星の挽歌/ラウール大公及び書簡主、書簡その他(2)

写影:共和暦25年2月5日
訳:バート・アネキス

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【宛名・*1公閣下・帝暦無し、日付のみ7月1日】
 正直に用件から申し上げましょう。状況は大変芳しくなく、そろそろ別の局面を迎えることを覚悟せねばならぬかと考えながら、日々じっと耐えております。
 矮小と罵られても結構ですし、私がこれを言い出すことそのものを事態が重篤であることの証左としていただければと思いますが、活動資金も怪しくなりはじめています。
 例の方と彼女の仲睦まじいことも、却って悪いほうへとられがちです。年齢が離れておりますからそれは可愛いだろうと私でも思うのですが……
 しかし例の方は長く本国を離れておった方、我々の走狗としてだけの一面が、生来人好きのする明るく隔てないご気性と重なって尚更正統派と名乗る連中の帆に風を与えているように思われます。
 交易の件、何とかゆるめていただくわけには参りませんでしょうか。多少なりともこちらに旨味があると分かれば手を差し出してもよいと考えている者たちはおりますし、制海に成功すればまだかなりの余地を含んでいるものと小職愚考するものであります。

【署名ではなく*2魚の紋章印】


【宛名・双魚殿・帝暦無し、日付のみ7月10日】
 そちらが大変苦しい状況であることは理解しましたが、それでも交易の件の答えは否、これは今後どんなに状況が転落しようとも最後まで否だと心得て下さい。交易は軍の呪縛を振り切るためにも必要ですし、一度退いてしまえばあとは負けていくばかりです。
 資金の話は了解しました。紙幣用の紙は先年漉きあがったばかりでまだ大量に在庫がありますから、債権を乱発するより紙幣を増刷します。
 流通量に関してはそちらで調整願いますが私から指定はしません。事実に対しては最も迅速に対処するべきだからです。必要と思うものは何でも揃えてよろしい。何に使ったか後ほど報告いただければ結構ですし、工作費で詳細が報告できない時はそれでかまいません。とにかく南進を今やめてしまうことは出来ません。ご健闘を期待します。

【署名 ケイ・ラウール】


【宛名・緑公閣下・帝暦無し、日付のみ9月24日】
 小職は大変危惧しています。紙幣を刷っていただけるのはありがたいことではありますし、当面の資金問題はそれで片が付くでしょう。けれどあまりに急速に進めば我々は印刷された額面ではなく紙の重さで金と交換せねばならなくなってしまいます。一体*3シアト公には相談なさったのでしょうか。先帝陛下の頃より彼は信頼厚い経済専任公ですが、彼の付記や補足が一切手元に参りません。
 もしそうでないのならご提案ではありますが、どうかあの御大と手をとっていただき、軍をこちらへ差し向けてはいただけないでしょうか。*4エルリク公の件以来、海軍は専任でみることが出来る者が少なく思うに任せぬことが多くございますが、正規軍を回すという事実そのものが十分我々の覚悟を喧伝いたします。
 可能であればあの方か皇太后陛下にこちらへご足労いただき、閲兵をお願いしたいのですが、いかがでしょう。士気というものをどのように公が評価されているかは存じませんが、現場では十分に強く期待出来る要素であります。ご検討をよろしくお願いいたします。

【署名ではなく双魚の紋章印】


【宛名・双魚殿・帝暦無し、日付のみ10月15日】
 あなたを疎んじているわけでは決してないことを承知しておいて下さい。けれど回答はいずれも否です。彼らをそちらへ差し向けることは出来ませんし、正規軍も最後は覚悟が必要なのかもしれませんが、そうなると*5り矢の支度をせねばなりません。それは最も避けるべき事態で、故に答えは否となります。
 それに軍は非常に統制が難しい。陛下の御裁量さえ無視するような連中です。結果がよかったから*6罪などとは今でも納得いたしかねますが、ともかく陛下がそれを許してしまっている以上、その機会を与えないようこちらも心せねばならぬというわけです。
 あなたの期待に応えることが出来ず大変遺憾に思います。失うものが多いかもしれぬと覚悟しておりますが、どうかあなたは無事にお戻り下さい。他の一切は命散って構いませんし、あなた以外のことは助命しなくて結構です。これは、そういう意味です。

【署名 ケイ・ラウール】


【宛名・緑公閣下・帝暦無し、日付のみ12月7日】
 全て承知いたしました。状況ますます厳しく公はついに本島へ軍をお引き上げなさいました。もはや一年は保ちますまい。我々もこれまでかもしれませぬ。*7女には夫に尽くすよう申し上げました。意味は理解したらしく頷いておいでです。兄君宛に手紙を預かりましたので同封いたします。陛下にお見せするもしないも、あなた次第に。

【署名ではなく双魚の紋章印】


【補記、手蹟はケイ・ラウールと同一】
 手紙を読み、焼いた。こんなものを陛下に見せれば追加の出兵などと言い出すのは分かっている。知らぬ方が幸福であると思う。……そもそも生まれてきたのが間違いなのだ。
 エルスも決断が鈍い。だから俺がこんな目に遭う。本当は奴の仕事のはずなのに、奴はずるい。ずるいと思えばそう言ってやりたくなる。
 ああ、本当にずるい。──面罵してやりたいときにもういないなど。

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*1 緑公
貴族の名は大抵非常に長いため、宛名書きを簡単にするために貴色や家紋などに尊称をつけて呼びかけることはままある。ラウール公の貴色は緑であるため、それにならって呼びかけているのだろう。

*2 双魚
当時ファリーム王国へシタルキア側の駐在官として赴任していたのはビリア候である。双頭双尾の魚を紋章とし、貴色は淡い青。ファリーム王国の出身者で平民階層から身を起こしたとと言われているが、資料乏しく詳細は不明。

*3 マシアト侯爵
平民出身の経済対策専門官。元は会計や経理を教える教師であったとされている。ミシュアル公時代のエルシアン帝が財政対策の一つとして通行税を廃止した際の、立案者であり施行の責任者。エルシアン帝が即位した後も中央官僚として登用され、その死後もラウール公が重用した。

*4 シエルリク公
アルガザルド・サファ・シエルリク。シエルナ軍門閥の下位騎士層から剣の腕を認められて身を起こし、シタルキア皇国の初期には将軍まで到達した。特に水軍の指揮に優れていたと言われており、ミシュアルがファリームとの係争状態に陥った際にはエルシアン帝を助けて奪還に大きく貢献したとされる。
後にエルシアン帝の怒りに触れ、死を賜る。

*5 鳴り矢
やじりに呼び子笛の細工をし、放てば鳴るようにした矢。戦の開始時に合図としてお互いに打った。自軍から打つものを鳴り矢、敵軍から打たれる者を忌み矢と呼ぶが同じものである。鳴り矢の支度、とは戦争になることを意味する。

*6 無罪
この「陛下」が先帝エルシアンなのか今上フォルシードなのかは文脈からは不明。前者であればおそらくアウルーの指揮権のめまぐるしい交代の後に本来その席にはいないはずのイダルガーン大公が指揮をとったことを指し、後者であればアリエドでの組合戦争に際し、組合の請願を受諾するよう内々に皇帝から通知されていたイダルガーン大公が意図的に無視したことを指す。
つまりは、いずれにしてもイダルガーン公への不満である。

*7 彼女
文脈から、ファリームの国史では僭王とされる国王ガルフリーズの正妻であり、始祖帝の次女であるリンデラ皇女を指す。後の文中に見える兄君、とはリンデラから見た異母兄フォルシード帝であろう。