LoveAffair 太陽と月に叛いて

 私と彼は高校生の頃からつき合っていて、もう六年くらいになる。当然結婚の話も出ているのだが、父がどうしても首を縦に振ってくれないし、母もあまりいい顔をしないので未だに頓挫したままだ。それは彼が自由業だからだろう。別にパンチパーマで兄貴の車を磨いているわけじゃない。彼は漫画家志望でまだその卵なのだった。一応生活費はプロ漫画家のアシスタントをしているので何とかなっているのだが仕事量は半端じゃないし、即ち暇はないし、それに比べて給料が特別いい訳じゃない。あれだけ働いているのに、と思うと安いくらいだ。
 それでも暇を見つけて投稿をしているが、なかなか賞を取るまでは行かない。アシスタントをしているその先生は中堅どころといったランクらしくて、なかなか押しがきくというわけにもいかないのだった。一応もうお互いの両親は公認で同棲しているが彼の給料では全然足りず、私は昼間は近所の本屋でバイトをしている。結構力仕事で足腰に来るのだが、それを親に愚痴ろうものなら
(そーら見たことか)
という顔をされるので、もっぱらストレスの解消は去年懸賞で当たったクラッシュ・バンディクーの馬鹿でかい縫いぐるみだ。これの腹に膝蹴りを何発も叩き込み、背を折り返し、目茶苦茶に殴ってふーふー言っていると、その呼吸と共に怒りのボルテージは下がっていくのだった。
 そういう生活はもう三年になる。彼の漫画の芽は出そうで出なさそうな微妙な位置にあって、苛立ちは募る。私が口を出すとまた彼にもストレスが溜まるからあんまり言えないんだけど。ただ、彼は忙しくて例の先生のところに行ったきり帰ってこないから、同棲といっても私のところに彼が時々通ってくるというような形になってしまっている。
 そんなある日、彼が機嫌よく帰ってきて、買ってきたすき焼きセットを手渡してくれた。
「俺、今の先生のところから別の先生の付きになることになったんだ。勉強になるから是非行けって、先生が言ってくれてさ」
 にこにこしながら彼はそんなことを言った。彼は既にその先生のところでは古株だったが、多分、新しいアシスタントを入れたかったんだろう。おめでたいことに彼はそれを全然気付いていなかったので、私は脱力感にかられながらも良かったねと言うしかなかった。
「今度の先生ってどんな人なの」
 すき焼きをつつきながら私が聞くと、彼は名前をあげたが私には全然分からなかった。もともと、私は漫画をあまり読まないのだ。
「新進気鋭の作家でさ、今まで一人でやってたらしいんだけど、仕事量が増えてどうにもなんなくなってきたようなんだ。俺、あの人の漫画読んだことあるけど、すごいの書くんだぜ。勉強させてもらうよ、せっかくだし」
「あーそれはようございました」
 私は若干疲れていた。最近微熱が続いていて、妙にだるくて仕方がなかったのである。薬を飲んでも全然熱が下がらないし、疲れやすくてクラッシュへも中途半端な成敗しか出来ない。今度医者に行かなきゃと思いながらも、彼の浮ついた話に適当に相づちをうってすき焼きをつついていた。
 彼は言葉通りせっせと新しい先生のところに通い始めた。あんまり楽しそうだったので先生ってどんな人、と聞くと目をきらきらさせて
「すごくいい人だよ。俺、あの人と仕事させてもらって幸せかも」
とうっとりした目付きでいう。ああそーですかと言うしかなかった。
 彼の様子が変わってきたのはそれからすぐだった。出かけるときに鏡を見るし、服装や髪型にも気を使い始めたし、あろうことか男性用のコロンなんかつけ始めたし、眉を整えているのを見たときには卒倒するかと思った。眼鏡からコンタクトに変えた。そして、今まで雑誌と言えば漫画雑誌しか買わなかったのに男性用ファッション誌を見つけたときにそれは確信に変わった。
 女がいる!
 私はクラッシュをとりあえずボコボコにしてから考え込んだ。いつからだろう。腐れ縁で続いてきたし、彼が鼻をふんふん鳴らしながら
「ユカリには俺だけさ」
などとしつこくすりよってきたのが突き放せなくてという言い方も出来る。だから強烈な愛情ってのはなかったけど、年月があったからそれなりに家族のような情があったのは確かだった。ただ、二、三回鳴ってはぷつっと切れる妙な電話がかかってくると彼は急にそわそわして、タバコ買ってくる、といって二時間くらいは帰ってこないのだった。帰ってきた彼に遅かったねーと嫌味を言うと、慌てて
「いや、コンビニで高校の友達にあってさ」
「ふーん。誰?」
 高校の同級生だったから、彼の交友関係は大体知っている。彼はぐっと詰まり、それからユカリの知らない奴だよ、とさっさと話を打ち切って寝てしまったりするのだからかわいい奴だった。
 そんなのが一ヵ月くらい続いていたある日、私は彼の鞄の中をテキの痕跡を求めて彼が昼寝をしている隙に調べたが、特にこれといったものはなかった。内ポケットの、いつもタバコが入っているところも念の為に見ておくかとそこをあける。
「うっ……」
 私は一瞬うなった。スケスケの真っ赤なレースの殆どTフロントTバック、みたいなセクシーパンツというのが入っていたのである。そんなものの実物を見るのは初めてで、私はそれをぴろーっと広げてしばらく感心していた。大事なところは穴が開いているから、そう使うんだろうな。そこに一本、ちぢれた毛がついていて、私は思わず吹き出しそうになった。こんなんを、奴は相手に着せてるんか。馬鹿だなー、ホント。どんな女か見てやりたい。私はそれを元通りに内ポケットに突っ込むと、久しぶりに上機嫌で、彼の隣で昼寝をした。
 次の日バイトに出た私はどうしてもだるくて仕方がなく、店長が帰ってもいいよと言ってくれたのに甘えて殆ど仕事もしないまま、やっぱり病院へいこうと近所の内科へ行った。症状を訴えると先生はしばらく触診をしていたが、
「薬出しときますけど、妊娠してないよね」
と言った。
 私はあ、と声を上げた。そういえば大分遅れている。ちょっと待って下さい、と私は薬を保留して妊娠判定薬を買い、家に帰った。
 ドアを開けると台所のガラスの引き戸を透かしてくすくすと笑う声がした。私はぎょっとして立ちすくんだ。 私がいない間に連れ込んだな! 外で何かやるのは勝手だが、私のこの家に連れてくることないじゃないか!
 私は勢い良く引き戸を開けた。部屋には布団が一つ敷かれており中でもぞもぞと何か動いていたが、その音でぎょっとしたように彼が布団から顔を出した。彼は仰向けに寝ているようだった。
「ユ、ユカリ、バイトは」
 彼がうろたえた声で言った。
「休んだ。何してんの」
「あ、いや……」
 彼が口ごもった。私は布団をつかんで思い切り引きはがした。
「あ……」
 私は面食らってまばたきした。彼のちちくびをつまんでかぶさっていたのは、こっちもぎょっとしているのか激しく口から泡を吹きながら固まっている、ズワイガニだったのである。
「な、なによこれは!」
 私はとりあえず怒鳴った。彼はびくっとしたが、
「うーん、いや、先生が体位の感覚を掴みたいってそういうから!」
 先生? そのカニが先生ってどういうことだろう。
 私が茫然としていると、カニがこんにちわ、ととぼけたことを抜かした。
「タカシくんにはいつもお世話になってます」
 男の人の声だった。どうも、といいかけて私はあっと思った。
 このカニ、雄なんだ!
 それから彼をちらっと見ると、彼の股間に例のセクシー下着が収まっていた。私は目まいをこらえた。
「わ、私がいるのにどういうことよ!」
 思わず涙目になりながらそのカニを引きはがして放り投げた。彼があっ、と言いながら必死でダイビングし、カニをキャッチした。丸出しになった尻にレースの赤いリボンがついていて、目の前が真っ赤になるかと思った。
「何すんだよ、先生に!」
「先生? ね、あんたが通ってる先生ってこのカニ? このカニが漫画描いてるっていうの?」
「先生をカニって言うな! 少しくらい変わってても芸術家ってのはいいの!」
「どこが少しよ!」
 私はわめき散らして思わずカニに掴みかかろうとしたが、彼が途端にカニを抱え込むようにして丸くなり、
「先生を殴るなら、俺を殴って!」
と金切り声で叫んでから、私は側にあったクラッシュを掴み、雄叫びをあげながら踏みつけ、蹴りを食らわせ、胴体を引っ張った。腹が割けて中のパンヤがぼわっと噴火煤煙みたいに出た。
 カニはうっ、と呻いて僕、お邪魔だから帰りますとそそくさと退散した。
 残された彼をセクシー下着一丁のまま私は正座させ、どういうことなのよ、と問いつめた。彼は黙っていたが、突然私に土下座した。
「頼む、俺と別れてくれ、ユカリ!」
 な、なにっ? 私を捨ててあのカニを取るって言うのか、しかも男の!
「ちょ、ちょっとタカシあんた何言ってんのか分かってんの? 相手はカニで、男なのよ?」
「それでもいい、俺たちは愛しあってるんだ!」
 目の前が暗くなるって言うのはこういうことなんだろうか。私はご臨終したクラッシュを踏みつけて、じゃああんたの子供はどうなんのよ、と怒鳴った。妊娠しているかどうかは分からないが多分ビンゴだろう。 彼はうっ、と一瞬つまり、それからやっと俺が引き取って先生と育てるよと言った。馬鹿にすんなと私は叫んでクラッシュの腹をずたずたに裂いて彼に投げつけた。
「ざけんじゃねぇ! お前は一生養育費と慰謝料払ってろクソが! 覚悟しとけよこのホモ野郎!」
「ホモじゃない! 愛しあってるだけなの! 俺と先生の愛を侮辱するなぁ!」
 それを世間ではホモって言うんじゃないのか。私はがっくりと肩を落としながら、自分が一番ショックだったのが彼に裏切られたことなのか、相手が男だったことなのか、それともカニだったことなのか、そのうちのどれなんだろうと考え込むのだった。
《終》


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