星の挽歌/イダルガーン大公、日々録、帝暦百年以前(1)

写影:共和暦25年2月24日
訳:ミカ・エリン

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【帝暦40年 9月29日】

ミシュアル。雨。来客無し、書簡無し。

 この時期でも未だミシュアルはむし暑い。先帝陛下の毎年の*1参は春であったがその頃がよい時期なのだろうと思う。が、妹の最期の望みであるからそうしてやろうと思う。あれは手に負えぬ跳ね返りであったが結局それが陛下を救い、国母となった。
 *2人の顔色が戻らない。神経が優しすぎる。いずれにしてもこれの死後はこれに与えた星の力は私でまた巻き取らねばならぬ。ラウール公の話は壮大すぎて私には上手く全体が見えないが、あの方が何千年でも通用する嘘をつきたいと仰るのなら付き合う他に仕方があるまい。それに向けて公にお話ししてもご理解頂けぬ部分は私の方で勝手にする。*3伯には可哀相だが元々そのために産ませた子である。


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*1 ミシュアへの墓参
 始祖帝の最初の正妻である郭清王后の墓は元々ミシュアに作られていた。始祖帝の長女エリーズ皇女の生母であるため、休暇も兼ねて春先に半月ほど逗留することが多かったらしい。
 新年は宗教上の行事が多く、帝都を開けることは歓迎されなかった。

*2 淑人
 イ・シューレン。姓が伊、名が索、字名が淑人。イダルガーン大公の後継子であり、将軍として戦地を歴任したが、帝暦五十年に病死。 子であるイ・ウェイジャン(伊衛計)が更にその後を継ぐ。

*3 子伯
 記録に見当たらないが、書いている通りならばイダルガーン公の子であるはずである。子伯というのは男子の名。