第3章 かもめたちはうたう 16

 まばらな拍手が酒場に起こる。伴奏の竪琴がひときわ大きく込み入った和音を奏で、それはやがて一段高くずれた主旋律を導き出す。
 歌い女はそれに頷き、豊かな胸に手をあてて深く息を吸い込んだ。
 てらてらと安く光る口紅の色が、開いて溢れてくるのは──歌。
 女は歌う。あいのうたを。




    生まれつきの海鳥たちが うたいつづける、魂は
    お前がどこかで捨ててきた 真珠のような、涙と似ている

    私は今宵もお前を呼ぶよ
    お前を呼び戻す為に うたいつづける、海鳥の歌

    愛してよ お前の全てをなげうって
    愛してよ お前の胸の中にあるはずの
    愛してよ、愛してよ
    流れる血潮 その最後の一滴までに刻んでよ

    愛してよ、愛してよ
    お前の胸に届くまで 叫び続ける、私の声で
    繰り返し、繰り返し
    愛して欲しいと、 かもめたちはうたう




 ……やがて夜は更けていき、女の歌は記憶の中へ放り投げるようにしまわれる。酒場女は常連客の愛想に頷いて、彼らのおごりの酒をあおった。
「……彼女は昔、どこかで歌を?」
 男は聞いた。酒場の主人はさあねと笑った。
「こんなのは流行歌だからね。劇場に出ている女がこんな安い歌を知っているなんぞ、聞かないね」
 主人の言葉はもっともであった。男は苦笑し、酒と女へ渡す小銭を置いて店を出た。
 外はまだ、夜の半ば。夏の宵は短いが、それをひたすら楽しみ尽くそうとするための赤い格子の町はまだ眠らない。男は僅かに溜息をつき、雑踏の中へ紛れていった。