冬灯1

 一年の最後の講義が終わってケイ・ルーシェンは大きな溜息をついた。この一年を何とか無事に乗り切ったのだという安堵が大きかった。試験も順調で追試や補講の通達もなく、成績は安泰だろう。最後まで学院に入学するのを反対していた両親の手前、あまり酷い成績は困る。
 ケイの実家はこのシタルキア王国北端に近い城塞都市ラストレアから東に少し行った辺りの村で、国から許可を受けて塩を扱う商人だった。
 商人の息子に学間なんか必要ない、ある程度の計算ができればいいと思って上の学校へやったのが間違いだった、と言われたがケイは学校へ行きたかった。ケイの成績の良さと学院へ入学出来た者を輩出すると地元の教師たちの株も上がるというささやかな欲目のおかげで、教師たちもこぞって親を説得してくれた。

 それで一度だけ学院の受験を許してくれた両親の、
「落ちてもいいんだぞ」
という半ば懇願のような言葉を無視してケイは必死で勉強した。
 学院を受験するにはまず、三回もの地方選抜の予備試験を受けなくてはいけない。それをくぐり抜けて本試験へ臨むことが出来るのは最初の受験者のうち、1000人に3人から4人だ。
 本試験に残ったとき、母親は何だか複雑な顔をした。父親はまだ渋っていたが、母親はこっそりと夜食を作ってくれたり本代をくれた。本試験は2年に一度、冬の直前に行われる。
 結局ケイは本試験を六番で通過した。父親はそれでもまだ不満げにぶつぶつと何かを口の中で呟き、上に五人もいる、と言った。ケイは苦笑して
「上の五人は全員品等貴族だから」
と答えた。父親は黙った。それは実質首席での合格だったのだ。

 やっとそれで入学を許してくれたケイの次の当面の問題は学費だったが、奨学金があっさりおりた。村からも奨励金、親戚中からの祝い金、友人たち教師たちからの餞別。
 更に学院の選抜試験の後に合格者の答案が模範例として流布するのは試験後の通常の光景であるが、父親が業者に任せずケイの再現答案を自分で大量に売った。
 これは相当儲かったようで、その金を父親はすべてケイにくれた。

「お前が自分で稼いだ金だ、お前のものだ、持っていけ」
 つっけんどんな言葉に父親の照れが見えてケイはやわい笑みになった。資金はそれで当座問題ない。問題があるとするなら成績だった。
 さすがに国の最高峰の学府だけあって授業はそれなりに高度だし、意外に参考書の類に金がかかる。ケイはこれを試験前にノートを貸し出してまかなっていた。高額といえば高額だが、少しくらい高くとってもいいだろうと思う。自分の几帳面で上に馬鹿がつくほどの真面目さには自信があった。
 ただ……成績はどうしても気になる。入学してしまえば貴族平民関係なく序列はつくが、その最終的な順序がつくのは一年間を終了してからのことだ。
 成績表を渡すために名前が呼ばれている。ケイも呼ばれたので自分の成績表を受け取り、視線をそこへ落としてあやふやな笑みになった。筆記科目は全部に特がついている。特は優上の上だ。

 特、優、良、可、そして不可という成績階層で、優から可までは上下に分かれている。特ばかりがずらりと並ぶ中に、ぽつりと可下が二つあった。弓射と乗馬である。
 ケイは運動が苦手だった。どうしても弓は的に当たらないし、馬はなんとか乗せて戴いている、程度だ。
 不可になってもおかしくないとは思うのだが、ケイは教授たちには受けが良かった。典型的な優等生である自分を微かに苦く思うが、こうして救ってもらうと恥ずかしさと有難さが両方染みてくる。
 三回生になれば運動はしなくてもよくなるから、それまでは我慢するしかない。全員に成績表が行き渡ってしばらくそれを比べあってささやく声が講堂中に流れている。ケイの成績表を覗き込んですげえと声を上げる友人たちもあの二つの可下の所では一様に苦笑して
「お前、的に届いたことあるの」
とか、
「馬はねー、怖がっちゃ駄目だよ」
などと軽口を叩くのだった。

 ケイは僅かに赤面して仕方ない笑みになる。静かに、と担当教授が言って、講堂がしんとした。
 席次の発表が上位五人まである。その中に入っていればいいとケイは心底から願う。「全特」だから通常であれぱ間題ないとは思うがあの二つの可下が引っかかっている。
「首席……」
 ケイは顔を上げた。ケイ・ルーシェン、と呼ばれたのだった。一瞬の間をおいて安堵と嬉しさで破顔する。友人が肩を叩いて祝福してくれる。ケイは席を立ってその記念の記章と特奨金の証明書を受け取るために最前列へ出た。
「ケイ・ルーシェンは筆記は全特だ、良き手本にするように」
 そんなことを言われて、ケイは何だか恥ずかしくて俯く。それは間違いない事実だが、ケイの友人たちは吹き出すのをこらえているのがはっきり見えた。
 席へ戻る間に席次の発表は続いている。貰った記章を手の中で転がしながら、これで両親に面目が立つとケイはそんなことばかり考えている。
 発表が終わって一通りの、本学の学生として恥じない節度ある行動を、という訓示を垂れ終わって教授が鐘を鳴らす。歓声がわいた。
 授業の終わりであると同時に、冬の休暇の始まりである。