紅花怨 13

 馬鹿な子だ、と女将は煙管の灰を叩き出しながら呟いた。それはいつかシャラが聞いたときと同じ、淡い哀れみを滲ませている。
 シャラは黙って俯き、椅子の上で膝を抱えた。嵐が全てをなぎ払った後のように、全部が抜け落ちて綺麗に何も残っていない。怒りの後にやってきたのは茫然であった。
「リーナは悪くない。いいね? あの子に次に手をあげたら本当に承知しないよ」
 シャラは返事をしない。女将は自分の寝椅子から立ち上がり、煙管の柄でシャラの手を打った。
「あたしたちの商売は、客が望めば嫌だといえるものじゃないんだよ。分かっているだろう」
「あの女が、ライアンを誘惑したのよ。かあさん、だってお客は取らないのが約束でしょう、そうでしょう? あいつは約束を守らなかったから、あたしは躾けてやっただけ。ライアンは……」
「いい加減におし」
 遮られてシャラは喉を詰まらせる。何を言おうとライアンが望みリーナを指名した事実、恐らくはシャラを傷付けないために外を指定した現実は変わらなかったからだ。現実、と呟くと急に背が冷えた気がした。
「でも……」
 それでも何かを言いたくてシャラは唇を動かし、沈黙に戻った。
「どこで見初めたのかは知らないが、客が欲しいと言ったらもうそれは断れないんだよ。いいね。リーナもいやだと言った。お前の大切な相手だと知ってたからだ」
「だって、でも、かあさん、」
「おだまり。シアナ、それでもライアンはお前との関係を絶つ気もなかったんだ、それで良いじゃないか」
 女将はそんなことを言って肩をすくめた。
 扉が鳴った。小間使いの少女が入ってきて女将に耳打ちをする。女将が頷くと少し間をおいて客が通された。シャラは顔を歪め、更に頑なに膝を抱えてあらぬ場所を見た。
 ライアンはシャラに視線をくれなかった。女将の示す椅子に深く掛け、軽い吐息を押し出した。
「だからあたしは言ったはずだ」
 女将が低い声で言った。紛れもなく男を責める口調だったことが、シャラに庇われている喜びを与えた。
 シャラはほんの少しだけ視線を動かしてライアンの表情を盗み見る。彼の顔はいつもと同じ淡々とした無表情の中にあり、波立ちも、激しさも、怒りも失笑も何も無かった。
 無いということを理解してシャラは俯く。彼の愛情を勝ち得ることも、その反動で憎まれることも出来ない自分が嫌いだった。
「すまなかった。迷惑をかけた」
 ライアンの言葉には何の苦味もなかった。芝居の台詞を棒読みしているように、籠るものがあることさえ感じない。
「迷惑ね……」
 女将は長い吐息を捨てた。
「迷惑ということじゃないんだ。うちは確かにそれで儲けさせてもらったし、リーナはしばらく店には出せないがその分の引き合いは十分にある。あんたはアルード王の側近で次のタリア王に一番近い男、そんなのが贔屓にしてくれたらそりゃあ、うちも箔が付くってものだから。でもね、遊女だからって何も思わないわけじゃないし、人を好きになることがないわけじゃない」
「分かっている」
「嘘だ。分かってなんか、いるもんか」
 女将は僅かに語調を荒げて煙管を叩いた。灰きりの小皿がかちんと跳ね、中の灰と吸い殻がこぼれる。ライアンはゆるゆると頷き、そしてシャラを見た。
 シャラはライアンを見返した。彼の緑の瞳に映る、すがるような自分の眼差しが、自分でも可笑しいくらいに弱くて、惨めで、可哀相で、大嫌い。
「世の中には女を食い物にする奴もいるし、女を道具だと思っているのもいる。そんなに少なくないくらいにはね。そしてあたしたちはそれよりも更に一等低い位置にいて、そんな風に扱ったって構わないと思っている連中は遥かに多い。あんたが何を気に入ってリーナを呼んだのかは聞かないが、それはこの子を道具に使ったのと同じことだ。……もう少し、ましな男におなり」
「悪かった」
「あたしじゃないだろう」
 苛々したように女将は言った。ライアンの視線が自分に当たるのを感じてシャラは唇を噛み締め、じっと下を見た。彼が自分に謝るとしたら、それは道具にしたとか食い物にしたとかではなく、シャラの足に口付けてお前だけを愛しているということでしか引き合わない。ライアンは黙っていたが、やがて女将、と言った。
「いくらだ」
 その質問が何を指すのか分からなかったのはシャラだけではなかったようだった。しばらくの沈黙の後、ライアンの声がもう一度いくらだ、言った。
「もらう。いくらだ、女将」
 シャラは顔を上げた。女将も一瞬ぽかんとしていたが、やがてああ、とぼんやりした声を出した。
「帳面がないと正確なところは出せないが、この子は借金の代替とかではなかったから、……全部含めて一万ほどだね」
 一万ジルあれば一人身であるなら一、二年は生活出来る。
「分かった。後で金を届けさせる」
 ライアンはそう言い、立ち上がった。シャラは話がまだうまく飲み込めずにライアンの立ち姿を眺め上げる。お待ちよと言ったのは女将のほうだった。
「そんな責任の取り方はない。この子はあんたを好きなんだよ。こじれた恋愛の始末に金を出すなんぞ最低だ」
「ああ、その通りだ。本当はもっと早くこうしてやるべきだったが、色々なことがあって結果を引き延ばしてきたのは事実だ。が、こんなことがもう一度あったら、これはもっと下へ落ちるしかない。それでは俺も夢見が悪い」
 何を喋っているのだろう、とシャラはぽかんと二人の会話を聞き流している。自分の身上の話なのだろうか。
 かあさんと呟くと、女将はシャラを見てどうする、と言った。シャラは首をかしげる。女将が大仰に肩をすくめて溜息を付いた。
「お前を身請けするそうだ」
 気に入らない事実を吐き捨てて女将はそっぽを向き、煙草に火を入れた。煙管の端を噛んでいる癖は、女将が心底からその申し出を嫌っている証であった。
 身請け、とシャラは鸚鵡返しに呟いた。それからしばらくその意味を自分の中でまさぐり、ようやく井戸に落ちた石の跳音のような感触を聞いた。胸を掴む。
 掴んだ瞬間に震えが来た。涙が出る。嬉しくて。悔しくて。
「あたし、そんなの」
 いや、という言葉が出てこない。それもまたシャラの心の中では現実だった。だが頷くこともできない。
 ライアンは決してシャラを欲しいとは思っていない。自分の無理の結果の責任を取ると申し出ているだけなのだから。
 シャラが固まったままで震えているのを見て取ったのか、ライアンは軽く溜息を付いた。
「少し話がしたい。女将、いいか」
 不機嫌に黙っていた女将は、煙管を指で弄りながら顔を歪めた。
「ちゃんと揚代はいただくよ──シアナ、ご指名だ、旦那様をお前の部屋へ案内おし」


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