紅花怨 14

 ライアンの長い指がすることもなく煙管をいじっている。絵に描かれた精緻な模様は漢氏竜だ。彼がここしばらく使っている煙草入れにも同じ漢氏竜の紋様が入っているから揃えたのだろう。
 その指が好きだ。微かに落とした吐息、それを紡ぐ唇、その何もかもが好きだ。息苦しくなるほど、泣きたくなるほど愛しい。
 シャラはじっとそれを見ている。彼の指先が僅かに煙管の表面を滑り、それが微かな音を立てて床に落ちた。
「怒っているのか」
 静かな声音にシャラは口をゆるめて笑おうとした。怒りというならそれはリーナに向けられたもので、ライアンに跳ね返らないのが自分でも可笑しかったのだ。
「どうして……」
 シャラは喘ぐような声を上げた。ライアンが他の女と寝ることは構わない。それがどこかシャラの目の届かない場所で行われているのは、自分だって知っていた。限り無く薄くて現実味はないが、理解はしていた。
 だがリーナのことは違う。同じ妓楼にいるし、部屋は隣だから目に触れたこともあった気がする。それにライアンは時折この妓楼を借り切っては配下の少年たちに享楽を与えていたから、その時に見かけたこともあるだろう。興味を持ってもおかしくはない。
 最初の指名から外であったのはライアンがシャラに気をつかった結果だ……が。
 ではその後の重ねられた逢瀬のわけは。ライアンが何を気に入って彼女を呼んだのか、女将は聞いてくれなかった。そのもつれは自分たちでどうにかしろということだろう。
「どうして、あの子なの……あたし、どうして……」
 言いながら、不意に記憶がせり上がってきてシャラは彼の煙管を握りしめた。
「綺麗な子がいるって……ライアン、その子と知り合いだって、言ってて、だから」
 言いかけた先をライアンのそうだな、という言葉が遮った。
(奴に女という取り合わせが珍しい)
 ライアンはそんなことを言っていた覚えがある。恐らくあの少年の通いつめる女を見てみたかったのか。それがきっかけであったとしたらそれは自分の迂闊さのことだ。悔やみはするが、納得もする。だが、その後のことは?
 特定の女に付いていた客が他の女に心変わることはよくあると言うには悲しいが、聞かない話ではない。聞かないのは元の女と続けながら、それに気をつかって浪費ともいえる金を払って外でもう片方を抱き続けたことのほうだ。
「俺は奴の女に興味があった。だから指名した。ここへ上がればお前が言い触らしている流言を否定することになる、だから外を使った。お前に言わなかったのは悪かった、それは謝る」
 シャラは首を振る。彼の口から言い訳や謝罪が聞きたいとは思っていない。ライアンの唇から紡がせたい言葉は一つきりで、ライアンだって知っているはずなのだ。
「だが、あの女を傷付けたのはいただけない。あれはクインの女だ、俺のものじゃない。俺は……興味はあったが、あの女を独占したいわけではない」
 じゃあその欲しいかどうかも分からない女に負けたの、とシャラは怒鳴りそうになる。怒りで肩を震わせた空気が伝播したのか、ライアンはシャラをちらと見て、溜息になった。
「だって、興味があるなら、下に降りてる時に話、するだけなら、あたしだって……」
 それでも淡い嫉妬はしただろう。だが、自分が手に入れられないものをあっさり掴んだ挙句に、断つたんですと正当化したあの女の言いぐさを決して忘れるものか。どれだけあたしがそれを欲しがっているのか、分からないから? あたしがそれを望んでいるか知らないから? でも、そんなのは全部言い訳だ……!
 微かに呻いた声が、犬の唸り声に似ていた。
「結局のところ」
 ライアンの呟きは、シャラの世界を更に撃った。
「女は寝てみないと分からない」
 髪が逆立つような気がした。全身の血が熱い。
「あたしは?」
 シャラは必死で自分を抑えて声を絞り出した。そうでないと人の言葉を話すことさえ億劫になりそうだった。
「あたしは、ライアン? あたしは、じゃあ、何なの?」
「シャラ」
 遮ろうとするライアンの声にシャラは激しく頭を振った。
「あたしは? あたしはずっとライアンのことしか考えてない、ライアンのことしか見てない、ずっとずっとライアンのことしか好きじゃない、誰といてもライアンの事考えてる、あたし、そんなことばっかりで、知らなかったなんて、そんなこと、」
「俺は、お前が」
「あたしはあなたの妹じゃない!」
 目まいがする。シャラはそう叫んだ途端に流れてきた涙を振り切り、ライアンを睨み据えた。
 ライアンはその視線にふと目を伏せた。いつものような美しい男だという感慨が呼び止めるのも聞かず、シャラは思い切り手にした煙管を振り下ろした。重たい衝撃で手から煙管が飛び、粉のように煙草の葉が散った。ライアンは黙ってこめかみを押さえた。シャラは痛む手を自分で抱え込んだ。
 ライアンが指を離したこめかみに、僅かに血が惨んで花が咲いたようだった。彼の顔立ちに決定的に欠けている色相が添えらえて一段華やかになる。
 喘ぐほど、呻くほど、絶望するほど愛している……
 シャラは微かに震えてその血脈の花に唇を寄せる。微かな鉄の匂いは生命の花の味だった。たとえ兄妹でも、同じ母から分けられた身体であっても、この匂いが同じであっても、魂で呼ぶ相手は一人きりだ。この世でたった一人きりなのに。
 シャラは傷を癒す犬のようにそこへ舌をあてる。ライアンがよせ、と肩を戻した。
「俺はお前を自分の女には出来ない。出来ないんだ、シャラ。俺に執着するな、お前を愛している奴がきっと」
「でもあたしは好きじゃない!」
 シャラはライアンの理屈など聞きたくなかった。
 ライアンは今度ははっきり、真正面からシャラを見た。空気の色が変わるといつか思ったように、射抜く視線がきつく鮮やかだった。彼の緑色をした瞳がシャラの同じ色の目を捕えている。
 シャラは身震いした。怖じけたのでも、意地になったのでも無い。陶然となるほどの歓喜。この人はあたしの神だ。あたしを裁き。あたしを愛し、特別に愛さず、導き赦す、あたしの神。
 どうしてこんなに好きなんだろう。
「無理を言うな。確信はないにしろ、俺はお前を」
 言いかけた先を聞きたくなかった。シャラは思わず手をライアンの口にあてた。僅かに掛かった呼吸のぬるさが手をなぶった。彼の息を感じるだけで、こんなに溢れてくるほど、嬉しい。ライアンがその手を外した。
「お前を妹だと思うことが、俺にとっては大事なことだ。母の記憶も父の記憶も俺には残っていないから、手の届く所へ血の繋がったものがいてくれたらいいと」
「あたしはあなたの妹じゃない! 兄さんなんて嫌いなの!」
 シャラは叫び、床に伏せて声を上げて泣いた。
 嫌い、と呟き返すライアンの声に顔を上げ、痙攣している頬だけで笑って見せる。
 シャラにとっていつも兄は母の言葉の中だった。兄の話は自分を苛む理由だった。その話の向こうに見える幻を母の賛辞の通りに理想として築きながら、見たこともないその姿を懐かしみながら、その場にいないだけで愛される子供を殺意に近く、愛して、憎んで、求めて、それから。
 ライアンと出会った瞬間の憎悪。
 母に似ている子供は全て嫌い。大嫌い。嫌いと呟きながら喉で泣くと、ライアンは嫌いか、と溜息になった。
 猫をあやすような手付きで自分の頬を撫でる指に、シャラは噛み付く。歯が当たった瞬間に、噛み千切ってやろうと思っていたことが嘘のように力が消えて、甘噛みになる。自分はどうしてこんななのだろう。
 ライアンは怒った様子はなかった。シャラの歯があたった部分を軽く撫で、宥めるつもりなのか微笑んだ。ライアンの笑みは珍しかった。それが我を忘れそうな喜びに変わり、シャラはその心の作用に絶望する。
 ライアンはシャラの頬を軽く撫で、お前のことはどうしても抱けない、と低く言った。シャラは呻き、喘ぎ、そしてライアンの膝にすがるように頭を乗せる。
「だが、シャラ。お前はもうここに置いておくわけにはいかない。次にあんなことをしたらお前はここから更に下の、妓楼なんぞとは呼べない所へ堕ちるしかない。ここはましだ、客を取った女が鞭で打たれて死んだりはしないからな」
 ライアンはいいな、と念を押した。シャラを身請けすることは彼の中では決定した事のようだった。
 抱く気がないというのなら、何故シャラを身請けするのだろう。側において今までのように言葉をかわすだけであるのなら、それは今よりも遥かに強い歓喜と苦痛の繰り返しなのに。
 いや、とシャラは首を振った。
「ここにいる。ここで今までみたいにライアンを待ってる。今までと同じでいいから、もう我儘言わないから、だから、あたしのこと、捨てないで……」
 懇願する言葉の弱々しさが自負を傷つけたが、それでもライアンと離れてしまうことの方が重い。
 ライアンはほんの少し目を伏せた。何か沈思しているのだった。その時間をひどく長く感じ始めた頃、いや、とライアンは言った。
「お前は引き取る。お前をここに置いていたらリーナのことが複雑になるばかりだ。このことはいずれクインも聞くだろうが」
 ライアンは何かを思い出したのか、僅かに笑った。
「リーナは奴のものだが、奴が身請けると決めない限りは彼女は俺のものにもなる」
 ライアンが何を言ったのか、シャラには一瞬分からなかった。空白の時間がじわりとする。凍えたように身体を震わせたとき、回答は来た。シャラは思わず立ち上がった。
「あの子が欲しいの──あいつを抱きたいの、ライアン、あたしをここから追い出しておいて、あいつを」
 言いかけて、急な眩暈を感じシャラは座り込んだ。ライアンが自分を呼ぶのが聞こえたが、耳鳴りのようにしか届かない。
「どうして……」
 絞り出している声はかすれ、一時いっときで十も年を取ったようだ。嫌な声。そして今、きっと母があたしをぶち回ったときみたいな、嫌な顔をしているんだ、きっと……
「何がいいの? よっぽど具合が良かった? ねえ、何が? あたし、何でもする、ライアンがそうしろって言うならどんなことでもできる、死ねって言うなら死んでもいい──」
「我儘を言わないとさっき自分で言ったのを忘れているな、シャラ。お前はどの種類の女でもない。俺は俺の身辺を飾る女など欲しくないし、必要がないんだ」
「はぐらかさないでよ!」
 シャラは癇性に声を上げてライアンの膝を打とうとした。その手が止められる。足の怪我は万一のときの致命傷になるかもしれない。このタリアという町は、そういう場所だ。
 冷静さを彼が失わないのが悔しかった。自分のことなど他愛ないのだと思われているだろう事が。シャラがライアンの膝を揺すると、男はシャラの頬を軽く愛撫した。
「肌があうかということであれば、あれは確かに女として俺に引き合う。だが俺にはどの女も同じだ、最終的にはな。好きだとか嫌いだとか、そんなことはどうでもいい。お前は特別だが、それはお前が俺にとって女である意味をもたないからだ」
「よく、分からない……」
「こういうことだ。俺は確かにあれが欲しいのかも知れん。あれは俺に合う女だ、身体も、性質も含めてな。だがあの女の全てを引き受けて連れていきたいとは思わない。あの女はクインの女で、俺のものではないからだ」
 そして、とライアンは一呼吸おいてから言った。
「お前のことは、女だと思ったことはない」
 シャラはぶるっと肩を揺らした。冷たいほどくっきりした言葉であった。シャラが黙り込んだのを何と思ったのかライアンは溜息になり、ずっと同じことを言っているだろうと付け加えた。それはその通りだった。ライアンの態度も言葉も、シャラに迎合するものではなくむしろ望まないものばかりを紡いできた。けれど。
「でも……」
 シャラは微かに眉を寄せてその手を握りしめる。体に触れることをライアンは決して突き放さない。行き過ぎたことは歓迎されないにしろ。
「身請けしたってそんなの、意味がないじゃない」
 確信がある。強迫に近い確実な確信が。ライアンは、身請けしてシャラを連れ出したら自分の身辺から遠ざけるつもりだ。そんなのは嫌だとシャラは顔を歪める。この顔がどれほど醜いかなどは知りたくなかった。
「あたしを連れ出したらどうするの……」
 ライアンは口唇を微かに曲げた。彼にも言い辛いことはあるのだと薄く思った。
「金をやる、どこか……帝都の好きなところへ移れ、シャラ。お前がしつこくしないなら、今までのように月に何度かは顔を見に行ってやる」
「なに……それ」
「今までと場所が変わるだけという話だ」
 シャラは暫く黙っていた。ライアンの言う意味が、本当に頭の中へ落ちてくるのに時間が掛かったのだった。
 ライアンは顔を僅かにしかめた。肌の陰影が水の影のようだと思った時、ようやく回答はシャラの中へようやく染みとおった。
「なに、よ、それ……」
 シャラは喘いだ。面倒なことを起こさないように引き取ってやるから、別の場所でおとなしくしていろというのだ。
 何よ、ともう一度シャラは唸った。いつもは奔放に流れてくる罵りも凍りついて喉で固まってしまったようだった。
「お前は俺の」
「妹じゃない」
 シャラはライアンの言葉を反射で遮り続けた。ライアンは溜息になってシャラが先ほど打ち据えたこめかみの傷に触れた。既に滲んでいた血はとまりかけ、やや色の薄くなった花がぽつんと捨てられているようだ。
 それを彼の指先が拭って消えたとき、最後に残った花までもが消えたようでシャラは目を細くした。その赤い色が瞳から入ってきて視界を染めたような気になったのだ。
 血の色に染まった目の前がぐるっと回った。込み上げてくる吐き気に似たものをこらえていると、ライアンの声が鉄のように冷たく響いた。
「妹だ。それ以外にない。お前がそれに不満だと言うなら、もうお前には会わない」
 シャラは待ってと喘いだ。いつもこれだった。
 ライアンはそう言えばシャラが自分の言うことを聞かざるを得ないということを知っているのだ。シャラが自分を裏切らないと分かっているから、心の奥からライアンを恋い、思いの炎に身を焼かれて心まで焦がしているのを知っているから、だから、自分の思いの上を見透かして、たかを括られている……!
「いつも同じことしか言わないんだ、ライアン、あたしがそう言えば、言うこときくって思ってるんだ」
 返答はない。こんなときに淡く麗しい嘘をついてくれる男であったらどんなに良かったろう。嘘でもいい。望まない心の糸の種類など欲しくはない。そんなの、ちっとも嬉しくないのに……!
「あたしがライアンのこと好きだっていうのが、遊びだとか子供みたいな軽いことだとか、そんな風に思ってるんだ、そうなんだ」
彼の返答は、遂になかった。噴き上がってきたのは涙だったのか、怒りだったのかシャラには区別ができなかった。
「……馬鹿、」
 シャラは呟いた。激しく罵ってやりたいのに言葉が出てこない。あなたを傷つけ、殺して、折れてしまいたい。
悔しい。他に言葉なんか知らない。
「馬鹿、馬鹿、大嫌い、──嫌い、嫌い」
 繰り返してシャラは立ち上がり、よろめきながらライアンの上着を掴んだ。内側にいつも、剃刀のような薄い刃物が仕込まれているのを知っていた。そこへ手を入れたシャラの視界の端に、ライアンが手を伸ばしかけたのが映った。
 次の瞬間、体ごと吹き飛ばされてシャラは脇腹を押さえて床に転がる。ライアンが自分の上着を蹴り飛ばしてシャラの手に届かないようにしたのが分かった。
 殴られた箇所を庇うように体が反応して丸くなりかけ、シャラは必死で顔だけを上げた。痛みに滲んできた涙が視界を薄ぼんやりとさせていたが、ライアンがごく反応の薄い顔を紅潮させているのだけは分かった。
 吐息だけでシャラは笑った。彼を傷つけながら死んでしまいたい。体中に咬み痕をつけて食いちぎり、傷つけ、傷つけられ、罵りあって殺し合いながら死にたい。一緒に。
 馬鹿野郎と低く呟くと、ライアンは微かに唸った。初めて聞く彼の苦しげな声だとシャラは再び笑った。
「ばか、やろう、呪われろ、死んじまえ」
 お母さん。
「呪われろ、死んじまえ、馬鹿野郎」
 灯りに向かって怒鳴っていた。
 お母さん、これで、いいよね? 捨てるほうが、辛いよね?
「やめろ、シャラ」
「うるさい! だまって! 大嫌い、死んじまえ、馬鹿野郎、出ていけ、大嫌い、馬鹿野郎」
「よせと言っている。お前の口からそんな言葉を」
「死んじまえ!」
他に何一つ、傷つける言葉なんか知らない。
「死んじまえ、出ていけ、馬鹿野郎、呪われろ」
 お母さん、こうだよね?
 何を言っていたのか分からなかったけど、あなたがそう叫んでたのは分かってた。そうせずにはいられなかったことも。
 シャラは急に込み上がってきた涙を喉で鳴らし、あとは号泣になった。ライアンはその場に立ちつくしていたが、シャラの様子は暫く回復しないと思ったのだろう、ゆっくり外へ向かった。
 シャラは顔を上げた。これが最後かもしれないと唐突に思ったのだった。それでもいいとシャラは思った。きっと自分のことを忘れないだろうという確信はある。
 だが、扉の前で足を止めた気配のライアンの言葉は違っていた。
「後で迎えを寄越す。チアロではないが、言い含めて置くからついていけ。夜になるはずだが支度を、シャラ」
「いや!」
 シャラは怒鳴り、まだ重い体を引きずるように半身を起こした。彼が殴ったのが顔や下腹部ではなくて、腰の側部だったことがシャラを傷つける。手を出したのは激高のためではなく、自分を暴れさせないだけのためだったのだ。
「あたしがここにいると都合が悪いんだ、ライアンはあたしをここから追い出して、あの女に乗り換えて、あたしをどこかに閉じ込めておくつもりなんだ、そんなの、絶対にいや! お前のために何一つしてやるもんか、お前なんか、腐って死ね!」
 知っている言葉を並べてシャラはライアンを罵倒し、ふらりと立ち上がった。吐き気がする。思わず口に手をやると、ライアンの声が暫く無理だというのが聞こえた。シャラは激しく首を振った。頬を叩く髪が突き刺さるように痛い。
「いや、絶対にいや、身請けは……」
 シャラはごくっと呼吸を飲み込んだ。それが正しいことでないと薄く知りながら、それでも今この瞬間に自分の全てを賭けるなら、これしかなかった。負けることも知っていて。
「──身請けは、先に、約束がある。ライアンの、ところには、行かない。だって、先に、その人と約束、したから」
「……そうか」
 簡単な返答があった。ライアンは何度か頷き、机の上に置き放されていた彼の煙草入れと煙管をやろうと言った。
「では、それでもいい。帝都の男か?」
「関係ない!」
「そうか。……それもそうだ」
 苦笑したライアンの顔が歪んでいく。
 シャラは手近にあった煙草入れを引っ掴み、彼に投げつけた。要らないと叫ぶと、ライアンはそれにも淡くそうかと返答し、それを拾った。
「シャラ、だがいつか何かがあって俺を呼びたくなったとき、俺は生きていればこの町にいるはずだ。俺はここ以外で生きていけない、そうなってしまった。もし俺の助力が要るときは俺の手下の誰でもいい、その煙管を渡して俺の名を言え。俺の名はライアン・シシラグ──ロゥというのは通称だ、シシラグの名を知っていることが符丁になる。忘れるな、シャラ」
 それだけ呟き、シャラの返答を待たずにライアンは出ていった。
 その背中にシャラは思い切り怒鳴る。死んじまえ。
 振り返ったライアンの顔に浮かんでいた淡い哀れみが、胸に突き剌さる。
 痛い。痛くて、死にそう。神様、どうして殺してくれないの?
 死にたい。死にたいよう……
 シャラは床の上でうずくまり、果てしなく泣き続けた。

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