星の挽歌/小説(7)

【共和暦29年 3月9日】

 考査の通知を私はぐしゃぐしゃに丸め、ゴミ箱に叩き込んだ。それは僅かに着地を損ない、ぽとんとゴミ箱の外へこぼれてしまう。苛々しながら私は再度拾い上げ、今度こそ叩き付けるようにして捨てた。
「だからあれほど年代測定は正しいって言ってるのに、何度やり直したら気が済むのよ! 馬鹿じゃないのッ」
 苛立ちに私はソファを蹴り飛ばした。本当に忌々しい。
 カランと外扉につけた鈴が鳴り、ドアが開く音がした。
「あれあれまた何か怒ってらっしゃるわー怖いわー」
 戻ってきた夫が買い物の袋を食卓へ降ろしながら軽口を叩く。その声にやや怒りがぬるくほどけるのを感じながら、私は聞いてよと言った。
「また落ちた! もうやだ、何度目だと思う?」
「えーと……3度目?」
「4度目! 聞いて、また年代測定ですって! 歴証委はきっと年代測定の業者と癒着してんのね、何回やらせたら気が済むのよ、ほんと、馬鹿じゃないの」
 もう、と私は長い溜息になる。よしよしと私の頭を撫でる夫の頬は苦笑。確かに四度目のことだから私も予想を全然していなかったわけでもない。
 ……が、書いても書いても論文が考査を通らない苛立ちは中々説明が難しい。この文書以外の論文は実に何事もなく通るから、私の手法が悪いわけじゃない。悪い……ということになっているのは対象の文書なのだ。
 共和暦25年の末に公表された旧皇国の史料はおおまか、次の四つに分類される。
 一つは建国の功臣であり内政の総覧者にして実権の掌握者であったラウール大公ケイ・ルーシェンの手記と書簡。回想録を準備していたらしく書きかけの原稿も含まれており、かなり幅広い内容と彼の目から見た帝暦30年代後半頃までの国政の動きが分かる、貴重で重要な史料。
 次の一つはそのラウール大公の事実上の後継者で、政府機関の統合と整理を行い、それにラウール公の遺作と言うべき皇国憲章への関連づけと法拠の方程式の確立を成し、官吏と貴族制度のかみ合わせを整えたマレンファン侯爵の書簡と指示書集。ラウール公からの指示である部分には注釈が残されており、それも貴重な資料である。
 ハンシーク公爵による、古語と漢語の並列で筆記する歴史書の作成時の突き合わせの手順や官吏の役割などを記した覚え書きと書簡、日記。
 そして、イダルガーン文書と名付けられた長大な日記。
 この最後の文書は私が4年前に翻訳を担当し、見事採用されなかった文書である。内容はイダルガーン大公の日記で間違いが無いし、それは同時期に解釈や史料批判を担当した他の学者も認めていたのに内容の一部に不適切な部分を含むという理由でそれが認定されず、宙に浮いている。
 あの時担当した部分は実際には半分ほどで、私は始祖帝の死からかなり先の部分を渡されたらしい。……ちなみに他の部分も同じような星、軌道、そして例の件、と同じ不可解さと不明瞭さで担当者を翻弄したらしいが。
 ミシュアの漢氏邸跡から発見された陵墓は去年正式に始祖帝のものと認定が降りた。発掘調査はまだ続いているが、伊家の遺物もかなり出てくるらしく、そちらの翻訳や史料検討でも私の論文はよい成績で考査を通る。
 ──のに。
 4年前のあの文書だけがどうしても通らない。何度書き直しても結局史料の信頼性がない、と蹴られてしまう。あの例の件に関する記述ももちろんだが、ごく一部に未来視のような記述があることから後世の小説とされ、何度も年代測定を繰り返しているが、結局いつも帝暦10年から50年頃までに絞り込まれて終わりである。
 いい加減に歴証委もこれが真筆かつ真書であることを認めないだろうかと私はこの3年で4回論文を出し、たった今、4回目の考査落選の通知を受け取ったのだ。
「いやぁ……あれは本当に難しいよ、ミィ? 例の件もほんとカッ飛んでるけど、イ・ユーファー将軍の死や、イ・シューレンの死、それにラウール公の死の時期やら日付やらが予言されててちょっと気味悪いもの」
 そうだけど、と私は不満に唇を尖らせながら言う。
「本人は見えるって主張してるし」
 これは少し苦しい言い訳であることは自分でも良くわかっている。イダルガーン大公に関しては弓射の絶対的な腕前の喧伝と共に、予言者としての傍系伝説譚がいくつか残っているが、だからといって純粋な学問の場に予言の能力があったかどうか、なんて空想を持ち込めないのは分かる。
 ……とはいえ、その日記の記述を元にして発掘された陵墓が始祖帝のものであると正式に認定されたのだから、まだ闘う余地はある気がするのだけど。
「また作家って言われちゃった」
 何度も同じ事を言われすぎて私の方も完全に感覚が麻痺しているが、これも本当に腹が立つ言葉である。
 が、他の漢氏文字の研究や著作が認められつつあり、修院の指導教授から講義担当になり、もしかしたら再来年あたり、研究教授の声がかかるかもしれないのだから、そろそろこれは止めた方がいいのじゃないかという漢氏文化研究学会の他の教授らの言うことも分かった。
 これはエリン教授の生涯の課題として大切に取り組まれたらよろしい。けれど、内容全てに合理的な説明が付かない限り、この文書を通称としての『イダルガーン文書』から認定史料とすることは難しいのではないか。
 私は溜息になる。内容は正しい、と思う。あの後公開された夫の担当分を含めたラウール公の手記にも、結局例の件と記述された部分はこのイダルガーン文書のあの記述を以て補間されるべきもので、他のことでは上手くはまらない……と思う。
「あんまり難しいこと考えたら駄目だよ、ミィ」
 いつの間にかついていた愛称を呼び、夫は私の耳の下に軽いキスをくれた。