箸小話1

 ケイ=ルーシェンは、初めてであった。
 何が初めてであるかと問うならば、高級の冠のつく漢氏食が、である。彼の故郷は北部の小さな村であり、余りに小さくて漢氏町を置くゆとりさえなかった。それに北辺の田舎では彼らに対する偏見がまだ根強い。彼らもそう居心地のよくない場所には居住しないだろう。
 多少の知己と友人を得た今、その偏見など根も葉もないと分かるのだが、彼らの文化も風習も余りに異質で珍しいやら不思議やら、とにかく尋常でない事という認識は、変わらぬ。

 ミシュアルに来る以前、王都を脱出して後しばらくイダルガーンの実家にいたことがあったが、ケイの逗留は一時的なものであって、特別の用意を出来ないのだとイダルガーンが申し訳なさそうに言ったことがある。
 食事の贅沢などケイは気にとめていなかったが、イダルガーンは彼にいつか振る舞おうと思ってもいたようだ。

 エルシアンがミシュアルを奪還して数日、ケイにもイダルガーンにも押し潰されるほど仕事はあるが、根を詰めすぎても良くないだろうとイダルガーンが夕食に呼んでくれた。彼が猪の如く突進するほど仕事をやっつけることに躍起になっているのを見て、心配になった、とも言える。
 ケイは目の前に仕事が山積していると、それを片づけぬ事には落ち着かない、多少損な性分であった。この性分のお陰でケイは実に仕事に真面目に邁進し、いつか過労死するだろうとイダルガーンは思ったのであろう。ケイの上に、天運を司る宿星を見ているイダルガーンとしては、それは甚だ都合がよろしくない。ケイともう少し話をしてみたいこともあって、彼はケイを夕食に招待した。

 ……どこから聞きつけたのかエルシアンが一緒なのはご愛敬であろう。自分よりもイダルガーンよりも忙しくて然るべき人物が何故か一等閑人であるのには納得がゆかないが、本日は公務ではないから、新国王陛下は最低限の護衛のみに連れられてきた。
 煩わしさを嫌ってエルシアンは彼らに明日の朝迎えに来るように言って返してしまっている。ちなみにリュード・ザンエルグであるが、エルシアンの言葉を借りるならば
「あ、見当たらなくてさ。どこか女の所にでも行ってるんじゃないの」
ということであった。

 あまりにケイが周囲を落ち着きなく見回しているのが可笑しかったのか、イダルガーンが小さく笑って、庭でもご覧になるか、と聞いてきた。
「この屋敷も急な造営でしたので、まだ早々お目に掛けられるものも少ないが、漢氏屋敷もそう数を知らないのであれば珍しいかと存ずる。あ、──」
 たまたま行き会った小間使いにイダルガーンが何事か漢語で話しかけ、小間使いが頷いて消える。
 すぐに連れられてきたのはランファ、漢氏名を蘭花という女であった。彼女はイダルガーンの実妹である。普段は少年騎士のような男装であるが、この日はイダルガーンが言いつけたのだろう、漢氏特有の裾の長い衣装であった。通常男装してきりりと眉を上げた彼女しか見ていないエルシアンとケイの2人には珍しい光景であった。

「こんばんわ、エル様、ケイ様。ようこそいらっしゃいました」
 ゆっくりした不思議な動作で会釈をする。そんな優美な動きもできるのかとケイは少し、感心した。
「夕食が済んだらこれに庭でも案内させましょう。他にご覧になりたい場所があるのなら、遠慮なく申しつけ下さい」
「あ、いや──」
 何事かを言いかけて、ケイはそれをやめる。彼を見上げたランファがにっこり笑ったからだ。
(……結構、可愛い、かも……)
 妻とのことはケイはこの時点では諦めている。彼の妻の気性からして烈火の如く、怒っているだろう。
 王都から脱出して漢氏街にいく途中にイダルガーンが囁いてきたことも、今更思いだして彼は赤くなる。イダルガーンは彼に、ランファを貰ってくれまいかと言ったのだった。

 元々ケイは気の強い女が好きだ。多少恐い思いをすることも含めて、それは麻薬のように彼を引きつける。自分の言いなりになる女など、少しも面白くもないし刺激にもならない。多少鼻っ柱が強くて思ったことをぽんぽんと口にする女の方が面白くて、愛嬌があるではないか。それに、そういう女は閨が一番面白い。
 ランファはその条件によく合い、さてケイの好みと言えた。
(あっちが駄目になったらこっちでも悪くないかもなぁ)
 妻もランファも、それを聞けば叩きのめされるであろう事を、彼はぼんやり考えていた。