海嘯の灯 13

 甘ったれた女の嬌声は頭に信じられないほど響く。視線を投げると戯れに身体を寄せ合っているのが目に入って、ライアンはまた視線を自分のグラスに落とした。
 氷は溶けかかっていた。ライアンに付いた女はさっきから氷を継ぎ足したがっているが、同時に酒が濃くなるからライアンはそれには気付かないふりをしている。
 ここ二週間ほどで完全に下町の決着はついた格好になった。揺るぎない地盤と人に支えられて、ライアンは正しく王となった。
 ドォリィは焦っているだろう。次々に部下が殺されていく。動揺が蔓延する。裏切ってそちらへ行く者が増える。ほんの少し前まで立場は逆だっただけに、衝撃もあるはずだ……
 ドォリィの心持ちを思うと僅かに笑みがこぼれてくる。ここで笑えるのだから、自分も大概余裕に見えるというものであった。既に勝負は決まった。後は残ったごく一部の敵を包囲して、ゆっくりと潰していくだけでいい。掃討戦が残されているだけに過ぎなかった。
 前祝いという訳ではないが、こうしてライアンは手近な妓楼を借り切ってここ何ヶ月かのうっぷんをはらす機会を与えてやっている。リァンも時々していたことだ。散財には違いないが、厳しく締めつけるだけでなく折にふれて甘い蜜も吸わせておくのが長く組織を保つためには必要なのだ。
 クインも似たようなことを言っていた。今日の宴席にも心底加わりたいという顔つきであったが、ライアンは許さなかった。
 クインの存在はともすれば争いの種になることもあるだろう。仲間意識が非常に強いタリアの子供たちは、裏を返せばよそ者に対する警戒が強いとも言うことができる。出入りするだけでも不快感を覚える者の方が多いだろうし、ライアンに対等な口をきくのも、ライアンがクインの意見を尊重するのも、結果彼を大事にするのも嫉妬を買う。
 なるべくクインの存在を表に出さないようにしようとライアンは決めている。ダルフォやチアロなどの腹心への口止めで十分なほどで、今なら済んでいるのだから。
 知らない顔がライアンの所へ来て挨拶し、名前と所属している派閥を名乗っていく。さっきからこればかりだ。知っている顔は半分ばかり、皆リァンが生きていた頃の知り合いで、知らない顔はリァンの死以降に生き残ってのし上がったものだろう。
 全員を把握する必要はないが、使えそうなのがいればいいとも思うから、ライアンは彼らの挨拶をいちいち聞いていたが、それも限界を感じてノイエ──彼はヴァシェルの死後ライアンへ部下と共に下っている──を呼んで謁見を打ち切ると伝えた。
 一息ついてライアンはすっかりぬるくなった酒をロに運んだ。舐める程度に含む。喉に染みて痛い。顔をしかめたライアンに、ずっと彼についていた女が可笑しそうにころころと笑った。年は二十歳を越した頃だろう。この妓楼一番の遊女だというが気負ったところも気位の高さもなく、気が楽なのでライアンはそのまま彼女を側に置いている。
「そんな、時間の経ったのを飲むからいけないのよ」
 気安く言って女はライアンのグラスに手を伸ばそうとする。それよりも素早くグラスに掌をかぶせて蓋をすると、女はまた声を上げて笑った。
「お酒は嫌い? 私が嫌なのじゃないのよね?」
 上目使いの瞳に、うっすらと温かなからかいが潜んでいて、ライアンは苦く笑いながら首を振った。
「今日は泊まっていくの?」
 女は首をかしげながらライアンに言った。編み上げた柔らかに波打つ髪に、これでもかと差しこまれた髪飾りの鈴が一斉に澄んだ音を立てた。
「そのつもりだ。お前、俺では嫌か」
「そんなこと」
 女は言って媚びたような笑みを浮かべる。それでもからりとした口調なのが不均衡でおかしかった。
「あなた、この子たちの親玉なんでしよ。だったら喜んでお相手させていただくわ。私、権力に弱いのよ」
 自分でもその言葉を信じていないのか女はまた笑った。ライアンは権力ね、と呟いて肩をすくめて笑った。別にこれが欲しかったわけではないのだが、結果的にそういうことになってしまったのだから仕方ない。
「それに、あなたみたいな美少年だったらそうでなくても大歓迎」
 女は眉をひそめ、重大な秘密のようにライアンの耳元で言った。
「腹の出た親爺の相手はつらいのよ。目茶苦茶重いし、脂ぎってるの私、嫌いなの」
 思わずライアンは声を上げて笑う。何故この女が一番の指名を誇っているのかがわかった。美しいだけの女は年を取ればお払い箱になるだけだが、心ばえのよい女は気を休ませ、馴染みを掴んで放さない。
 この女もそういう性格なのだろう。若くてまだ十分に美しいから一層指名がつくに違いなかった。
「ねえ、年は幾つなの? 十……八か九くらい? まだ二十歳にはなってないでしよ、肌が綺麗だものね」
 肌ね、とライアンは苦笑する。
「正確な年は知らない。……お前の言う通り、多分十八だろうな」
 芝居をしていた頃、六回は冬を越した記憶がある。老人のところに一年と半分ほど、リァンのところへ来たのが四年と少し前、売られたのが六才だとすれば今、十八かその少し手前だろう。
「あら、そうなの」
 女はたいして驚いた様子を見せなかった。ここにいるのは親がいない子供が大半だが、親がいなくなったのが幼い頃なら年齢を知らない。時々聞く話だから、さして珍しがるわけでもないのだ。
「じゃあ、ずうっとチェイン?」
 この歓楽街一帯をタリアというが、チェインとはその裏の、少年達の縄張りとなっている地区をいう。リァンが治め、ライアンが今ほぼ継承しかけている地区だ。
 ずっとチェインにいるのかという問いにライアンは首を振る。
「十才ぐらいまでは曲芸と芝居をやる芸団にいたから……その頃は色んなところへ行った」
 懐かしく遠い日々であった。陽炎のように記憶の彼方で揺らめいている。あの頃一緒だった仲間たちは今どうしているだろう。
 ライアンは孤児ではなかったが、孤児も多かったし、ライアンのように売られた子供もいた。身を寄せ合い、傷を舐めあって生き抜こうとしていた時代は、既に薄れかけた記憶でもあった。
 芝居と聞いた女の顔がぱっと輝いたように見えた。
「私、好きなのよ、芝居。ここに来る前はよく観に出かけたわ」
 懐かしそうに言って、女は目を細めてあらぬところを見た。
 この女も売られてきたのだろうとライアンは思った。過去を語るのに優しい女は売られてきたのが多かった。家族のためにここへ来た女達は家族を少しも恨んでいない。むしろ自分たちの稼ぎで親や兄弟を救えたことを誇りに思っている。そうして納得ずくで客をとるのだ。
「昔、城の前の広場でやってた芝居が好きでね。簡単な舞台を組んでやるんだけど、中にすごく綺麗な子がいて、私、その子を見に行ったわ」
 面食いなのよ、と付け加えて女は自分でくすくす笑う。
「一度だけ公演中にその予の髪飾りが壊れて飛んできたから拾って渡しに行ったら、笑ってありがとうって言ってくれて。今と変わらず面食いだからぽーっとなって、毎日見に行ったわよ」
 女は言いながらばっかみたいよね、と笑う。ライアンは曖昧な笑顔を浮かべて側の氷をつまんで口へ入れた。
 ……女の事は覚えていなかった。ライアンは舞台に立つとき、いつも客席を見なかった。何もかもが興味のない、無彩色の世界、無彩色の舞台。客席などどうでもよかったのだ。
 だが髪飾りのことは思い出した。殺陣の最中に止め金が弾けて飛んだのだ。何事もなかったように芝居は続けて終演したが、その後で細かい部品や擬輝石がないと座長にまた殴られると思っていたろうから、拾ってきてくれるのは確かにありがたかったのだろう。その時の笑みは安堵のものに違いなかった。
「あの子、今頃どうしているのかなって時々思うのよ」
「……何故。他人だろう」
 そうね、と女は笑い、遠くを追想する目をした。
「突然芝居に出なくなったからどうしたのかと思って劇団の子に聞いてみたら、養子に行ったってきいて。なら、今は幸せかしら、美味しいもの食べて、いい服を着て学校へ行って。私、自分の好きな人には幸せになって欲しいと思ってるの」
 そうか、とライアンは言葉すくなに応じた。老人のところでの生活は、確かに美味しいものを食べていい服を着ていい装飾品で飾り立てられて誰もライアンに酷いことをしなかったが、それだけが全てではないのだと、ライアンはそこで学んでしまっている。だがそれをこの女に言うのは酷とも言えた。
「お前、名前は」
 聞くと、くすりと女は笑った。
「やっと聞いてくれたのね。ミアって呼んで」
 ミアは悪戯っぽく微笑んでライアンの残した酒をあおった。女に似合わないいい飲み口だった。ライアンは酒の代わりに氷を再び口へ含んだ。気だるさは脳の奥まで染みていて、これ以上は飲めない。飲めるのかもしれないが、リァンといた頃の習慣で、帰る頃には酔いが醒めるように自分の調子をじっくりと観察しながら付き合っているうちに、限界量を狭めてしまった感がある。
 ……あの夜はそう飲んだ記憶はないのだが特別に酔いが酷く、歩くのがやっとだった。だからリァンはライアンを帰してラルズを連れていった。それは結局は裏目に出てしまったのだが。
 やはり酒は駄目だ、とライアンは見切りをつける。体質も関係すると聞いたことがあるから、きっと自分はそれなのだろう。
 ミアが水を飲むかと聞いた。ライアンは頷いた。酔ってはいけない。それは大切なものを奪っていく呼び水なのに違いなかった。
 ミアが呼び鈴を振ると、白い衣装の小間使いが現れた。ライアンは片手をあげる。固い表情でシャラはぺこりと頭を下げた。
「知り合いなの?」
 ミアの不思議そうな声に。ライアンが答える。
「以前、少し話をしたことがあるぐらいだがな」
 シャラはこくりとうなずき、ねえさん御用は、と言った。ミアが氷を言いつけると素直に立ち上がり、階下へ降りていく。ライアンはその背を目で追う。ミアが脇腹を指でつついてよそ見しないでと笑いながら言った。
「あの子が気に入ったの?」
 ミアはライアン用にと置かれている酒の瓶を自分のグラスへ傾けながらそう聞いた。別に、とライアンは答える。ただなんとなく面影にそぞろな気分になるのだ。その正体は分からないが、嫌な感じではなかった。
「まだ子供だろう」
 ライアンの言葉にミアはそうねと呟いて苦笑した。
 シャラはすぐに戻ってきてライアンの前に氷を置いた。一礼してその場を去ろうとするのを呼び止めたのはミアのほうだった。
「知り合いなんでしよ。すこし貰っていきなさい」
 困惑気味の少女の手首を掴んで強引にその場に座らせ、ミアは自分のグラスに酒を注ぎ込んでシャラに握らせた。
 シャラはライアンのほうを見た。ライアンは頷いた。遊女の飲み食いするものを客が払うのは当然だ。シャラはまだ正式な遊女ではないが、ミアが飲ませるなら同じことだろう。シャラが酒の匂いを嗅いでから口をつけた。強い酒だから、むせて咳をしている。その背をミアがゆっくりとさすってやっていた。
「……ごちそうさまでした」
 ふう、と大きく溜息のように呼吸してシャラが言った。酒が好きではないのだろう。
「この前はありがとうございました」
 先輩遊女の前でいささか緊張しているのか、シャラの言葉は固い。ミアがああ、と声を上げた。
「この前あなたが助けてもらったっていうの、この人なのね」
 はい、とシャラが頷く。ようやく酔いが回ってきたように頬にほのかに赤味が差し始めていた。
「大体の話はシャラから聞いているの」
 ミアは酒を砥めながら言った。
「嬉しかったみたいね。この子はあなたのことをよく話してくれる。好きなんでしよ、シャラ」
 ミアの言葉にシャラはますます内気がちにうつむいたが否定はしなかった。ライアンは苦く笑う。年のいかない女というよりも女を感じさせない少女性は彼の苦手だった。まして見習いの彼女の想いなどぴんとこない。嫌いではないのだが、そういうものとは多少感触が違うのだ。
「この子、水揚げが決まりそうなの」
 ミアが淡々と言った。遊女として最初の客を取ることを水揚げという。客同士の間で競りで売買されるが、登録料を払った客のうちで一番の資産を持っているのが大抵競り落とすから。予測をつけるのは難くない。
 ミアが名を挙げたのは近年真珠の養殖に成功した成金の息子でこの界隈では金離れの良さとえげつない性格で通っていた。直接会ったことはないが遊女や女将から話は聞いていたから、ライアンはあいつかと思い浮かべることはできた。
「ねえ、なんとかならないかしら」
 ミアが言外に含めた意味をライアンは正確に知っていたが、そらとぼけて肩をすくめて見せた。
「おれにそいつを殺せとでも言うんじゃないだろうな」
 物騒ねといいながらミアも朗らかな笑い声をあげるが、その瞳が複雑そうにライアンを見ている。ライアンは内心で重い溜息を落としてシャラをちらりと見た。
 シャラはミアの懸命さとは裏腹に、投げやりに自分の行く末を見ているような無関心さで、グラスで溶ける氷水を眺めている。その瞳が不意にライアンを見て、それから再び伏せられた。
「ミアねえさん、もういいんです」
 下ばかり見ながらシャラが言った。
「この人、私のことを抱く気がないってこの前言いましたから」
 ミアはそう、と言って軽く失望の溜息をついた。それからまだ諦めかねるようにライアンを見て、
「シャラは美人になるわよ。こんなに顔立ちがくっきりしてるんですもの。もっと綺麗に化粧して衣装を着たら見違えるわ。すぐに大人になる」
と言った。ライアンは首を振った。そういうことではないのだ。
「シャラが昔知っていた奴に似ているだけの話だ」
 それが誰なのかは今一つ分からないのだけど。
 シャラがきょとんとした顔つきでライアンを見つめ返したのはその時だった。どうした。と促すと首をかしげながらも言った。
「あたしも、ライアン……様を最初に見たとき、同じことを思いました。あたしの場合は、母ですけど」
 言ってシャラは顔をしかめた。
「ごめんなさい、女に似てるなんて言われても、嬉しいはずないですものね」
 いや、とライアンは言って氷をつまんで口にした。自分の顔がどちらかといえば女性系統なのは分かっている。この顔ゆえに被害者になることが元々の性向としてあったのだ。
「シャラみたいな顔は一般的な美女型だから、どこかで見たことあるって人は多いと思うけど」
 ミアが少女の頬の滑らかな線を指先でなぞりながら言う。
「それに私から見ればあなたたちだって似てるようにも見えるわ」
 そうだろうか、とライアンはシャラを見るが、よく分からなかった。自分の顔などじっくり見たことがあるわけではない。
「俺はシャラの水揚げに参加するつもりはない」
 強く、はっきりとライアンは言った。シャラとミアが同時に溜息をついた。
「……もういいわ。行きなさい」
 ミアがシャラの手の甲を叩き、シャラは立ち上がった。ぺこりと腰を折ると小走りに近い早さで去っていく。
「冷たいのね」
 ライアンの腕をミアがつねった。
「シャラはあなたに助けてもらったのが本当に嬉しかったのに」
「俺は子供には興味がない」
 実の所、シャラが子供でないとしでもそんな気にはならないだろうとライアンは思っている。出会いをすり替えることは出来ないから分からないが、衝動の呼び水の気配さえ感じることが出来なかった。誰に似ているのだろうとライアンは思う。全てはそこへつながっている気がした。
「気が向いたら参加してやってね。来月の末に競りがあるの」
 ミアの諦めに似た念の入れ方にライアンは素っ気なくうなずきながら煙管に火を入れて外を見た。
 そろそろ潮時と言えた。勝負はあった。自分はどうやら勝った。リァンの時よりも人数は減っているが、あの災厄を乗り切った者はそれなりに不用意なことをしなかった慎重さと生き残るための強さを持っている。ふるいにかけたのだと思えばそんなものだ。
 それなら当初からライアンが広言していたもう一つを実行に移さなければいけない。自分の下についた少年達の安全と自由を買う為に、チェインを治める資格を得るために。自分たちのことを見てみぬふりをしてもらう代わりに、なにがしかの代償を払わなければならない。
 金でけりがつくならいい。そうしたいとライアンは切実に願っているが、おそらくカレルは違うものを欲しがるだろう。
 リァンについてカレルのところへ出向いたことが、あれからも何度かあったが、その度にリァンの後ろに立つ自分を見ていたカレルの眼差しが、ライアンを脅えさせてきた。
 獲物なのだと主張する目だった。カレルはライアンという供物の味を忘れてはいないだろう。細い目の奥から覗く光は執念じみていて、ライアンはそれに気付かされる度にますます表情を消すことだけに神経を集中させた。だからカレルの屋敷から帰った後は、緊張が解けるせいだろうか、激しい頭痛に悩まされた。
 最後にカレルに会ってからそろそろ一年になろうとしている。新しい玩具を見つけてくれているといいがとライアンは思い、そしてそれを少しも期待していない自分に気付いて苦笑した。

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