海嘯の灯 18

 ドォリィから勝負の申し込みがあったのは、それから二日ほどしてからのことだった。ライアンは受ける、と返事をした。
 正直、安堵が大きかった。これ以上無駄に殺しを重ねなくて済む。リァンのためでない殺人など少しも彼を奮いたたせなかった。
 頭同士の勝負は必ず小太刀と決まっている。ずっと以前からの決まりに難癖をつける気はない。一番得意なのが細刃刀なだけで、小太刀も好きな武器の一つだった。
 軽くノイエを相手にあわせてみたが彼よりも皆腕は下で、あまり役に立たなかった。ライアンは苦笑する。以前からもリァンかドォリィぐらいしか自分とまともに打ち合えなかった。その片方と真剣勝負をするとあの頃思ったことがあっただろうか。時は流れていくものなのだった。
 ドォリィと生死をかけるためにライアンは小太刀の選別しようとして、それを放棄した。良い品というものを選ぶより、自分の使いたいものを使おうと決める。
 チアロは相変わらずクインと遊び回っているらしく姿が見えない。ダルフォのことをドォリィの仕業とライアンが断定し公言したことでクインも再び毎日ここへ顔を出すようになっていた。
 母親としか喋れなかった日々は、彼には辛かったのだろうとライアンは思う。口から先に生まれてきたような少年だった。
 雌雄の決着はついているから、ライアンの側をうろうろしているチアロと共にいる限り、クインも安全だろう。彼の心配をしてやっているのに気付くとライアンは微かに笑んだ。母親に頼まれたことを忠実にしてやっているつもりはないのだが、彼女を悲しませるつもりもなかった。
 賑やかな笑い声がしてチアロが姿を見せ、次いでクインが顔を出した。
「あ、起きてたんだ」
 チアロはそんなのんびりとしたことを言って水を飲んだ。クインは男物から制服に着替えて、乱れた髪を編み直している。
 ライアンは細刃刀を懐に納めると窓の側の彼の指定席から立ち上がった。出ていく間際、クインの肩を軽く叩く。うん、とクインが後をついてくる。チアロが同行しようとして、ライアンは来るなと手で払った。
 ライアンの私室へ入れるとクインは不思議そうな顔で部屋を見回していた。ここへ入れるのは初めてだから珍しいのだろう。殺風景で何もない部屋だから、すぐにそれには飽きたようだった。
「何。何か話? 新しい展開?」
 浮き浮きとした口調のクインにライアンは苦く笑う。芝居で言うならもう最終幕だ。いつまでも役者ですらない者が舞台にのって我が物顔に振る舞っている時間ではなかった。
「もう来るな」
 突き放して言うと、最初クインは怪訝な表情でたたずんでいたが、みるみるうちにその白い頬に赤みが差した。
「なんで。俺の言う通りにして上手く行ったじやないか。それとももう俺には用がないって訳?」
「俺は死ぬかもしれない」
 ライアンは思っているままを口に乗せた。クインが居心地が悪そうな沈黙におとなしくなった。
「ライアンは強いんだろ」
 食い下がるクインにライアンはうなずいて見せたが、付け加えるのも忘れなかった。
「だがドォリィも強い。正直、負けると思っていないが、勝てるという自信もない」
 五分、というのがライアンの読みだ。ドォリィの体に対して小太刀は小さすぎるが。ライアンはドォリィに比べれば体が小さくて持久力に欠ける。長びけばドォリィに有利だ。動きの早さで一息に畳みかけるしかない。そして、これはドォリィにも分かっているだろう。彼は勝負の時間を引き延ばしてくるに違いなかった。
「俺が死んだらまた一からやり直しだが、ドォリィがおとなしく見ているはずもないからな。必ず荒れる。だから、もう来るな。死ぬという確信があるわけじやないが、万一の事がある」
 努めて穏やかに、静かに言うとクインは憤然と言った。
「だって俺、あんたに必要とされているんだと思ってた」
 そうだ、とライアンは心の内側で頷いた。クインが必要だったのは自分の方だった。ライアンはこの小生意気で大人ぶった子供が好きだった。明晰な頭脳は付いていたおまけのようなものだ。
 クインに彼の偽りのはけ口が必要だったように、自分はきっと無条件に守るものが欲しかった。彼の庇護なくしては生きていけないものが。それはきっとリァンの身代わりだった。
 リァンを守り、彼のために生きて死にたかった。それが出来なくなったのを、絶対庇護者で埋め合わせたかったのは確かに自分の方なのだ。
 だからもう代価品はいらない。生きて帰ってこれたらもっと違うことを考えよう。自分のために、自分を癒してやろう。死んでしまうなら、死の道行きには必要ない物だ。
 クインは震えていた。噛みちぎりそうなほどに唇を強く結んでいる。泣き出しそうな顔だとライアンは思い、それでも彼は泣かないのだろうと思った。年相応でない不幸というものをクインが感じていないのは明白だが、そうなったのもきっと彼が女として暮らしている一点に尽きるのだろう。……チアロの雨と傘の話で、ライアンには薄々その理由が分かっていた。         
「お前、髪、青いんだろう」
 ライアンが言うと、クインの顔から血の気が引いて蒼白になった。違うと言いつのる顔に生気がない。この辺りはまだ子供なのだとライアンは思った。だから、弱点を容赦しない自分を恨んで来なくなればそれでもいい。
「違うなら水をかぶって見せろ」
 クインが黙った。それは出来ないだろうとライアンは思った。髪の染料が溶けだすから雨に濡れることができなかった。ライアンが泊まった日、彼は湯を使わなかったし母親も勧めなかった。
 ──青い髪。
 青みのかかった髪を持っている者はチェインにもいる。だが正真正銘、青の属性に入る髪は。
 いつからそうなったのか、ライアンは知らない。だが青い髪は貴族、色濃いほど格式の高い貴族の証のようなものだった。
 この国の名をシタルキア皇国と言うが、統治する皇族達は董や瑠璃などの深い青の髪をしていると聞いている。
 無論、格式の低い貴族は青みが薄いし大貴族でも青い髪を持たないものもいる。だがその殆どは金髪だとも言われていた。
 皇族などというものは、初代の皇帝から連綿と続く系譜が近親としか交わらなかった濃さで澱んでいて底が知れず気味が悪い。
 青い髪が流れる血の高貴さの証で、隔絶された世界の正確な写し絵だ。貴族などライアンたちの存在を見ないふりで金だけ与えてそっぽを向き、そのくせ手を汚したくないときだけこちらを利用する──それがライアンが知っている彼らだった。
 クインの髪は純度の高い青だろうとライアンは思っている。薄い青なら染料にもよく染まるし、単純に下位貴族の落胤であるなら染める必要はない。
 一番高価な染め粉が黒だ。定色も悪く、雨に濡れるとすぐに溶けて元の髪色が覗く。それを押してまで黒に染めているとなると、相当青みが濃くて黒でないと染まらないのだというのが答えだ。
「俺は今貴族と事を構える気はない」
 面倒だ、というのが理由だ。自分たちのことで手一杯なのに、これ以上余計な因子を抱えたくないとライアンは続けた。クインはじっとそれを聞いていたがやがてかすれた声で
「あんたに迷惑かけてたのかな、俺」
と呟いた。いいや、とライアンは首を振った。そう思ったことはなかった。クインの明るい気性はこの生活の中へ吹き込んでくる風のようだった。それにどれだけ救われてきたか知れない。
「例えどんな名前だって姿だって、俺は俺だ、そうじゃないのか」
 クインは必死でライアンに言い募る。その懸命さは、きっと自分の足場を失う恐怖だろうとライアンは思った。だが、クインは間違えている。彼の足場はここだけではない。帰る家がある。それがある限り、彼は自分の身を大事にしなければならないはずだ。
「お前が死んだらお前の母親が悲しむだろう」
 小狭い、使い古した陳腐な手だとライアンは苦く思ったが、おそらくクインには効果があるだろう。クインはその言葉に何か撃たれたような顔をしていたが、やがて顔を歪めた。
「……でも、きっと母さんのためにはそれがいいんだ」
 何を言い出すのだろうとライアンはクインを見る。彼の母がライアンに生きていくための灯を見つけろと言ったように、クインも同じことを薫陶されているはずだ。死に憧れるのがどれほど馬鹿馬鹿しいことか分からないはずがない。ここへ出入りするために口を合わせているのだとすれば、それは自分に対する侮辱だ。
 ライアンが不審にクインを見ると、きつい性格の具現だった瞳からぽろりと涙がこぼれて頬を降りていくところだった。
「そうだよ、確かに俺の髪は青いよ。この瞳と同じ色だ。それがどういうことか分かるよな、ライアン。母さんは父さんが死んだといってるけど、それが嘘だってことくらい分かってる」
 クインが髪をまとめていたピンを引き抜き、上げていた髪が編み癖のついたまま広がる。その毛先の一房を掴んでクインはライアンの寝台の脇においてあった水差しを傾けた。水が髪の上を滑って落ちる。床へたまり、染みになる。その水滴が黒く染まっているのが分かった。
「俺の秘密、見せてやるよ」
 クインが言って水をかけた部分の髪を軽く手でしごいてライアンの目の前に突き出した。ライアンは濡れた髪に触れた。黒い染料が指についた。それから陽光の射すところへと僅かに手を移動させ、手の中の髪に見惚れた。
 いっそ見事なほどの青だった。深く冷たい、鮮やかな青。瑠璃と呼ばれている宝玉の色だ。これほどの純度の高い青はもう皇族か、それに準じる大貴族ぐらいだろう。
「俺はこれのせいでずっと、いろいろな所を転々としてきた。五年前に変な奴が家に来て、俺を連れ去ろうとしたから……母さんは怯えてた。俺を抱きかかえながらずっと震えてた。あの時奴について行ってたら、俺は多分今、生きていないんだろうな。家を変わる度にどんどん金が無くなってくのも分かった」
 クインがかすれた声で呟いた。
「だから最後の金で戸籍を買ったんだ。人の多い都市で、女に化けて暮らすために。俺は……こんな顔だから、誤魔化せるから。何より、母さんが怯えなくて済む」
 そうかとライアンは言葉少なく答えた。追われている元凶がクインにあるなら、クインが離れてしまえば母親は安全だろう。
「だから、俺は無事に暮らしていくつもりなら、ずっとこの女の恰好で過ごさなければいけないんだ。誰とも話もできないで、ただへらへら笑って学校の馬鹿どもに合わせて」
 綺麗な髪だな、とライアンはクインの言葉の途中で呟いた。気がそがれてクインが溜息をついた。
「頼むよ。口出しするなっているならもう何も言わない。だからここへ来るなと言わないで。自分の身は自分で守るから。足手まといにならないようにするから。あんたの言う通りにするから、お願いだから、俺を放り出さないでくれ」
 偽りのない言葉だった。だからライアンはいっそう暗い気分で首を振った。
 何で、というクインの声はもう半分涙が混じっていた。
「俺はドォリィとの勝負を明後日に控えている。明日は行きたいところがあるから、お前に会うのもこれきりかもしれない」
 ゆっくりと、噛んで含めるようにライアンは言った。もう覚悟は固まっている。死はそれほど怖くなかった。
 ただ自分が死んだ後のことを算段しておかなければならない。自分はクインについては寛容と言っていいほどだったがノイエはクインを気に入らない様子だった。
「俺が勝てばいいが。そうでなかったときはお前はまたどこかへ売られるはめになる」
 この美貌は金になる。しかも青い髪だ。幾らでも高額を吹っかけることができるだろう。
「俺を必要じゃないのか」
 クインの言葉に、ライアンは溜息をついた。こういうことだ。
「俺でなければ必要ない。他の奴らがお前を胡散臭いと思っているのが分からないはずはないだろう」
 悔しそうにクインは黙った。ライアンは髪をまとめろ、と言った。話はもう済んだのだ。クインは黙ってしばらくそこへ佇んでいたが、やがて髪に手を入れて器用にまとめあげると、色の落ちた部分を内側へ押し込んだ。
「……今まで楽しかった。ありがとう」
 クインはそう言って軽く頭を下げた。ああ、とライアンはうなずいて懐から煙草入れを出してクインヘ放った。漢氏竜の浮き彫りのある銀の小箱はライアンがリァンから貰ったものだった。ただひとつ大切なものを、死にゆくなら誰かに渡しておきたかった。
「それをやろう。今までの報酬には少し足りないかもしれないが」
 いや、とクインは首を振って大切にそれを握りしめた。部屋を出る間際、クインは振り返って何か言いたげにライアンを見た。
「あのさ……ひとつだけ、いいか」
 視線の切実さにライアンは頷く。いずれにしろもう会わないのだから、少しくらいはこの時間が長引いてもよかった。
「リァンが死んだとき、なんでカレルって奴のせいだと思った?」
 クインが聞いたのは、意外なことだった。ライアンは眉をよせた。何故と聞くとクインは小首を傾けながら言った。
「だって、そいつがやったんならとっくにあんたたちとか敵とかも一緒に葬られててもおかしくないのに、このチェインって今、すっごく平和だからさ。ずっと気になってたんだ」
「あの時はリァンが死んで一番得をするのがカレルだと思った」
 ライアンは素直に答え、そしてこの少年を手放すことを心底残念に思った。これだけのことを導き出すのに自分たちはほとんど情報など与えていないのだ。独自の思考の経路を持ち。的確に要点を見抜き、道理の通った結論を編み出す能力という意味では、得がたいだろう。これから先これと同じくらいに切れるのに会えるかどうかも分からないほどだ。
「それ、最初に言い出したの誰?」
 質問は一つじゃないのかと横槍を入れても良かったがライアンは辛抱強くつき合ってやる。自分が彼との名残りを惜しんでいるのだと分かっていた。
「よく覚えていないが、多分ドォリィだろう」
 話の発端辺りをライアンは聞いていなかったが、その後の話の展開を考えればドォリィだと結論するのは難くない。ヴァシェルが同じことを聞いたとカレルは言った。それは、きっとヴァシェルもすんなりカレルの仕業と思っていたからだろう。あの時のドォリィの怒りはそれに飛び切りの説得力を持たせていた。ふうん、とクインは頷いた。
 ややあって、三つ目の質問を口にのせる。ここまで来るとライアンは苦笑するしかなかった。こちらが感傷気味になっているのを計算して自分の知りたいことだけ聞いていく腹なのだ。
「ドォリィとリァンって兄弟?」
 違う、とライアンは首を振った。幼なじみなのだと二人の口から別々に聞いたことがあるから確かだろう。それに、リァンの繊細な顔立ちとドォリィの精悍な面差しは、少しも似たところがなかった。
 そう、とクインは何か遠くを見るような目付きをした。これでいいだろうとライアンはクインの背を軽く叩いた。もう出て行くがいいのだ。
「ライアン、最後にもう一つだけ」
「お前の一つは幾つ有るんだ」
 やんわり叱るとクインはちろりと舌先で唇を砥めた。やんちゃを見つかった子供のような顔をするとライアンは僅かに笑った。
「俺、あんたのこと、好きだった。本当だぜ。助けてもらったことは忘れない。どこにいても何をしていても、あんたに幸運を祈ってやるよ」
「そいつはどうも」
 ライアンはそう言うと煙管を取った。もう交わす言葉はない。最後の言葉を探している。だが、何もないのに無理に作り出すこともないとライアンは思い返した。
「元気でな」
 月並みなことを言うと、クインが月並みにあんたもね、と答えた。クインは挨拶の代わりに片手を上げた。チアロに挨拶してから行っていいかと尋ねて許しを得て出ていく。
 振り返ろうとしないのは。この少年の意地なのだろう。だがまた、懇願してまで届かない相手を諦めるのも早い。潔い、というよりも諦めを知りすぎている。それが哀れでもあった。

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