海嘯の灯 12

 クインが提案したのは、この前彼が言いかけたその続きだったのだろうとライアンは思い、そして細刃刀についた血を皮の手袋の表で丁寧に拭いた。剃刀のような鋭利な刃は血糊をぬぐってやらないとすぐに錆がきて切れ味が悪くなる。
 次、と言うと、ダルフォが襟首を掴んで少年を一人放り出す。
「勘弁してくれよぅ」
 涙に震えた声が必死で懇願しているのを聞き流してライアンは武器を選べ、と言った。
「だって兄貴がドォリィの所に行くって言うなら俺が逆らえる訳ないじやないかよ、頼むから、助けてくれよ」
 血を拭き終えてライアンは右手で細刃を握り、振り返った。
「チアロ、お前がやるか」
 突然言われてチアロは激しく首を振ったが、ライアンはもう一度同じことを言った。半ば強制なのだ。そろそろチアロも人殺しに慣れておいたほうがいい。とどめをさせなくても、他人の殺気と向かい合わせて慣らしていく過程があれば願ったりだろう。
「絶対にお前を殺させはしないから、練習のつもりで相手をしてみるんだな」
 ライアンはチアロに小太刀を持たせて少し後ろへ下がった。少年は震えながらもようやく足元の武器の中から剣を選んだ。嫌がるチアロの背を押し出す。ライアンと目が合うと少年はもう一度助けてくれと言った。
「俺は、ほんとにドォリィの言う通りにしてきただけなんだ」
「……そうか」
 ライアンは酷薄に微笑みながら頷いた。少年の顔が引きつった。ライアンがどうしても許す気など無いのを悟ったのだろう。
「だが、そうやって命乞いした俺の部下もお前はなぶり殺しにしてきたんだろう?」
 ライアンは言って少年の身体がよく見える所へと歩く。
「勘違いするな。貯め込んだつけを今、返してもらうだけだ。チアロ、左の胸を刺せ。一息で決めるのが鉄則だ。その他は今は覚えなくていい」
 覚悟を決めたのだろう、震えながらチアロが頷く。チアロが小太刀を構えたのと、少年が剣を振り上げたのとがほぼ同時だった。
 暫撃をチアロが横へかわす。剣がなぎ払われる。そっくり返ってチアロはそれを避け、そのまま後ろへ転がった。くるりと軽くこなして起き上がり小太刀を相手のほうへ突き出すと少年がそれをかわしてチアロの腕を掴んだ。
 ライアンの右腕が咄嗟に動いた。チアロは背後から飛んできた銀の軌跡が迷わずに少年の喉へ深く刺さったのに安堵の溜息を漏らしてその場へ座り込んだ。
 ライアンは一瞬で絶命した少年の側へより、喉へ突き立つ細刃を引き抜いた。チアロがのろのろと立ち上がってごめんと呟いた。
「最初は俺もこんなものだった。気にするな、じきに慣れる」
 チアロの肩をたたいて背後の列へ戻らせ、ライアンは再び刃に付いた血を拭き取った。ダルフォに次、と言う。新しい悲鳴をどこか遠くに聞きながらライアンはふと空を見上げた。
(引き締めるには、恐怖がいい)
 あどけなく幼い声が言った言葉がいつまでも耳に残っている。
(多分、ライアンはなめられてる)
 その通りだとライアンは思う。だからこうしてドォリィの所の連中を狩り始めた。以前クインの言った通りに必ず五人から六人の集団で歩かせている。頭を失ったヴァシェルの派閥は既に形さえなかった。
 強い意志、何があっても自分は不死身だと錯覚させるほどの強靭さをいつまでも見せ続けていれば自然と人が集まってくるのだ、とクインが言い、そしてそれはその通りだった。
 何人か捕らえてきた少年達をライアンはもうためらわずに公然と敵と呼んだ。トリュウムヘ連行してきた後、一人づつ前へ出して武器を選ばせ、ライアン自身と勝負をさせる。拒否したものにはまとめて油をかけてから火をつけた。
 勝負の形を取ってはいるが、これは既にれっきとした公開処刑であった。自分の名が殺戮の代名詞のようになってきている。以前、リァンがいた頃もライアンの名はその強さと滅多に表に出ない密やかさで死神のように言われていたが、ここまでの恐怖を引き起こしはしなかったろう。
 ドォリィはライアンを取るに足らない相手だと教えたのだろうか、人狩りを始めた頃、この処刑でもライアンを相手に自信満々のものが数多くいたが、彼らに元来の序列というものを教えてやるのにそれほど時間はかからなかった。
 今ではそれほど思い上がっているのはほとんどいない。ライアンの強さというものを声高に宣伝した結果、ドォリィの勢力を大きく上回り始め、自分の下についている少年達も、処刑がある度に数が増えてくる。
 石造りのアパートが続くその窓から覗いている視線はドォリィの間者なのだろうが、それは放っておいた。口から口へ伝えられる事実が、いっそう彼らの恐怖を煽り立ててくれるだろう。
 それと同時にリァンの指針を完全に引き継ぐ旨を言挙げし、月極めでリァンが払わせていたよりも高い十三ジルと通達した。
(安くあげさせるな。安い金だと安い価値だと思うもんだ。安売りは一番いけない)
 クィンの言葉は、彼が十才だということを忘れさせるほどに的確で冷静で、冷たい理屈に固められている。
 敵が吠えながら突っ込んでくる。ライアンは細刃についた鋼糸を引き出して腰の位置で待たせる。初撃を最小の動作でかわして糸を喉の位置にあわせる。敵が慌てて身を退こうとするよりも早く。鋼糸は喉に食い込み、皮膚を破る。ライアンは敵の首の裏で刃と糸を持ち替えて首を絞めにかかる。血と悲鳴が吹き上がる。敵が喉をかきむしった爪が剥がれてぱちんとライアンの頬に当たった。敵の身体が絶命寸前の痙拳を起こし始める。悲鳴は既に聞こえない。かすれた呼吸音だけがする。力を弛めずに絞め続けると、だらりと動かなくなった。
 ライアンは腕を下ろした。首に食い込んでいた糸を引き出すと、血が首から漏れて煉瓦の上に染みを付けた。
 首は半ばちぎれかかっていた。潰し切られた気管が喉に開いた裂け目から見えている。ちぎれなかったのは骨が芯のように通っていたせいだ。
 手下が無言で死体を運んでいく。後でまとめて排水溝へと放り込んでしまえばいい。
 ライアンはチアロに水、と言いつけた。今日はこれで八人目だから、少し汗をかく。チアロがコップを取りに戻っている間、ライアンは鋼糸をぴんと張って傾けた。まとわりついていた血が滑って掌へ落ち、ぽたりと二滴垂れた。
 それを舌先で駈めても。もう血の味しかしなかった。
 もう二度とあの甘い味は戻ってこないのだろう。あれはリァンと共にいた過去の深淵にしか存在しなくなった。
 憎しみをもたない死は何の匂いもしない。リァンの心に寄り添ったあの頃の血を波打たせ、たぎる気持ちのままに相手を憎んだあの甘美な陶酔は帰ってこない。
 リァン、俺を憎んでいたのかと聞きたかった。あれほどの愉悦を教えておいて、何故俺を放り出していく。
 チアロの差し出した水をライアンは一口含む。清涼な無味が血の臭いを押し流して喉を下っていった。
 ライアンは細刃刀を握りしめる。細刃刀は菱形の両刃の尻に糸を付けて操る武器だが、握ればナイフになるし、投げれば鏃のように狙い打ちが可能だ。糸で相手をからめて引きずることも首を絞めることもできる。
 熟練に時間がかかることと一つの失策が死につながってしまうことを除けば便利な武具だった。但し、その二つの理由が余りに大きいため、殆ど使う者はいない。扱うのは今はライアン以外に数人だが、彼らは糸をつけない。使い慣れないとかえって邪魔になるものだ。糸を付けているのはライアンと、過去にリァンがいたくらいしか記憶になかった。
 だがライアンはこの武器が一番好きだった。リァンが彼に手ずから教えてくれたその武器が。それはリァンの思い出と同じようにライアンに染みついて、離れない。
 さてとライアンは残った人数を見る。あと二人。今日のところはあと二人。もう平然とこの後の予定を考え始めている自分に、ライアンは薄く笑む。ここまで来たのだ。憎しみのためでなく。ただ殺すために殺せる自分は、成長したのだろう。そうでなければ仕方がない。
 次、と言うと引き出されてきた少年も命乞いを始めた。うんざりしながら聞き流す。
「自分の命のために仲間を裏切る奴を俺は信用しない。俺が仲間だと認めるのは、自分で投降してきた奴だけだ」
 低く言い放つと、絶望の呻きと微かなどよめきが耳に入った。
 明日からまた、こちらへ転向するものが増えるだろう。この群衆の内にいるドォリィの手の内の者にも、この言葉は届くはずだ。
 ヴァシェルの死によって道連れにされたのは、結局、十人にも満たなかった。残りは殆どライアンの下へ膝をついた。
 人が増えると幹部も増えていく。ダルフォはよくやってくれている。押しあげられて高いところへ君臨し始めたことで、ライアンの周囲には以前より遥かに人がたむろしている。だが意思の疎通ができているのはダルフォとチアロの二人くらいだ。
 リァンもこんなだったろうかとライアンは薄く感じざるを得ない。彼はライアンよりも遥かに明るく人好きがしたが、それでもこう思うこともあったろうか。
 頭というものの孤独は人に囲まれてまでの孤独だろうか。リァンは孤独だったろうか、だからこそ人が好きだったのだろうか。
 ──俺に心を許してくれていたんだろうか。
(リァンって奴は、本当は誰も信じてなかったんじゃないのか)
 突きささった辣が、抜けないでいる。
 ライアンは大きく息を吐き落とすと細刃刀に軽く唇をあてた。金属の臭いは血の臭いに似ていた。

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