星の挽歌/筆者不明、日々録、帝暦百年以前(3)

写影:共和暦25年2月24日
訳:ミカ・エリン

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【帝暦二十四年 一月七日】

 帝都。曇り、日没過ぎて月。*1シュアル公が任地帰還の挨拶に見えた。何か見繕うよう妻へ指示。後から黒檀の文箱と報告あり。書簡二通、五弟へ。

 夕餐の後に多少酒。先帝陛下は大層お好きであられた。二弟が「また先の陛下のことを考えておられる、よくもすり切れぬものだ」といつも笑うが、時間が遠くなるたび、むしろ一層記憶鮮明である。これはどうしようもない。二弟は陛下に長く接したわけでもないからこうであるが、あの方を決して悪くは言わぬ所は安堵である。先帝陛下の感化能力は強い。思い返せば当人は欠点のほうが多いが、しかしその輝きは眩しく偉大であられた。
*2烈王を寛恕くださり、今も祭礼を出来ることは感謝している」とは二弟の言。しかし祠祭を継続出来ていることは先帝陛下のご寛恕よりは今上陛下のご寛容である。先帝陛下は許すとは仰ったが、具体的な許可を決めることは出来なかった。*3公を特に今上帝がお気に召しておられる故であろう。
 文衡の剣の稽古を昼間見たようだが苦笑。*4い弟子を一人持てば終わりということだ。子供らは弓も大して物にならぬ。「大哥と同水準でお考えになるな、可哀相ですぞ」と二弟は言うが、我々は軍門家閥として*5エルナに成り代わる運命を食った以上、どんな悪食あくじきにもならねばならぬ。武芸は目されるようでないと居心地が良くないし、ラウール公との均衡も今のまま崩す訳にもゆかない。
 ラウール公の話が出る度に二弟の言うことは同じである。和解など出来るはずもない。彼は私に向かって裏切り者と言ったが、私と先帝陛下の間で既に決着した話に彼は関係がない。それに口を挟んだ挙げ句に必要最低限を除いて関わろうとしないのはあちらである。
 それを理解していながら彼と和解の為に接触するなど言語道断である。ラウール公から打診してくるのであれば応ずるかを検討しても良いが、まず彼が私に謝罪するべきである。それからならば話をしても良いと言うと二弟は面白くなさそうである。無論あの頑固なお人にはしがたいことであろうと私も知っている。知っているゆえ、これは難癖である。二弟もまず溜息になる。
「それより淑人に星の片鱗があることは誠によろしかったな」話を回避。二弟へは帝都の友人達へ会いにゆくよう、勧める。死は避けられぬが、せめて心残り少なくとは考える。

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*1 ミシュアル公
 現在のミシュア州。当時はカシューあたりまでミシュアルと呼んでいたようである。領主はクースト侯爵、州都はオレセール。オレセールを古語記述すると読みはオレセアルとなる。建国伝説発祥の地である。

*2 武烈王
 シタルキア王国最後の王太子、アスファーン・エリエアル。太子ではあったが即位はしておらず、シタルキア王国での職責の最高位は摂政。異母弟エルシアン・エリエアルとの壮絶な権力闘争の末に敗れ、首を刎ねられたとされる。
 当時の信仰解釈では斬首は最も重い罪の代償とされているが、死後一年で「王」の追号を受けている。正史では諡号を武照烈恵封王、諡名を武烈王。

*3 恵公
 文脈からラウール大公の長男であるエスラスト公と思われる。二世皇帝フォルシード一世と懇意であり、当人は詩・戯曲を多く残した芸術侯爵。

*4 良い弟子
 この「二弟」が誰であるのかが問題であるが、当時の剣の名手として伝えられている者のうち、漢氏は二人しかいない。また、イ・ユーファーとラファーナの二人は師弟関係にあった。
 二弟がイ・ユーファーであるとすると大哥と呼ばれている手記主はイダルガーン大公であり、弟子であるラファーナとは始祖帝の皇后であった蘭芳皇后である。

*5 シエルナ
 セゥリエード・シエルナを祖とする当時の軍門貴族。シタルキア王国時代から貴族の中でも筆頭格の扱いを受けていた名門。始祖帝エルシアンとは姻戚関係にもあったが当主の戦死が続き、衰退してゆく。変わって栄華を誇るようになったのがイダルガーン大公を筆頭とするイ一族である。