星の挽歌/筆者不明、日々録、帝暦百年以前(4)

写影:共和暦25年2月24日
訳:ミカ・エリン

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【帝暦24年 1月13日】

帝都。晴れ。来客なし。書簡なし。

 午前、二弟アリエドへ帰投す。道中の安全を祈る妻子を見れば複雑であるが、仕方がない。この上は苦しまず、素早く星の循環へ魂が戻ることを祈るばかりである。
午後より御前会議。ラウール公の険強けんづよい声を思い返せば不服としか感じない。彼は一体いつまで義憤とやらを飼うつもりでおるのか、見当がつかぬ。有り体に表現するならば、うんざりしている。
「戦と簡単に仰るが、矢羽根一枚やじり一つ、その全てが国庫からの出金であることお忘れ無くお願い申し上げる。貴公のお声一つで随分金蔵かねぐらの鍵もゆるむというもの」などと言われても公式の発言で無いゆえ、無視でよろしい。
 陛下のほうが困惑されてしまい、後日後宮へ参上するよう申しつかる。個人的な感情を持ち越して陛下の御心を騒がせる方がよほど罪である。
 そもそもラウール公が*1方航路の開拓とファリーム王国への*2迫政策で狂ったように紙貨幣を刷り、債権と貨幣への信頼価値を大幅に下げたことが現在の窮状を産んでいる。その挙げ句ファリーム王国への内政介入を乗切れず、まさしく貸し倒れとなったことを責めないのは慈悲というものだと理解して欲しいものである。貨幣信頼のために西海岸回航路の確保と自治都市の攻略などという、本来必要では無かったはずの戦が起こることを彼はどのように考えているのか。愛想を差し出すべきは自分ではない。

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*1 南方航路
 当時の航路図は現存していないが中継港などの港運履歴などからマルジー(現マージ市)からカイルー島を経てファリーム本島のナチ港、ジン(現イリス市)へ到着する航路が南主路であったと推測されている。当時のミシュアル(現ミシュア市)は開発が始まったばかりで交易中継点の巨大都市として君臨するのは帝暦1400年代以降である。
 また、西海岸航路については記録が少ない。これは都市連合が各組合の利権に配慮を多くしていたために、密航路が非常に多かったためと言われている。西海岸航路の開発はシタルキアによる自治都市攻略がほぼ終了した帝暦四十年代以降からである。

*2 圧迫政策
 当時シタルキアはファリーム王の異母兄で、国内の人気が高かったガルフリーズ公の擁立運動をしていた。ガルフリーズが即位を果たした際は占有交易権の一部を譲り受け、また航路警護費という名目で莫大な額を手にしているが、ガルフリーズの甥クレセットが最終的にガルフリーズを廃王として倒したため、介入は失敗に終わる。ガルフリーズの正妻は始祖帝の娘リンデラ皇女だが、彼女も夫と共に処刑され海に沈んだ。