は自分を息子だと認知はした。

「お前ももう十八になるのね。早いこと。ここへきた頃はこんなだったのに」

 エレイナは椅子のひじ掛けあたりに手を置く。エルシアンがエレイナに引き取られたのは一才を越した頃で、それまでは王宮勤めの侍女や女官の手を右往左往して育ったと聞いていた。その理由については彼女の死んだ息子にエルシアンが似ているということだが既に絆は固く結ばれており、理由など最早どうでも良かった。

 大切なのは、とエルシアンは思う。エレイナは祖父王の正妃で父王は側腹の王子、二人の間に血縁関係はない。エレイナから見れば父王は夫が他の妃との間に作った子供である。つまりエルシアンとエレイナは他人なのだ。

 だが、エルシアンを育ててくれたのはこの他人であるはずの老女であった。深く絡んだ絆の強さと深さだけが自分たちをつないでいる。そう思うと尚更他人であるだけに大切にしようとも思った。

 血の繋がらない祖母から貰った贈り物を丁寧にマントから外し、エルシアンは髪を解く。普段は王宮の作法など適当に聞き流して髪は結ばずに流してあるのだが、今日はエレイナとの多少改まった夕食だったから準拠した。その可笑しさはエレイナにも伝わっていたようで、今日はきちんとした格好で来たわねと笑われたものだ。

 下げ緒の両端にも黒耀石と紫水晶の飾りがついている。下げ緒自体は白金と金を細く糸状にして寄りあわせたもの、これ一本でどうやら田舎の別荘が買えそうだ。

 これは学院へは持っていけないな。エルシアンは溜息になる。

 エルシアンが王子であることは隠されているわけではないが喧伝しているわけでもない。実際、友人たちは自分が貴族であることを知っていても王族であるとは思っていないだろう。

 儀式や礼典のときに使うものにはまた細かな定めがある。王宮の中にいるときに髪をまとめる飾り紐として使うのがいいかも知れない。やっと使い道を見出してエルシアンは苦笑した。

 夕食を終えてしばらくエレイナと歓談してからエルシアンはこの館の自室へ戻る。成人するまではここで暮らしていた。

 王宮は国政の中心として機能する「太陽宮」と呼ばれる部分と、王族の私生活の場である「蒼月宮」に分かれているが、エレイナの館は蒼月宮の更に深み、王宮全体の真の奥城に位置している。この時間になると夜の庭園を抜けて近道を回っても歩いて帰るのは億劫だった。

 王族は基本的に自分の居場所をいかなる場合にも明らかにする義務がある。エルシアンが今夜ここへ止まるのは既に蒼月宮を管理している部署へ連絡が行っていた。不便なものだが仕方がない。一般の平民たちよりは随分贅沢な暮らしをさせてもらっているのだから、多少の不便は受け入れなくては。

 それに、とエルシアンは自分がいた頃のままになっている部屋で衣服を弛めながら笑う。

 ……大体、それは「何かあったときに責任をおう立場の王族」のための制度だ。今までも何度かリュードと口裏を合わせて外泊を重ねているが、ばれて叱られたことは一度もない。それにあぐらをかいているのも良くないと分かっているが、緊張した空気のときは外には出ないでおこう、程度の認識に落ち着いていた。

 小さく扉が叩かれたのはその時だった。いいよ、といってやるとするりと音なく滑り込んできたのは先ほどエレイナの側にいた侍女だ。結いまとめられていた髪は今はゆったりと解かれており、眩しい白金の色味の薄さが清楚で胸に響く。

 ナリアシーア、とエルシアンは呼んだ。こくりと頷く仕種が愛しく、仄かに笑った唇が愛しい。ほっそりとした体の上にのっているのは何よりも美しい、絶対の美貌だ。どんな地上のものよりも神々に愛された宝石のように輝いている。

 ナリアシーアは窓際に立っていたエルシアンの側へ寄り添うとその場に座った。エルシアンもつられるように椅子に腰を下ろす。細い声が殿下、と言うのが聞こえた。

「お誕生日おめでとうございます」

 うん、とエルシアンは穏やかな返事をしてナリアシーアの髪に触れる。ゆるい波を描く美しい絹糸がさらさらと手の中で音を立てた。

 これ、と差し出された包みはエレイナに比べて相当小さい。受け取って包装を解くと、中は髪をまとめるための飾り紐と髪飾りだった。同じ意匠をこらしてあるから揃いで使えるものだ。これがナリアシーアからの贈り物だった。材質は絹だろうか。

「陛下のに比べると、恥ずかしいんですけど……」

「あれと比べるのがおかしいよ。それに、君がくれるなら何でも嬉しい」

 それは偽りない気持ちだった。

 ナリアシーアの家は貴族の格の中でも低いほうから数えたほうが早い。門閥の係累などでもない。金銭的に豊かであるとは思えない。

 ナリアシーアに出ている侍女としての給金は家に入れていると聞いたことがある。彼女の細々とした小遣いあたりで買うのがやっと、なのだ。

 物よりもそれをしてくれる心のほうがエルシアンには何倍も嬉しい……急にエルシアンは立ち上がった。ナリアシーアが驚いたように彼を見上げた。エルシアンはゆるめていた衣服の襟を多少戻しながら空を見る。満天の星に輝く月、雨は降っていないようだ。

「ちょっと部屋、行ってくる」

 蒼月宮のですか、とナリアシーアが聞き返した。エルシアンは頷いた。

 エルシアンの部屋は太陽宮に程近い、他の王族たちと分けて使っている居宮の一角になる。蒼月宮という言い方自体がいわゆる後宮の総称であって、実質はこうした居宮や小宮を温室や回廊で繋いでいる建造物群だ。

 このエレイナの館は蒼月宮と一般に呼ばれているあの建物の森からは庭園を抜けて丘を越え、更に馬場や池などを挟んでいて遠い。エルシアンは近道を知ってもいるが距離があるのは否めなかった。

「すぐ戻るよ。ここで待っておいで」

 エルシアンは言って露台へ通じる硝子戸を開いた。丁度良い位置に植えられている木の枝をつたって下へ降りてしまうのだ。帰りも同じ道筋を通って自室に戻る。

 昔からこの順路で夜中、よく池まで泳ぎに行くのだ。夜の池は人気がなくて涼しい。

 ナリアシーアが外してあったエルシアンの夏向きのマントを取った。夏とはいえまだそれは始まったばかり、夜露が降りれば肌に寒い。マントを受け取って腕に巻きつけ、エルシアンはもう一度ここで待っているようにと言った。

 学院が休みに入ってからリュードと一度王都の市街へ「自主補講」の名目で遊びに行ったときに彼女の為にと買っておいた夏向きのレースのショールがある。

 ナリアシーアにちょっかいをかけるんじゃありませんよと最初に彼女に出会ったときにエレイナに釘をさされているから、祖母の前で女物の贈り物をぶら下げて歩けずに持ってきていなかった。見つかってしまえば「お祖母さまに」と差し出さないわけにゆかないだろう……それは勘弁。

 地上へ降りて一度自分の部屋を振り返れば、ほのかな明かりを背にしてナリアシーアがこちらを見ているのが目に入った。小さく手を振り、声を立てずに何か口を動かしている。気をつけて、だろうか。

 エルシアンは軽く手を挙げて夜の庭を急いで渡り始めた。