星の挽歌/ラウール大公及び書簡主、書簡その他(1)

写影:共和暦25年2月5日
訳:バート・アネキス
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【宛先・署名・帝暦無し、日付のみ11月4日】
 頼りをありがとう、元気そうで安心しました。父さんのことは残念だったけど、一人で*1ミューは辛いでしょう? 父さんが頑張って大きくしてきた店は無念とは思いますが、そろそろ潮時なのだと考えています。*2売証も、あれだけ苦労してというのは分かりますが、現実あなたが一人でやってゆける商売でもありません。
 妻が「家が大きすぎてどこから掃除をしていいのか分からない」と言っています。どうかこちらで手伝ってやってほしいのですが、どうしても無理なのでしょうか。

【宛先・署名・帝暦無し、日付のみ12月15日】
 返事をありがとう、やはり冬は時間がかかりますね。雪降ろしと薪のことは、この手紙を持って行く者にやらせてください。きっと喜んで働くはずです。「祖母」に会うのは初めてですからね。名前は大きい方がエスラスト、小さいほうがナクハルトといいますが、家族はエストとナルと呼んでいます。どうかそう呼んでやってください。
 そうそう、次の夏には庭の一部をつぶして畑を作ることにしました。妻は*3勘定に忙しいですが、あなたが使うなら手伝いたいと言っています。彼女はザクリアの商家の娘です。商売人の娘同士、きっと話があうと思います。

【宛先・署名・帝暦無し、日付のみ2月4日】
 気に入らないことがあると返事を書かなくなるのは昔からですね。まだ騙されたと考えていますか? 何度も説明しましたが、私だって彼が王子であるなどと思っていませんでした。王族が寮暮らしなど、どんな冗談だろうと今でも思います。けれど彼はそうだった、それにつきるだけの話です。彼が*4初の主人と*5廷方言で話している時、ようやく事実なのだと実感しましたが、私だって半分は遠い夢のような気持ちだったものです。
 あなたが気づかなかったのはある意味で当然です。あの頃も寮の友人たちは彼が王子であることを知りませんでした。彼は市井の感覚を強く持っておりました。それは育ての親である*6太后陛下の御深慮ですが、そうせざるを得なかったのです。
 近衛騎士の大半は生活に大幅な余裕はありません。恐らく我が家の方が裕福だったのではないでしょうか。彼らの生活の質素さは子供たちの小遣いにも反映されるもので、彼はそんな環境で育ちました。御深慮、つまり彼にはそれでしか生きていく将来がなかった。どんなに力無く利権から遠くても、王子であるというだけでありがたくちやほやしてくれる人々の懐具合をあてにするしかできなかったはずなのです。
 商売を蔑まない貴族は珍しいし、王族なら尚更です。だから今でも信じられないと思うのも無理はありませんが、事実です。
 あなたも、そして父さんも、彼がとても好きでしたね。私だって、彼がいなくなってもう十年が経過しようとしているのに、彼を今でも思い出します。
 だから父さんのことも同じように、知っている者たちで悼み語りあいながらゆっくりと送りたいし連れ合いを亡くした老婦人を一人、雪の深い田舎においておくわけにもいきません。自分がご苦労なさったことの復讐を妻に向かってする方ではないはずです。
 ご再考をお願いいたします。

【宛先・署名・帝暦無し、日付のみ3月1日】
 返事が来てほっとし、そして驚きました。私は彼から何も聞いていなかったし、けれど丁度結婚の頃には彼とは完全に疎遠になっていましたから、語り合う時間はありませんでした。何故知らせて下さらなかったのでしょう。それがあれば私と彼はあれほど長い冬を過ごさずにいられたかもしれないのに──
 いいえ、真相を確かめたくても彼はもう石の中ですし、彼が持ってきたというペン先の揃えが確かに荷物の中にあった気がするのですが、それをどうしてしまったのか、私には思い出すことができません。恐らく雑多なことに紛れてなくしてしまったか、ザクリアのアパートから*7踪したときにおいてきてしまったのでしょう。
 印象が少し薄くなっていたというのもそうかもしれません。彼は当時から*8の異母兄とひどくいがみあっており、それは彼には辛いことでしたから。
 元々彼は生来優しく、気持ちが柔らかい人間です。だから今、あなたが私たちに騙されたと未だにあの辛苦を噛みしめているなら、私はあなたに謝罪したいし、彼もきっと今生きていたら同じことを言ってくれたはずです。
 私はそう信じているし、彼のことを未だに忘れられません。彼から手渡された責任を全うするのが私の人生であると思っています。
 どうか私が彼の子を差し置き*9り代わろうとしている、などという馬鹿馬鹿しい話に耳を貸さないで下さい。私は人が言うほど謀略家でもないし、野心など持ちません。元々私など、どう足掻いても地方執政府の法書に埋もれ、毎日法文を書き散らして終わるはずであったのです。
 それが今や家紋を頂き貴色を柱に塗り、自分でもよく分からない構造の家に住んで、けれど毎日やはり法文を書いています。何がどうなるかは分からないものなのですね。それでも今私があるのは先の主人と、そして彼のおかげです。こちらで一緒に住まないまでも一度彼の素廟に会いにきてやってもらえませんか。きっと彼は喜ぶはずです。あなたが彼を覚えていてくれたことをきっときっと、喜ぶはずです。

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*1 ナミュー
現在のラストレア州リメ市の北端周辺。現在もそうであるが当時も都市部からは離れた小さな集落が点在する地域である。雪の多い地方であり、角度の付いた屋根と上げ床式の家屋が多く残る。ラウール公の出身地とされているが、生家等の詳細な位置は不明。

*2 専売証
当時販売に地方領主の許可が必要であったのは塩・紙・農機・馬の四品目であるが、そのうち塩は取扱商人らで独占組合を形成し、組合の専売証がないと領主の許可がおりなかった。取得には相当の財力が必要であるが、独占市場であったため利益も大きく、塩の専売商人は当時平民層ではかなり裕福な階層である。

*3 石勘定
ラウール公の正妻リリシアは個人の商売として宝石の鑑定と保証の証書を出すということをしていたようである。出資者は夫であるラウール公であるが、あれは妻の趣味だという発言が残るため、財力の形成に大きく寄与したということでもなさそうだ。

*4 最初の主人
ラウール公はそもそも当時の王太子アスファーンの政治秘書であった。当時の秘書は事務方の手続きや書類の作成だけではなく、主人への助言や提案も行う政策官僚でもあり、ラウール公はその中でも特に目をかけられて出世の道を歩き出すのである。

*5 宮廷方言
当時は地方ごとに言葉が違い、伝達の為には国府の共通語を習得する必要があった。また宮廷方言とは後宮で使用されていた雅言葉であり、これは当時も国府共通語とは違う言語として認識されている。

*6 故太后陛下
始祖帝がエルシアン王子であるとすると、幼少期に太后として後宮にいたのは十六代国王ザラースト二世の正妃エレイナ姫であるが始祖帝の母が不明であり、エルシアン王子の父カルシェード三世はエレイナ姫の子ではないため、血縁は恐らくないと思われる。

*7 失踪
執政宮事件の後にラウール公は自分の主人であったアスファーン王子を見限り、投獄されていたエルシアン王子を助けて共にミシュアへ逃走した。正史では「聖祖を助けミシュアルへ赴任する」とあるが、実感は逃亡であったのだろう。

*8 例の異母兄
彼というのは始祖帝を指していると思われる。始祖帝の異母兄で争いがあったとされるのはウォーガルド王子とアスファーン王子の二人だが、例の、と付くところを見ればこの場合はアスファーン王子をさすと思われる。

*9 成り代わる
この書簡の帝暦は不明であるが、景宗帝フォルシードの成人後もラウール公は国政の第一人者であり続けた。通常はた。フォルシード帝の成人後は摂政の返還を求められるべきであるが、返還がされたのは実際には帝暦四十年のラウール公の引退後のことであり、フォルシード帝は既に三十八歳であった。
そのため摂政位にあった頃はこの批判は時折耳にしていたらしい。大逆の罪を着せての処断はラウール公の得意でもあり、そのことを逆手に苦笑している様子である。