星の挽歌/ラウール大公宛書簡主、書簡、補足(5)

写影:共和暦25年2月5日
訳:バート・アネキス

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【回想録、帝暦37年 夏、日付無し】

 本当に*1れで最後のはずである。イ公には我慢をお願いしたが(とはいえ長い期間は無理であろう)ともかく人の喉元に刃をあてるならば同じ事をしてみせるだけで、うっかり手が滑って喉を?き切ってしまうかどうかはイ公のご意見を聞かねばならない。
 が、おそらくひっかくだけにしておけと言われるであろう。そのために少しマレンファンと話をしなくてはいけない。
 彼とあれだけ長い時間話をしたのは久しぶりで、ともかく我々の頭上に一つ大きな星があって我々はその星がとても好きだった、好きであったゆえにここに到ったということは思い出したような気がする。それは常に理解はしているようで胸に埋もれていた本のようだった。地上の星、天空の虹、高く駆け上がるための緋色の翼──そんな風に*2われる物語をそういえば自分は間近で見ていたはずだ。
 昔話をするうちに自分はいつの間にか眠ってしまったらしいが、夢は見た。地上の星はまだ地上にあって我々の横にいた。気負わない構えない肩を自分は見ていた。彼は振り返ってまだ早い、ガーンと話せと言って笑った。夢でさえ本当に久しぶりだった。
 良い夢をみたはずだとイ公には言われた。夢を見せることが出来るのかと聞くと、それは出来ないが記憶と願望を抑えている重しの除け方を誘導することならば出来ると言われた。相変わらず意味がよく分からないが、彼は最初からこのような不思議であった。

 イ公と出会ったのは私が二十二歳の春である。武烈王の秘書として宮廷に出入り始めて間もない頃で、確か蒼月宮の*3細宮付近の温室あたりだったはずだ。イ公の叔父君にあたる占官の内弟子として王宮にいたようで、それからも時々蒼月宮で見かけていたがあの時期にイ公が先帝陛下と親交を積んでいらしたことを私は素直に賞賛と感謝に分類する。
 先帝陛下は人生のうち最も悪い時期であられた。仰ることに整合性もなく、私にも以前と同じようにお話下さるときと訳の分からないことをおっしゃる時期があり、私は陛下との御友誼をすぐに放擲してしまった。イ公とも同じようであったようだが、とにかくあの待てぬ方があれだけよく耐えて下さったものだと思う。
 イ公は元からそうではあるが我慢が出来ぬ方である。私は割合よく耐えるので尚更苛烈に見えるのだろうが、とにかく待てぬ。思ったことをすぐ口になさる。だから*4の事件の時も監獄送りであるし、今回も同じく監獄送りである。房まで同じであったのが苦笑だが、迎えに行ったときに多少照れたような御顔をなさったからご自覚はあるのであろう。

 とはいえ舌禍で本当に死ぬところであったことは看過出来ない。他の旧い者らが言うように、私と彼は先帝陛下の左右の足であった。そしてそれを信じることが難しい状況にしてしまったのも他ならぬ我々である。イ公からもその点に関して簡単な謝罪と、アリエドの終着審議の謝礼を頂戴した。
 アリエドの件は彼の為と言うよりは今後私の後継者として矢面に立たねばならぬマレンファンへの防護であるが、彼の名誉と体面を回復したということも事実なのだろう。……ならばその舌はどうにかして欲しいものであるが。

 先帝陛下が彼を目立たぬようあからさまにならぬよう、誘導しながら庇っていらしたことにはかなりしてから気付いた。彼の神経が細やかで他人の隙間に入り込む性質であったことを私は知っていたが、それでも気付かぬほど自然で当たり前の姿だった。
 先帝陛下の識見や能力は平衡感覚に優れておったとはいえさほど高いものではなく、だから私たちは先帝陛下が循環へ戻った時に深い悲しみに浸りはしたが呆然とはしなかった。内政はそれ以前より私の仕事であったし、外壁としてイ公は*5ウルーの奇跡的な逆転や*6ストレア攻城での魔術のような二カ国正面戦を制し十分に名を上げておられた。シエルナ廃公の件はあったにせよ盤石揺るぎなく、今上帝を抱いた皇太后陛下ご自身の逸話もあって私もイ公もかなり簡単に考えていたはずである。
 それに先帝陛下がご存命であられた頃、私はたびたび陛下とイ公の意見の食い違いを調整して衝突を回避するよう努めていたし、イ公も私と陛下が深い断絶の両岸におった頃は媒者なかだちをしようと気折りしてくれた。武烈王の死までは我々は多少の紆余曲折はあるにせよ上手くかみ合っていたように思う。

 その後陛下とイ公のご様子がおかしくなったのがいつ頃からだったのかはっきりとは思い出せない。私はラジールの併合政策の件とマリセン干拓の件で忙しくしていたし、イ公の方は体調が優れないとおっしゃって御前会議を除くと皇城では見かけなくなりつつあった。
 ナリアシーアの件が二人の間を決定的に裂いたことも確かだろうが、時期は分からない。本当は彼女を武烈王に殉じたとして混乱の中で殺すべきだと私は当時も理解はしていた。武烈王からは正妃と妃の破免書簡を預かりはしたが、そんなものは火中へ投じ事情知る者全てを屠り、全て知らぬ事として処理してしまうのが一番正しかったはずで、だから出来なかった。彼女が魔女と呼ばれていたことについて私は同情していたし、王宮へあがるようになってからの初めての友人でもあったのだ。イ公は彼女を魔女であると言い、処断するように私にも陛下にも詰めよっておられたが、最終的に何故ああなるのかが全く分からない。
 けれど例の件に関してあれだけエルス先帝陛下が苦しまれたことを知りながら二度同じ苦役を強いたことを、私はやはり許すことは出来ない。あれは武烈王も含め我々の間に横臥する闇であり、あまりにも混沌であるため開けてはならぬ箱である。イ公にも分かっていたはずだ。

 私は彼の言い訳を聞いてやらなかった。聞く価値も無かったからだ。
 だから長い時間を超えてようやく彼の言い訳を聞いてやったことで、もう折り合いをつけるべきなのだろう。許すのでは無くて目を瞑ることにはする。。いずれにしてももう二人ともが石の中である。先帝陛下ならどう仰ったろうかと考えてみるに、やはり*7言の通りなのだろうとも思う。だから私があとは飲み込んだまま墓にゆけばいいのだ。
 だからその代わり、イ公には沢山のお願いをした。

 彼は応えて言った。今から百五十年ほど下った頃に現れる自分の子孫が*8国に刃を向けるだろうと。ゆえにイ一門の保護は要らぬ、どうせ遠からず滅びると。漢氏も恐らく千年保たないかもしれないと。だからどんな形であれ歴史に名を残すということは千年万年と時が過ぎても漢氏という者どもがおったことを刻むことであるから自分はケイの言うことに添うと。
 正直彼の星の話は良くわからない。だが先帝陛下の死後の名誉と陵墓の保持の為に何でも飲み込んでくれるというのは嬉しいことであった。

 先帝陛下の御偉業などは実際の所、我々にも多少理解しがたい。彼自身に目立って特徴的な能力がなかったせいもあるが、あの眩しく柔らかい虹色の光、いつの間にか隣にいて同じ目線で笑っている気楽な表情を遺すことは至極困難である。どうせ伝わらない。我々にだって説明が難しい。先帝陛下を覚えている者には通じる感覚が、若い連中には伝播しないがそれも致し方ない。結局知っている者にしか通じないのだ。
 だから私は全てをラストレアで陛下と見上げた夜空の群星のごとくとすることにした。
 イ公は私の共同正犯者である。永遠を擬態するための。



【補記、手蹟はケイ・ラウールと同一】

彼からケイと呼ばれたのは何年ぶりだったろう。奴が死ぬまでには一度ガーンと呼んでやるべきなのかもしれない。奴の方が俺より年上なのだから、順番はあちらが先なはずだ。死後にも羞恥の余りに舌を噛んで死にたくなるような素晴らしい弔辞を考えておいてやることにする。ざまあみろ。


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*1 これで最後
帝暦三十七年は遺産事件の年である。ラウール公はこの事件の首魁として旧王国派の最後の長老であったナグラ王子に自己処断を迫り、最終的に自裁を許した。
ユヒト王子のような不名誉な死よりは名誉ある自裁を選ばざるえなかった老人に対して皇帝フォルシードのほうが同情的であったと言われている。

*2 歌物語
地上の星、天空の虹、緋色の翼と歌詞を書いているのはラウール公の長男であるエスラスト侯爵である。幼い頃より詩作や脚本などの文筆芸術に傾倒し、矯正しきれずラウール公は家督を継がせないことを条件に自由にしていてよいと許可している。
が、息子の著作そのものは目を細めて見ていたらしく、芝居にも出版にも惜しみなく金を出している。

*3 東細宮
後宮は小さな建物群を回廊で繋いで構成されていたが、主に来客や臨時の宿舎などに提供された大きめの建物を細宮と呼ぶ。中でかなり細かに部屋で区切ってあるためにその名がついた。
東以外に北、西がある。南は近衛騎士の屯所となるため大きな建物はなかった。

*4 あの事件
イダルガーン公が投獄されたのは生涯で2度である。1度目は執政宮事件に関してエルシアン王子にアスファーン王子の殺害をほのめかしたという件、2度目は遺産事件である。
本来遺産事件の時には彼はは大公として格式と権力があったため投獄は皇城の地下でなくてはならなかったが、投獄の直前に大公位の罷免文書が出ているため、王都郊外の一般獄舎へ送られたらしい。
遺産事件の首魁としてラウール公はナグラ王子に自裁させているが、他にもまだ首謀者の一部が残っているような書き方である。

*5 アウルー会戦
ラジール併合の際に協力体制にあったジェア王国の戦力をアスファーン王子があおり、始祖帝を死の直前まで追い込んだとされる戦い。帝都ザクリアに守護の為に残してあったイダルガーン大公が突如現れて始祖帝を救い、壊滅寸前だった軍を立て直し、アスファーン王子を射殺してジェア王国との講和を回復するという巨大な戦果である。この功労を以てイダルガーン公爵(当時)は元帥に叙された。

*6 ラストレア攻城戦
アスファーン王子が始祖帝に駆逐されて逃れた北壁で旧王朝を名乗り抵抗していた二年を南北朝時代と呼び、その終結となる戦いである。始祖帝は金を積んでラジールと連合を選択したがジェアも攻略に動いており、それを城の特性や連合条約の建前を細かくやりくりして三正面を二正面へ減らし、時間を稼ぎながら個別に撃破撃退した。

*7 遺言
始祖帝の遺言は皇国の初期に崩御があり、子がまだ幼く主導権を取れないために、臣下に対して国の骨子を説く非常に珍しいものである(聖天帝口義)。が、この記述からすればそれとは別に個人的に盟友であったラウール公に残した言葉もあったようだ。具体的な記述がないため詳細は不明。

*8 皇国に刃向かう

実際にこの事件は起きている。帝暦一七七年のイフェンディルの大逆事件と呼ばれているものであるが、それが帝暦33年の今ここで記述されていることには疑問しか残らない。
が、大逆事件はその通りであるし、イ一族が全員虐殺され滅亡したのは歴史上の事実である。