海嘯の灯 21

 路地に並べておかれた蝋燭の缶が、ほのかに石畳を照らしている。クインと少し話し込んだせいでライアンが到着したとき、既にドォリィはいらだちを隠そうともしていなかった。
 嫌味の一つも出なかったのに、ライアンはドォリィを見る。ラルズの死体を運んできたとき以来だった。相変わらず体格はよいが、あの頃と決定的に違うのは表情だ。どす黒い焦りといら立ちが濃く浮いている。
 ドォリィが水を飲むかと聞いた。ライアンは首を振った。ドォリィの顔に、余裕のような笑みが浮かぶ。おぼろな明かりの中で、それは陰影を映して怒りのようにも見えた。
「死に水かもしれんぞ」
 ドォリィの言葉にライアンはゆっくりと視線を上げ、それから薄く笑って見せた。
「また盛られたらかなわないからな」
 不意にドォリィが黙った。探るようにこちらを見ているのを知りながら、ライアンは皮の手袋をはめる。細刃刀を操るときには必ずつけているものだが、滑り止めにもなった。
「俺はもういいが」
 ライアンが言うと、ドォリィはそうだなと言って小太刀を取った。ライアンはドォリィと対峙して立つ。薄い笑みは次々に湧いてきて、喉を鳴らしてライアンは笑った。目を閉じると聞こえてくる。あのどくどくと血を沸き立たせる鈴の音が、激しく憎悪を歌っている。
「条件を決めておこう」
 柄に手を掛けたライアンを止めるようにドォリィは言った。
「俺が勝ったら俺に従ってもらう」
 分かったとライアンは小さく笑う。もうドォリィの思考の軌跡を読めると思った。
「俺をカレルに差し出して自分の安全を買うつもりだな。そのために俺を生かしておいたんだろう?」
 ドォリィの顔に僅かに走った亀裂を、動揺だとライアンは思った。きっと図星なのだろう。
「俺が欲しいのはお前の命だけだ。俺はお前を許さない。理由は分かっているな」
 ドォリィは黙っていた。ライアンはその沈黙の彼方から聞こえてくる鈴の音を聞いていた。命たぎるこの音こそがライアンを昂らせ、酔わせ、喜びの彼岸に連れていってくれる。
 リァン。今、あなたの苦痛を思い知らせるときなのだ。
 ドォリィが乾いた笑みを漏らして小太刀を抜いた。ライアンは鞘のままで構えた。一瞬、しんとした静寂が路地を満たした。ドォリィの足が砂利を蹴った音がした。
 不意にその姿がかき消えたように見えた。ライアンは気配のままに横へ跳んだ。ライアンの残像を両断して銀の線が走る。ドォリィが反転して向かってくるのに、ライアンは真っ直ぐに走って剣を鞘で払ってすれ違った。
「抜け、ライアン!」
 吠えるような声が言った。ライアンは腰を屈めてゆっくりと鞘を払った。リァン、と呟いた。リァン、俺を護ってくれ。
 低い位置に身構えライアンは地を蹴った。甲高い鈴の音が脳裏に満ち満ちていく。地を舐めるほどに低く突っ込み、足元を払う。ドォリィが上へ跳ぶ。ライアンはそこへ剣を入れる。ドォリィの小太刀が横へそれを払った。
 剣を持つ手に重い衝撃が来る。じんと痺れがはしった。ライアンはわずかによろめく。力ではやはり敵わない相手だ。
 隙をついてドォリィが打ち下ろす剣を、ライアンは横転してかわした。素早く立ち上がったところをドォリィの剣がなぎ払った。後ろヘライアンは跳ぶ。一瞬後で風がまき、ライアンの髪が乱れて宙へ踊った。
 間髪いれずにドォリィの剣がそこへ真っ直ぐに振り下ろされる。かわせないと瞬間的に悟ってライアンは小太刀を水平に構え、左手を刃の裏に添えて衝撃に備える。
 金属のきしむ嫌な音と共に、火花が見えた気がした。
 ドォリィが薄く笑いながら剣に体重を預けてくる。跳ね返すよりも、ライアンは小太刀を傾けて横へそれを滑らせ、ドォリィが思わず膝をついた瞬間にドォリィの顔を蹴り飛ばした。咄嗟に首でよけたドォリィの口元をかすった。
 ライアンは立ち上がり、剣を打ち下ろす。ドォリィはそれをかわして後ろへ下がった。口元を拭う。切れた唇から血が出ている。血の混じった唾をドォリィが石畳に吐いた。
 その血を見ていると気の遠くなるような鈴の音が聞こえる。これが欲しいのだとライアンは強く思った。血が流れる。赤い色が掻き立ててくれる、俺の心を何度でも、何度でも。
「痛いか、ドォリィ」
 ライアンは震える声で言った。震えているのは恐怖でも怒りでもない。彼の血を見て、その色に悦びを押さえ切れないでいる。
 別にと答えてドォリィが小太刀を構え直した。
 突かれる。振り払う。なぎ払うと受け止められて流される。足の辺りを風が過ぎる。
 ドォリィの踏み込んで払った剣先を交わして眺んだライアンの胴を狙って、素早く打ち返されてくる剣を小太刀で受け止める。体重が軽い分、吹き飛ばされて横の石壁に身を打った。
 咄嗟に左腕で頭を庇う。一瞬の軽い眩暈を覚えたものの、すぐに態勢を立て直して壁から逃げ離れた。
 くるりと振り向いたときに隙を入れずにドォリィが切っ先を突き出してきた。当たる、とライアンは反射だけで横へずれた。ちっ、と掠る音がして次の瞬間、右腕に熱い痛みが来た。
 低くライアンは呻く。
 血が傷から流れ、溢れ出してくる。それを指ですくって唇へ運んだ。強い塩と金属の味に混じって微かに甘い。この血は自分の血だから、それほどは旨くない。ドォリィの血はもっと甘く暖かいに違いない。
 ライアンは薄く笑った。引き裂き、血を啜ってやろう。それはきっとめまいのするほど甘く、身体に染みて自分の血となり肉となるに違いなかった。ドォリィがライアンの様子に唇をゆがめて笑った。
「気でもふれたか」
 嘲笑の語感にライアンはさらに嘲りの笑みで返す。
「別に。俺もお前に同じことを聞きたいくらいだ」
 ドォリィの顔が油断のないものに変わる。ライアンが何か感付いているという事を先程の教えてやったのだから、この顔は当然だ。何を、と肩をいからせるドォリィに、ライアンは静かな声で聞いた。
「何故リァンを殺した」
 ドォリィの返答はない。否定もしない。そうか、とライアンは唇だけで笑った。これが真実だったのだ。
「リァンが俺を後継に指名するつもりだったから、か」
 言うとドォリィの顔が凄惨な笑顔に歪んだ。当たりを引いた、とライアンは確信する。
「そうだな。それもある」
 ドォリィは歪んだ笑顔のまま答えた。それが彼の鬱積をよく教えてくれるのだとライアンは思った。
「幼馴染みだろう」
 リァンという太陽と共に歩んでこれたのは、ライアンにとっては僥倖とも言うべきだった。長い間共に過ごしてきた仲間を、何故、殺せるのだという問いに、ドォリィは壮絶に笑った。
「幼馴染みだ。だから俺はずっとリァンに敵わないことを教えられてきた。お前は余所から来たから分からないだろう。俺が欲しいと思っていたものは全て奴が奪っていった」
 ライアンはふと目を寄せてドォリィを見た。このちろちろいうかぎろいの炎の中に見えている表情は嫉妬だ、とライアンは思った。ドォリィはリァンになりたかった。ライアンもまた、リァンになりたかった。彼に寄り添って彼に溶け込んで一つになってしまいたかった。
 だが、他人は他人でしかないともう知っている。そしてドォリィが望んでいたのは幼馴染みの有能な腹心ではなく。王者の座だったのだろう。
 だが既に王者としては資質が違う。大人と子供ほどに。
「ダルフォを斬ったな」
 これが、おそらくリァンがライアンとドォリィを秤にかけて決めた理由だ。ドォリィの返事は短かった。ただ一言、奴はお前につくと言ったと答えた。
「だが、それまでお前に忠実に仕えてきたのを有無を言わさず殺そうとしたんだな」
「……奴はまだ生きているのか」
 ドォリィにライアンはうなずいて見せた。ライアンはダルフォを殺したくない。ダルフォの裏切りは裏切りと呼べるほどの決定的な傷をライアンに与えなかった。その機会を、おそらくわざと見逃している。
 俺が医者をつけていると言うとドォリィがふんと鼻で笑った。
「その甘さをリァンは嫌っていた」
「そうかもしれないが、リァンがもっと嫌ったのはお前のその冷酷さじゃないのか。俺はそう思うが」
 ドォリィが沈黙した。痛いところを突いたのだとライアンは見抜いている。恐怖はほんの一滴で人を縛ることができるが、本当に支配者になるには人を縛っては駄目だ。それが結果リァンにライアンを選ばせたのだろう。来い、とライアンはあごをそらす。小太刀をあげてドォリィにまっすぐに突きつけた。
「俺はお前を殺す。死んでリァンに詫びるんだな」
 血のたぎる音が耳の奥、頭の中で澄んだ音を立てて、幾千幾万跳ね回っている。ぬかせ、とドォリィが小太刀を握り直した。それから嘲りの濃い笑みを満面に浮かべる。
「俺の勝ちだ、ライアン」
 ライアンは首を振る。初撃をかすった不利は承知している。こうしたぎりぎりの強さの均衛がある時は、大抵最初の一撃をくらったほうの負けだ。傷は時間が経つにつれて自分の足を引っ張るようになる。
「俺は勝ってリァンの遺産もお前も、手に入れる」
 ドォリィの言葉の真意を掴みかねてライアンは訝しげにドォリィを見た。低くドォリィが笑った。
「綺麗な顔だ。その顔は魔力の顔だ。引き裂き、誇りと共に踏みにじり、苦痛に歪むのを見たくなる」
 ライアンはほのかに笑う。その種の言葉を今まで嫌というほど聞いてきた。
「この顔はどうやらそういう連中を引き寄せるらしい」
 それを魔力と呼ぶなら呼べ。
 カレルもまた、昔同じことを言った。ライアンの目尻に隈取をさし、口紅をつけさせて可愛いといい、そのための痛みを加えながら痛いかと聞いた。
「ドォリィではそうは行かないだろうからな」
 ドォリィが苦笑する。彼がそれを恥ずべきことだと思っているのは明らかだった。
 低い笑い声が収まった後、ドォリィは言った。
「ああ、確かにそうだ。だから俺はお前を殺さない。必ず生かして俺の専用にしてやる。どんな男娼も舌を噛みそうなことを教えてやろう」
 言うなりドォリィは小太刀を脇に構えて飛び込んできた。かわしそこねて壁へ背をつける。銀の光が立ち向かってくる。
 ライアンはそれを小太刀で再び受け止めた。半端な短い嫌な音がした。衝撃を受け止めていた腕から急に力が抜けた。刃が折れたのがちらりと一瞬目に入った。何か思う前に身体が動いた。それが一息の決着を避けた。
 右肩へ深く熱い痛みがはしった。電流のように痺れと痙攣が指先まで伝わっていく。ドォリィが小太刀を引いた。呻きは肉を絶つ音で消えた。
 一瞬遅れて血の飛沫が上がった。ライアンの頬に生暖かいものがかかる。それが自分の血なのだと気付くのに少し間があった。
 ドォリィがライアンの前に立ち、切っ先をぐいとライアンの眉間に突きつけて壮絶に笑った。
「許しを請うなら聞いてやるぜ」
 ライアンは顔を上げた。その視界が突然深紅に染まる。自分の上げた血飛沫が目に入ったのだ。ライアンは声を上げて笑おうとしたが、唇が震えていてほとんど声にならなかった。
 痛みが自分をえぐる度に、新しい憎しみが湧いてくる。リァンの、自分の、すべてに復讐するための甘い酔いが心を押し上げてくれる。
 殺す、とライアンは呟いた。必ず殺す。絶対に、負けない。
 ドォリィが刃をライアンの首へあてようとした瞬間、ライアンは右足をぐるりと回してドォリィのすねを思い切り蹴った。ここは共通の急所だ。がくりとドォリィの身体が沈む。
 ライアンは力の抜けそうな右手を叱って折れた柄を握りしめ、転がるようにドォリィの前から離れた。刃先を拾って腰へさす。
 ドォリィが小太刀を構え直し、ライアンに襲いかかろうと走り込んでくる。それをめがけてライアンは柄のほうを投げた。右肩が鈍く痛んでドォリィの頬を掠めた。
 馬鹿が、とドォリィが吠えた。その顔が勝利を確信して輝いていた。
 ライアンは左手で刃先を抜いた。
 耳元で鈴が鳴り響いた。
 ライアンは左手の手首をひねった。光が飛んだ。それはドォリィの右目に深く突き刺さった。ずっと昔、自分はナイフ投げの芸から仕込まれている。利き手でなくても狙いはほぼ正確だった。ドォリィが呻き声をあげて膝をついた。ライアンはその側を走り抜けて落ちた柄のほうを拾い、ドォリィの後ろへ立った。
 「これで終わりだ」
 優しく背後から手を回し、ドォリィの顎を持ち上げる。何かドォリィが口の中で呟いた。それは負け惜しみだったのだろうか。
 刃を当てて横へ引く。血の霧がかかった。ライアンは小ぬか雨のような霧に手をかざして小さく笑う。それから急に足から力が抜けてその場に座り込んだ。とても寒い。ひどく眩暈がする。
 ライアン、と声を上げてチアロが窓から顔を出し、急いで中へ入った。時間をおかず、チアロが路地の向こうから駆けてくるのが目に入る。
「勝ったね、ライアン!」
 張り切った声に曖昧にうなずいて、ライアンは手を振る。眠気が襲ってきてとろとろとする。頭を持ち上げていられない。
 ずるずると横になると、チアロが不安な声で自分を呼んでいるのが薄い幕の向こうのように遠くから聞こえる。
「大丈夫だから少し眠らせろ。俺が自分で起きるまで誰も起こすな……起こしたら、殺す……」
 それだけ言うと、ライアンは目を閉じた。暗い闇が静かに降りてくる。

icon-index