LoveAffair 危険な情事

 あたしは昔から、他人のものが大好きだった。だから付き合う男はみーんな曰く付きだった。このスリル、安全牌では決して味わえないこの興奮。たまんないのだ。というわけで、今付き合っている彼にも奥さんと子供がいる。別に悲しいとかは全然思わない。彼に最初に
「ぐふん」
 と色目を使ったのはあたしだが、彼も飛びついてきたのだからあたしだけが責められるわけじゃない。奥さんがいるって思えばちょっと妬けるけど、悲劇のヒロインほど気持ちのいいことなんてあるもんか。
 何度目かにホテルへ行ってコトの済んだ後、あたしは彼の首に抱きついてねぇ~ん、と甘い声を出した。
「奥さんと子供の写真、持ってるでしょ。見せて見せてぇ」
 テキを知っておくのもわくわくする。
 彼はいやぁな顔をしたが、あたしは構わないで見せてとくり返した。根負けした渋々彼が財布の奥から出してきた写真を見て、あたしは
「えっ……」
 と言ったきり、そのまま黙ってしまった。想像していた牛乳パックで葉書を作ってそうな「すて奥」系や未だに女子大の頃の華やぎを忘れられない「クラッシィ」系、フリルや熊の縫いぐるみの大好きな「メルヘン大好き」系どころの話ではなかった。カニ、だったのである。
「ねぇ、奥さんとヤッてる?」
 これを聞くとたいていは妻とは冷え切ってると言うものだ。案の定彼もそう言ったが、あたしの興味は別のところにあった。
「奥さんとどうやるの?」
 かれはまたいやぁな顔をしてぼそっと答えた。
「え、いや、普通だけど……」
「普通って? ねぇ、普通ってぇ?」
「うるさいなぁ、普通は普通、ふーちゃんと一緒」
 あたしが納得しかねて唇をとがらせていると、彼はそれを何と思ったのか、
「あーあー、俺はどうせヘタクソですよ」
と、ごねはじめたので、この話はここまでになってしまった。
 そうしてまた一年が過ぎた頃、彼がものすごく暗い顔で
「バレたみたいなんだ……」
と困った顔であたしをみた。ふーん、とあたしはそっけなく答えた。そうだろうな、と思った。
 最近無言電話がかかってくるようになったから、修羅場は近いと見当はついてたのである。
「で、どうする、別れる?」
 聞いてやると彼はうーん、とはっきりしないことを口の中で呟いていた。この優柔不断なところを最初のうちは優しいなどと勘違いしていられたのは幸せだったとつくづく思った。
「俺、ふーちゃんは好きだけどうちの奴には迷惑かけてるからなぁ」
 いい根性じゃねぇか、とあたしは心の中で彼にネリチャギを30発くらいかましながら思った。あたしともあのカニとも別れないという意味だ。頭に来て睨んでやると、彼はうーん、と首を振りながら
「ねぇ、もうすぐふーちゃんの誕生日だから、何か食べに行こうよ。何がいい、寿司? 焼肉?」と機嫌を取る作戦で攻めてきた。
 あたしには「食べ物なら出費になってもせいぜい3万くらいだろ」という彼の心の声が聞こえてきて、また嫌な気分になった。
「じゃあ、カニ。カニ専門店で馬鹿ほどカニ、食べたい」
 ウッと彼は言葉につまり、泣きそうな(勘弁してよ)という目付きであたしを見た。こんな情けない男とつき合ってきたのかと思うと、あたしも泣きそうだった。
 それから彼には会わないようにしていたのだが一週間ほど経って友人と食事に行ったときに出てきたカニカマの入ったきゅうりもみを見ていて急激に怒りがこみ上げてきた。何で、カニごときにあたしが負けなきゃいけないんだ。相手はカニだぞ、カニ! このフジエダフキコ様がどうして甲殻類に屈伏しなくちゃいけないの。あたしのこと夫婦で馬鹿にしてんじゃないの。彼と別れるのはもういいとして、気が済まない!
 翌日、彼が残業なのを確認して彼の自宅へ電話をかけ、奥さんを銀座へ呼び出した。待ち合わせの喫茶店にカニが入ってきて、あたしは立ち上がった。フキコです、と言うとカニはイイヤマの家内です、と家内の部分に力を入れて言った。
「主人はあなたとは別れたと言っておりますけれど」
 カニに言われてあたしは吹き出しそうになった。どうしたらあたしを捨ててこのカニとよりを戻そうなんて思えるんだろう。ホント、あんな下らないのと別れて良かった。
「へぇ。イイヤマさん、そんなこと言ったの。あたしには奥さんの怒りが納まるまで我慢して、って言ったけど」
 大嘘なのだがカニはびくっとした。あたしは通りかかったウェイトレスにカニグラタンとカニとホタテのサラダを注文した。カニはあたしの事をデリカシーに欠けるとか、常識がないとか、散々泡立てて罵倒しまくった。あたしは黙って聞いていたが、カニとホタテのサラダが到着して、カニだけを口に入れ、美味しいと呟いてやった。
「そういえばね~、イイヤマさんとカニ、食べに行ったこともあるんですよ。新鮮なカニは最高だなって」
 カニはさらに卒倒しそうなほど泡を吹いた。彼と奥さんに対するムカツキがふと、その方向を変えたのをあたしはこの瞬間自覚した。路線変更。これで行こう。あたしって、天才だ! あたしはわざとらしくたばこを深く吸い、ぷーっとカニへ吹きつけてやった。
「イイヤマさんねぇ、奥さんじゃマンゾク出来ないんですって。あたしとは最高に相性がいいってご休憩で3回はお願いされちゃうんですよね〜。あ〜、奥さんがイイヤマさんを満足させてあげてればこんなことにはなんないと思うんですよね。あたし何かぁ、体だけが目当てで付き合ってるようなもんじゃないんですか。あたしだって彼が好きだったのに、それってひどいですよぉ、あたしだって被害者なんですぅー」
「そ、それはどういう意味ですか」
「あらぁ、やだぁ、わかんないの」
 あたしは声のトーンを「ドスモード」へ切り替えてカニをにらんだ。
「カニってのはな、食うもんなんだよ。そう言ってんのが分かんねぇとか檄カマトトぶんじゃねーよ? テメェがカニだから亭主が浮気すんだよ、わかったか、あぁ!」
「でも私はイイヤマの家内です、子供もいるんです、お願いします、困るんです」
 子供がなんだっていうんだ。結婚なんて紙切れ一枚の話じゃないか。 だいたい、あんたんとこの子供って、カニ? 人間? けど、哀れなことにこのカニにはそれしか拠り所がないんだと思うと余計に笑いがこみ上げてくる。
 あたしはうふっと含み笑いをし、カニグラタンを待たずに腰を上げた。あたし別れないからね、と捨てぜりふを残して足早にあたしは店を出た。もちろん、伝票はあっちに押しつけてやった。
「……あ、ケイちゃん? あたし、フーコ。そう、今から。うん、じゃあ1時間後に六本木のいつものところでね」
 友人と遊ぶ約束を取りつけるとあたしは雑貨屋で今度隙を見て彼の鞄にでも片方放り込むための安物のピアスとプレゼント包装してもらった資生堂の冬の新色のルージュを買った。後もう少し、彼と彼の家庭を引っかき回してやろう。悪女ってのも一回やってみたかったのよね。あたしはほくそ笑むと、待ち合わせに遅れまいと、通りかかったタクシーに手を挙げた。
《LoveAffair 危険な情事 終》


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