June Bride

 私は美人だ。父はしょっちゅう母と見比べては
「よくぞこの子を産んでくれた」
と涙ぐみ、母はテレビを観ながら女優を一人一人あげつらって、決まって最後は
「お前のほうがよっぽど綺麗だよ」
と顔面を崩して喜んでいる。
 当然両親は小さな頃から私を溺愛した。スカウトなど珍しくもなかったが、私は芸能界など入る気はちゃんちゃらなかった。女子大を卒業して私は都市銀行へと勤め始めた。もちろん、目的は結婚相手のゲットである。面接で私の足をじろじろ眺め回していた部長の部署ってのは気に食わなかったが、そこは都市銀の人事部、お茶くみとはいえ本店勤務なのだから文句は言うまい。
 母の持論は
「とにかく男で女の人生は決まる」
であり、私もその通りだと素晴らしい結婚相手を捜すことだけを考えている。父は好きあった人がいればなんて甘っちょろいことを言っているが、愛情なんてどうせすぐに冷める。私と母は現実だけを見ていた。三高なんてどうでもいい。身長なんか、シークレットブーツで解決する問題じゃないか。顔なんて、目を閉じてしまえば見えないし五十年たって七十代に突入する頃には関係なくなってしまう。
 問題は、高収入。後はま、出来れば暴力的でなければ顔が河馬だろうが猿だろうが構わない。頭が悪いと困るから頭がよくて収入のある人。ただし、どこかの御曹子だというのなら、「頭がいい」の条件をはずしてもいい。私はだからお使いにも積極的に出たし、みんな嫌がる会議のお茶くみも一所懸命やった。この銀行か大手融資先のエリートをゲットしたかった。
 そして私に声をかけてくる男は思った通りに多かった。適当に相手と食事をし、会計はもちろん相手がカードで払ってくれるのだがそれがゴールドでないと即ご退場願い、選別に選別を重ねて候補をしぼりこんだ。
 収入もいいし、もちろん東大卒だ。医者で父親が総合病院を経営しているからこいつに決めようかどうしようかと思うのだが、もっといい人がいるかもしれない。
 父はくたびれたようにいい加減にしろぉ、と遠くから言っていたが母と私は真剣だった。だって、一生を賭ける人を選ぶんだから少しくらい迷ってもいいじゃないか。そいつは医者だが基本的に頭の中がいつでもぽやっと人肌程度にあったかい奴だから、適当に
「まだ若くて不安なの……」
くらいのことを目を潤ませていっておけば大丈夫だろう、馬鹿だし。
 そんなある日のことだった。私はいつものようにお使い先から書類を受け取って帰るところだった。あんまり暑かったので公園の木陰で缶ジュースを飲んでいると、あの、と声をかけられた。声は若かった。いつものナンパだと思って戸惑いがちな怯えた笑みというやつを浮かべてはい、と返事をしながら振り返った。
 私はちょっと驚いた。声が若かったから大体二十台の半ばからの年齢だと思ったのだが、そこにいたのは六十過ぎくらいのオヤジだった。ただ身なりは良かった。ただ、妙なのはその手に握られた物体だった。それは青っぽくてずんぐりしたロブスター(おえー)に似ていた。私がそれに見入っていると、さっき私を呼んだ声がもう一度、今少し宜しいか、と言った。このオヤジの口は動いていなかった。
 私は後ずさった。どこからこの声が聞こえてくるのか全然分からなかった。そうすると、
「どこをみているのだ、お前は」
というやや高飛車な声がして、私は少しむっとした。それが顔に出たのだろう。オヤジが、殿下女性に向かってそんな口をきいてはなりませんよ、と優しく諭すように言った。
 ……殿下? それは王室の人間につく敬称だった気がする。私がぽかんとしていると、オヤジがにこやかに笑いながら
「済みませんが、殿下と少しお話をなさっていただけないでしょうか」
と言った。私は殿下、と聞き返した。
「おお、失礼いたしました。こちらはガルベリア王国のサキリジテ王太子殿下でございます。殿下があなた様と是非お話をなさりたいと」
 まぁ、と私は頬を懸命に赤らめて恥ずかしそうに俯いた。王子だ! 王子! 殿下だぜ?ガルベリアってのがどんな国か、全っ然知らんが腐っても王子!話を聞くだけ聞いてやろうと私はでも、と少し首を傾げた。
「私……仕事の途中で……でも、せっかく殿下に仰っていただいているのに、困りました……」
 そうすると、それでもいいと言われて私は内心で万歳をする。最初に譲らせたなら上手く行く。
 今日はあの医者が新しい車を買ったとかでドライブに行こうと下らないことを抜かしていたが、適当に断ってしまおうと急いで算段をつけ、私は浮き浮きと部署に帰った。こっそりパソコンをネットへつなぎ、ガルベリア王国、を検索すると意外にヒットがあり、大体の事情を知ることができた。ガルベリアは中等とアジアのちょうど中間辺りに位置する小国だが、豊富な宝石の鉱脈と掘れば出てくる石油のおかげで豊かな国らしい。特に王室は世界有数の資産家だとある。
 世界! 有数!! 資産家!!! 
 私は気分が悪いと嘘をついて早退し、美容院で髪を整え、新しいスーツと靴とバッグを買った。王子ってのがどんなのでもいい。国王の年齢が今五十五だとあったから、王子の年齢は私よりも少し上、程度だろう。絶対に絶対に、負けないんだから!
 時刻を少し遅れて(この遅れるのはポイントである)帝国ホテルのスゥイートを訪れると既に話が済んでいるのか、すぐに通された。居間には昼間のオヤジがいて、あの変なロブスター(むえー)が椅子の上にいる。私は殿下は、と聞いた。
「馬鹿者、余はここにおるであろう」
 あの若い声がして私は目の前のロブスター(青バージョン)を見た。三対の爪にそれぞれ馬鹿でかい宝石をつけている。あれ、全部本物なんだろうな。ルビー、サファイア、エメラルド。ダイヤモンドに……あれはオパールか。宝石もあれくらい大きいとガラス玉にしか見えない。
「どうした、レンコ」
 また、声がした。声は確かにそのロブスターからしていた。
(ううーっ)
 まさかとは思うが。私は救いを求めてお付きだと思われるオヤジに視線を投げたが、オヤジはしれっとした顔付きで殿下でございますが、と言った。
(ぎゃっふーん)
 私は心の中で呟いた。確かに容姿や身長なんかはどうでもいい。それはそうだ。だけどあくまでも人間の話であって、ロブスター(青、かなり気持ち悪い変な茶色みがかった色……おえー)はちょっと話が違う。殿下はてきぱきと話をしている。日本語お上手なんですねと言うと、自動通訳機があるからな、と少し自慢げに言った。オヤジが横からそれは殿下がご自分で開発されたのですと能書きを入れた。工学博士号を持っている……そうだ。
 頭はいい。金を持ってる。性格も話をしているうちに優しくていい人だとも分かってきた。何よりもこのロブスター(うぉえっぷ~)は王子で世継ぎで次の国王だ。
 だけど、なぁ……うげー。
 殿下は未練がありそうな様子だったが私は遅くなると父が心配しますからと嘘をついて早々にそこを出た。家に帰ると私は真っ先に母に相談した。母の答えは簡潔だった。
「結婚するのよっ! 王子でしょ、お金持ってるんでしょ!何を迷ってんのよ、こんなチャンスもうないかもしれないわよっ」
 だけど、と私は泣きそうになる。相手が人間だったら飛びつくし、多少見栄えが悪くたってまばゆい黄金だと思えば目がくらんで細かいところは見えなくなるもんだ。でも、相手はロブスター(青……ぐえぇっぷ)だ。インターネットで調べたらあれはどうやらヤシガニとかいう石垣島原産の珍味のカニらしいが、見ためはシャコが青く塗り潰されているみたいで気持ち悪い。生理的な嫌悪感を、見ていると催してくる。
「あのなー、お父さんは思うんだが」
 言いかけた父の言葉を、私と母が叫んだ同じ言葉が遮った。
「うるさいっ、愛とか恋で飯が食えるか!」
 今、大事なことを考えているのだから。しかも悪いことにガルベリア王国というのは戒律が厳しくて、浮気したら死刑なのだ! だが、王子の爪にはまっていた宝石の輝きを思い出すとふらっと傾く。だが、そのはめていた本体のほうを思い出すとまたぐらっと揺らぐ。
 目の前を過ぎていく絢爛豪華な物欲の幻に、うーん、と私はうなった。あの医者と結婚してもこのうちのいくつかは手に入るかもしれないが、無尽蔵に買わせてくれるわけじゃないし。
 だけど、あの生理的な嫌悪感をどうすればいいんだろう。あれとエッチなんて……うぉおうおぇー。
 私は一瞬、すごーくすごーく嫌なものを想像してうぇーっと吐き気をこらえた。しかし……時計は。でも……うえぇぇぇええ。母は結婚結婚と怒鳴り続けている。父はいじけてこたつに潜った猫を構っている。その中で私は立ちつくしていつまでもいつまでも、時計を我慢するのか、おえーを我慢するのか、その二つの間をぐるぐる回り続けるのだった。
《終》


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