紅花怨 7

 その男はふらりと現れて、客待ちでぼんやりしていたシャラを買った。好きだった女に似ているという昔語りはシャラは正直聞き慣れていて目新しくはない。誰かに似ているという話は自分に時折あることだ。
 男はシャラを気に入ったようだった。年を聞かれてもうすぐ十七だと答えると、若いな、と笑う。シャラは枕語りを適当に聞きながら、手を伸ばして灰切りの皿を取り寄せた。男の肌からは隠しようもなく煙草の匂いがしており、いずれ毛布をかぶりながら吸いたがることは明らかであった。
 寝台の上で半身を起こして煙草を始める男をシャラはまじまじと見つめる。男はやや痩せており、線の細い、整った顔立ちをしていた。その素っ気なさがどことなく、ライアンに似ている。
 彼の面影をこんなときにも追っている自分が馬鹿だとシャラは思う。あれからライアンに会っていない。チアロには伝言を伝えてあったが、ライアンが来ないことにはその首尾を分からないから不安もある。
 その時のクインって誰、というシャラの質問にチアロは友達、と簡単に返答した。シャラが怪訝な顔になったのを見て、チアロは軽く笑い声を上げ、誰にも言うなと念を押してから大まかなことを教えてくれた。
(ライアンの相棒みたいなもんだよ。態度はでかいが頭はいい。俺は奴の管理も仕事だから……奴も色々あって、単純に俺達の仲間でライアンの係累というわけにはいかないんだ。特別だから)
 チアロがもらした溜息は、似つかわしくないほど渋かった。
(特別って?)
(結局奴は一番簡単にいうなら高級男娼ってやつなんだけどさ。ライアンが厳しいんだよね……相手の選び方がさあ、すげえ条件が狭いの。貴族は駄目、軍人は駄目、王宮関連はほぼ駄目、勿論貧乏人は駄目、条件を抜けた後でもライアンが駄目っていったら駄目だしさ。連絡つけてくる奴の九割は条件的に駄目だな……ま、そうやって条件を選んで凄い額ふっかけても客がいるってのはそこはそれ、奴様々だけど)
(様々?)
(あ、顔がいいんだよ。俺もライアンも最初、女と間違えたし)
(ふうん……でも、あたしそんな人知らないわ)
 ライアンは手下の少年達への甘露として時折は妓楼を借り切り、饗宴を催すことがある。シャラも当然その場に出るが、それらしき少年など見たことがなかった。
(奴は俺達の仲間じゃない。表向きは、俺ともつながってないことになってる)
 何故なのか、ということはシャラにはまるで理解が出来なかったが、分かることもあった。クインという少年の存在はライアンの持っている秘密の内の一つなのだ。それにほんの少し関与させて貰えたという事実が不意に微かな幸福感を連れてくる。
 ──なんて下らない。こんなちょっとのおこぼれで、またたびを貰った猫みたいに腰が抜けそう。
 シャラは自分の胸の作用が恨めしくなった。暗い顔つきにシャラがなってしまったことを気に病んだのか、チアロは顔がいいって万能だよな、と朗らかに笑ってみせた。
(口さえきかなきゃ美人だからさ、一晩ですごい額取るし……顔が良くて頭が良くて、口が回って性格が悪い!)
 シャラがつい唇をほころばせたのを見て、チアロはほっとしたように破顔した。チアロの笑顔は人懐こくて、彼がならず者の少年達をある程度束ねているという話に実感を伴わない。ライアンからは凄みに似た威圧を感じることがあるが、チアロからそれを受けたことはなかった。
(性格、悪い?)
(例えばさ……あいつの相手って選別するけど、ライアンがうるさいから絞るだろ。で、やっと見つけてもさ、クインが気に入らなきゃあいつ、手を握らせてやっただけでありがたいと思えとか言って帰って来るんだぜ? 誰が苦労して仕事見つけてるんだか。その始末も俺の仕事なんだよ、クインの奴……)
 こぼれる愚痴にシャラはくすくす笑った。やっと彼女が明るい表情になったのが嬉しかったのだろう、チアロもほっとしたような顔でゆるく笑った。
(ま、でも一緒にいると楽しい奴だよ。言いたいこと言うし性格悪いけど、いい奴さ)
(性格悪いのにいい奴なの?)
 そんな言葉のあやに吹き出してシャラがいうと、チアロは明るい笑い声を立てた。
(なんていうのかなあ、ああいうの……俺、お前とあいつ、似てると思うんだよね。自分の好きなこと言って、ライアンに張り付いてるし、よく喋るし)
(何よぉ、あたしも性格悪いってこと?)
(あー……でも俺、お前の性格のきついとこ、大好きなんだよね)
 チアロ。可愛い子だった。急に眼前を何かがよぎってシャラは小さく声を上げる。男が焦点の薄い瞳の前で手を振ったのだと分かってすぐに安堵で肩をすくめた。
「考え事か、ええと、」
「シアナ。指名に必要だからちゃあんと覚えておいてね」
 混ぜ返して笑うと、男は源氏名を呪文のように唱えてくり返し、それから思い出したようにイチイと名乗った。
「あまり他の男のことは考えて欲しくはないものだけどな。仕方ないか、最初だから。俺の顔に何かついてたか」
 シャラは肩をすくめ、ごめんなさいと前置きしてから他のお客に似てるなって思ってただけ、と口にした。イチイは苦笑した。
「シアナはその旦那が好きなんだな、そんな感じだ」
 図星をつかれてシャラはやだ、と軽く声を上げて赤面するのをごまかした。イチイは小さく笑いながらシャラの髪を撫でる。
「人を好きになるってのはいいことだ、そうだろう? この商売だからって誰かを好きになったらいけないとは俺は思わないさ。シアナくらいの年だったら俺のような中年より、同じ年くらいの男がいいだろうよ。気にすることはない」
 シャラは笑い、一番辛いのは雪だるまみたいな奴よ、と言った。
「何しろ重いし疲れるし、大体汗かきなのよ、あの連中……一回終わると汗でこっちまでべったべた。あなたは痩せてるから歓迎するもん」
 声を上げてイチイが笑う。彼の声は朗らかで、聞いているととても落ち着いた。煙草の匂いもライアンとの共通だし、そもそも顔の系統が似ている。ライアンがよく笑うようになって年を重ねたらこんな感じだろうとシャラは思った。中年と彼は自分を笑ったが、四十にはなっていないだろう。
 また来るよ、というお決まりの言葉を残して男は部屋を出ていく。本当にまた来るかどうかは賭だが、今日の会話は悪くなかったし、……自分の床さばきだってまあまあだったわとシャラは一人うなずく。これで次がなければ縁のない男だったというだけだ。
 客が帰った後は部屋の掃除をするのがシャラの習慣だった。前の客の気配はない方がいいし、誰かの濃厚な残像が残っているときにライアンが来ることがあればたまらなく恥ずかしい。
 だからシャラはすぐにイチイの煙草入れが置き忘れられているのに気付いた。
中を覗くとまだ中身が入っている。煙草の銘柄が違うと匂いもまた違うもので、彼の銘柄はライアンのものとは違ってやや甘たるく胸にやける匂いがした。
 シャラは表廊下に通じる扉を見る。案内されていく客の目にその時の敵娼以外が映るのは良いことではなかったから、遊女たちが使う裏廊下と客たちの使う表廊下は厳格に分けられていて、遊女が表廊下に出るのは歓迎されない。
 が、男は出て行って間がなかったから追いかければ間に合うだろうとシャラは煙草入れを掴み、表廊下に出る。つい先日身請けされて出ていった遊女が言ったように、ここが贅沢な夢を売る場所であることを顕示するごとく、磨き抜かれた黒い石の廊下に緋色に金の蔦をあしらった毛の深い絨毯が引かれていた。
 絨毯を踏むのは客だけと決まっているからシャラはその外側を走る。部屋に連れていくときに遊女もここを通るから、人が一人、歩くことができる隙間は開いていた。
 イチイはすぐに見つけることができた。待って、と声をかけて煙草入れを渡すと彼は苦笑し、シャラの肩を叩いた。
「馬鹿だなあ、俺がまたこれを取りに来る口実に使うつもりだったかもしれないのに」
 シャラは苦く笑う。また来てねと笑うと男はうなずき、帰る客専用の階段へ消えていった。妓楼は客同士も顔を合わせぬよう、遊女の部屋以外にも気配りで場所を取る建物なのだった。
 シャラは自分の部屋へ戻ろうと歩き始めた。掃除の続きをしなくては。それが終わったら少し眠って、今夜の客を待つために下へ降りようかな。
 そんなことを考えながら部屋へ戻りかけた先に、人影が見えた。同僚が客を連れて部屋に行くのだ。
 こういうときは顔を伏せて廊下の端によるようにと決まっている。シャラはその通りにしようと腰を屈めた。通りすぎようとした視線はだが、そのまま凍りついた。長い間シャラは自分が呆然としていたのに気付かなかった。隣室の黒髪の後輩がねえさん、と囁かなければいつまでもその客の顔を見つめていただろう。
 その密やかな声でシャラは我に返った。はっとして身をひそめて呼吸を詰め、下を向く。隣を歩く客の足音は絨毯のせいで殆どせず、隣室の扉が閉まる音がやっと動き始める合図になった。
 シャラは今見たものがまだ信じられずに振り返った。廊下には既に誰もいなかった。ゆるく首を振って自室に戻るが、掃除などよりもまず、その顔立ちを鮮明に脳裏に描くことに躍起になった。
 あれは、今見たものは、客ということは男なのか。
 いやそれよりもとシャラはごくっと喉を鳴らした。
 それまでシャラの知る中で一番の美しい男はライアンだった。綺麗に整って鑑賞を重ねても瑕疵の見つけられない顔。だがあれは限度が違う。男なのかというよりも人なのかというほうが、その驚愕を表現するのに相応ふさわしかった。
黒くて長い髪。瑠璃石と同じ色の瞳。神話や物語の中から抜けてきたと言われれば信じてしまいそうなほどの完璧な容色はとても儚く、同時に凛とした芯を感じさせて張り詰め、緊張の美しさに輝いて眩しかった。
 ライアンはしんなりした女性系の美形だが、あの客のそれは男女の区別など問題にしない。美貌と呼ぶなら正しいし、単にそう呼んでしまうには遥かに言葉が足らない気がした。
 シャラは深く溜息をつき、それから鏡を見た。嫌になるわね、と苦笑になる。どういう経緯で隣の後輩があれを捕まえたのかは気になるが、他の遊女についた客は取らないのが不文律だ。
 それに、あれほどの美しさは逆に息苦しい圧迫を加えてくる。年は良くわからないが、チアロと同じかそれほど差がないくらいだろう。まだ少年と呼んでよい年に見えた。
まあいいわ、とシャラはひとりごちる。関係のない男であったし、関わる気もなかった。
 ──シャラがこの少年を生命を賭して呪う仇敵と思い定めるには、まだ若干の時間がある。

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