星の挽歌/残香(2)

 けれどまだ疑問はある。彼らの見ている実像がエルシアン・エリエアルで不存在説が完全に間違いだったとしても、何故正史はそれを助長するような真似をするのだろう。正史はむしろ不存在説に傾けたいような素振りでエルシアン・エリエアルの詳細な記録を残さず、ただひたすら賛美ばかりだ。私の疑問にアネキス氏は生真面目にそうだね、と返答した。
「俺は墓じゃないかな、と思うんだけど」
 私は首をかしげる。昔の王朝は滅亡の時に先祖の墓をあばき、遺骨を撒き、副葬品として納められている財物をあらかた奪うことが当時は多々あった。
 確かに始祖帝の墓所は未だに発見されていない。ラウール公の手紙の中に「素廟」が出てくるが、これは後宮にしつらえられていた祖廟で、つまりエリエアル一族の先祖の魂を祀る小さな祠であるが埋葬場所ではない。
 ミシュア説が濃厚だが、ミシュアに点在していた年代の古い墓は全て鑑定が終わっていて、どれも年代が若い。帝暦400年から600年前後の墓が殆どで、副葬品の年代様式も一致する。勿論ザクリア近郊にも皇帝墓廟は沢山あるが、年代があう帝暦100年以前のものは皆正史に名があって、発掘品の個人紋などから裏付けがとれているのだ。
 始祖帝の墓所はどこにあるのだろう。当時の墓は帝暦450年頃のような巨大な山ではなく、装飾品や壁画で飾りたてた小さな石室に柩をおさめ、石で蓋をして上から土を盛る。「彼はもう石の中」と書いているのだからこの様式のはずで、だから意外と小さいのかもしれないが。
 私はしばらく考えて首を振った。今何かを断定するには材料が全くなかった。私たちが見ている以外の手櫃文書も存在するから、もしかしたらそちらには何かあるかもしれないが、今見えないものは仕方がなかった。
 だから私は話を変える。
「この葬儀以来ってのは、何のことかしら」
 分からないとアネキス氏は首を振り、でもと付け足した。
「それは彼らにしか分からない。書簡手のカラバグ公も分からないと書いているから、当時から不明なんだろう。ただ……二人とも始祖帝を心から好きなんだな、愚痴も思慕も同じ根源を見ていて……尊敬じゃない。ラウール公のほうははっきり友情だろう。イダルガーン公のほうはまた少し違う気がするけども」
「……これは庇護、だと思います」
 私は呟いた。一瞬おいてアネキス氏のそうかもね、という声がした。
「君の担当分には支える、とあるし……イダルガーン公の癖なのかもしれないけど、何々してやる、という言い回しが非常に多い。始祖帝に対してもそうなのだとしたら、保護者と子供だな」
 そして私たちは一斉に溜息に似た笑みになった。
 始祖帝の伝説は美辞麗句に彩られているが、それを取り除いた後に残るのは厳格で峻烈な支配者の姿であり、威圧感のある背中だ。例えば始祖帝の軌跡の中で必ず語られるミシュアの即位檄は「恩威に感ずる者幾千余、悉く膝折りて聖祖に拝す」と語られており、始祖帝の威光と恩義に感じた者たちが次々に参じたということになっている。
 それに絵や物語に伝承されている始祖帝の印象はまさしく偉大な君主といったもので、この二つの手記が語る像とは遠く離れて結びつかない。
「けれどこれは本当に、伝説や神話じゃない。本当に生きていて、まっとうに彼らの上に立っていた人間への追慕だ。今まで我々が刷り込まれてきた歴史の事実は同じでも世観は全く違うものになる──これが手櫃にあったのは理解出来た、自分たちの出自を彩る伝説とあまりに離れている上に肉声だから、捨てるわけにも公開するわけにいかなかったんだろう」
 私は頷いた。彼の言うとおり、建国伝説──特にエルシアン・エリエアルを巡る解釈と記録をシタルキア皇国は美しい神話として喧伝してきたが、これらを揺るがす内容であることは確かだった。
「今急いで結論することではないと思うわ……まだ訳が入っていない部分もあるし、もう少し考えなくては。……ちょっと、混乱してきてしまった」
 私は額を押さえた。新しくて戸惑う情報が一度に流れ込んできて、どうしていいのか分からない。けれどその困惑は決して不愉快なものではなく、自分が今まで見ていた世界が一段くっきりと現れるような胸騒ぎだった。
「ま、次が出来たらまた見せ合いっこしようよ、楽しいじゃない、こういうの」
「……そうかもしれないわね。ありがとう」
「いやいや、センセ……じゃなくてエリン教授のほうが大変でしょ、これ」
 私はつい苦笑となる。何か食べていくかと聞くとアネキス氏はもちろんと笑顔になった。私は彼に座るように手で指示をして、コンソールへ手を伸ばした。少し話をして喉が渇いたし、今から夕食の支度をするのも面倒だった。嫌いなものだけ聞いて適当に注文をし、丁度沸いた湯で黒茶を入れてカップを渡す。
「センセは浪漫派なのに実用主義者なんだね」
 アネキス氏はそんなことを言ってにやりと笑う。
「教授には君が浪漫派だから話が合うよって言われたんだけど、本当だね」
「からかってるの? 言っておきますが伝説や伝承には元になった事実が紛れ込んでいることがあるものですから」
 アネキス氏は軽く笑い、背を預けていたソファから立ち上がり、私の本棚を眺めている。
「オレセアルの少女、緋天使の翼、聖天帝の奇跡、建国伝説と神話、正史総攬、太陽の影と月の光……お、童話もあるんだ? いいね、浪漫派の本棚はこうじゃなきゃ」
「息抜きにはなるんですよ。それに子供の頃から沢山こんな本を読んでいたから、忘れられなくて……今は禁書の指定も解かれたんだし、私が何を読んでいてもいいでしょう」
 このあたりの本は一度禁書になって、今現在解除されたものを集め直したものだ。誰が何と言おうと少女時代の私の夢と空想を膨らませてくれた美しい物語たち。
 本の背表紙を指でなぞるアネキス氏の表情は穏やかで、私は無意味にほっとする。少女趣味であることは理解していたが、それを浪漫主義と苦笑する人々に会うと、わけのない苛立ちに襲われてしまう。
「うん、別にからかってるわけでも責めてるわけでもないよ。夢があっていいじゃない。ちょっと前まで禁書だったものが大分だから余計にね。上級校の子供らは受験受験で必死だからさ、こういうものをもっと読んで欲しいなって思うけど忙しいんだよなァ、子供らのくせに」
 私は苦笑する。上級校は確かにそういう場所だ。自分も出身だったから分かる。殆どの子供たちが更に上の中等校や専門校へ進んでいくから、授業もかなり受験に対応した即戦的なものになってしまうのだ。
 ……それにしても彼が教師である、ということには違和感があった。
「あなたはどうして教師になろうと思ったの? 今回の訳文を見ても、それから昔の発表や本を見ても、十分研究者としてやっていけると思ったのに」
 それら全て一つ一つの単語と解釈を丁寧によりわけ、突き合わせ、全体から俯瞰しながら埋めていく丁寧さに支配されていて、細かなレースのように美しかった。
 ああ、とアネキス氏は軽く笑った。
「いや、俺は貧乏人の子沢山ていう家の末子すえごでね、勉強したけりゃ金の工面が要るわけなんですよ。奨学金貰いながら修院まできて、そこで学生結婚してね。嫁さんは俺の本の読者って言ってて、お金のことなんか気にしないで研究を頑張ってねなんて言ってくれるもんだから俺頑張ったんだよなぁ、結構頑張ったのよ? 金の心配をしなくていいってのも本当に嬉しかったし……すんごい励んでたらさ、いつの間にか嫁さんに男が出来て追い出されて、とりあえず当座の金をどうにかしなきゃいけなかったから塾講師の仕事がないか教授に相談したら、丁度上級校の古典が空くからって紹介してもらったの。それが八年前。あ、名字が変わったのは嫁さんの親戚の家に養子に入ったからで、離婚したから戻っただけ」
「そう……あの、すみません、立ち入ったことを」
 私は俯く。離婚のこと、養子のことなどを聞くつもりではなかったのだ。からりとした声で彼は笑い、全然、と軽く付け足した。
「何で謝るのさ。俺、結構この仕事好きなんだよ? 学生時代も塾や家庭教師のアルバイトはしてたし、今から伸びていく子供たちは毎日空気が変わる。とても素敵だ」
 ね、と片目をつむってみせるとアネキス氏は自分でその仕草がおかしかったのか、笑い出す。私がつられて少し声をたてたとき、呼び鈴が鳴った。