口内炎


 昼食に、そばを食べた。普段はかけにするんだけども、今日は何となくざるにしてみて、失敗した。そうだ、口内炎があるんだ。案の定、つゆがしみる。口をすぼめてそばをすすっていると、さんざん酷使している頬の筋肉が引きつって、こめかみに鈍い痛みがする。
 馬鹿なやつよ、と先輩のカシマさんにいわれて僕は恥ずかしくなってうつむく。中学卒業してすぐ工房にはいったのはいい。親父の後を継いでやるのは僕しかいない。姉たちは婿養子とるくらいなら勘当してと言っている。
「今時こんなの流行んないわよ。あの普通の工業製品と何が違うの? 彼氏に言えないんだもの、サイアク」
姉よ、あんたたちは間違ってる。少なくとも、父の作品はその辺に溢れているものとは強度も見た目も(レインボー!)もちろん使いごこちも全く違うのだから。
 父にカシマさんが弟子入したのはもう3年位前、僕は当時まだ中学生だったが、カシマさんが情熱をもってこの仕事を選んだことを、父のためによかったと心底思っている。
「汁ものなんかよく食うのぅ、タカよ。染みるぞ、馬鹿め」
カシマさんはそういいながらそば屋でカレーを食べている。そう、カレーはスプーンがあるから口内炎に触れないのだ。でも僕はだからといって毎日カレーはいやだ。
 昼休みが終わって僕たちは持ち場に帰る。父はすでに仕事を始めていた。僕は自分の席に戻って僕専用のガラス管をくわえた。これの当たる場所がすれて切れてしまい、口内炎になるのだ。決して不摂生だからじゃないぞ。
 僕は深く息を吸い込んで、つつくみたいにほんの少し吹き出す。ちょん、ちょん、リズムに乗って吹き付けていく。そうやっていい調子で仕事をしていると、突然
「ぶえっくしょんっとら、ちくしょうめ」
カシマさんがくしゃみをして、僕もつられてひょえっ、としゃくりあげてしまった。ふくらんだドームの部分が萎れる。ああ、とため息になる。
 すまん、といわれて僕は頷いた。くしゃみ、しゃっくりは禁物だがこればっかりは人間だから仕方ないこともある。父は呼吸を乱す一瞬前に専用のストロー(父はストローを使う)を口から離してよそへ飛ばしているのはさすがだ。さすが、この道30年。
「お前精神統一が足らん! 水浴びてこい、馬鹿やろー!」
父の罵声が飛ぶ。カシマさんはすんません、と呟いてそそくさと仕事場を出ていった。僕は、父と取り残されて少しぼんやりする。
 タカ、とよばれて僕は父の側による。父の作りかけている30メートルのロールは既に完成間近で、その寸分も狂いのないなだらかな半球の盛り上がりが、圧巻だった。僕はそっとそれを指の腹で撫でる。
 世の中にはこれを本来の目的以外の使い方をする人の方が多くて、僕はそれを思うたびにやるせなくなる。なぜ、僕らが丹精をこめて作り上げた作品を壊してしまうのだろう。
 不意に、父が言った。
「いいかタカシ、吹く時は何も考えるな。邪念を捨て、無にならんとこれはできん。いいな、これの使われ方とかに空しさと理不尽を感じているようじゃあ、いい作品にはならんのじゃ」
僕は、父の言葉に何とか納得しようとするが、あまりうまい感じではなかった。でも、と僕は言った。
「でも、父さんはこれをひとつひとつ丁寧にしてるのに、これをひねり潰す所か雑巾みたいにしぼっちゃう奴だっているんだ、僕は、雑巾絞りだけは、絶対に絶対に許せない!」
 父は苦笑しながら馬鹿やろぅ仕事場では親方と呼べ、と僕の額を小突いて、それから真顔になって
「形のあるもんはいつか必ず壊れるっちゅーのが世の習いよ、タカシ。それでも子供は喜ぶからいいじゃねぇか。最後まで人の役にたつんだからよぉ」
「お、親方ぁ~」
 僕は涙を飲み込んでぐっとこらえる。我慢してくれや、と父は言い、仕事用の極細ストローを手にとった。父の吹くリズムは僕に比べて相当速い。僕はこの道1年半のまだまだひよこなんだと痛感する一瞬だ。
 カシマさんが戻ってきて、自分のガラス管を手にとった。僕もまた、席へ戻る。そうして三人でぷくぷくとドームをふくらませはじめる。
 直径6ミリ高さ4ミリ。この小さなドームの後ろにあたる部分から管を入れて空気を吹き込む。膨らむ。ちょうどいい大きさになったところで管を抜く。管の先端につけておいた接着剤が素早く亀裂を塞いでドームはふくらんだままだ。
 これを規則正しく延々と続ける果てに、何かを悟ることもできるだろうか、父のように。でも僕は未熟者なので、やっぱり子供が僕らのふくらませたシートの突起をぷちぷち潰して遊んでいるのを見かけると胸が潰れそうになる。
 お願いだから、潰さないで。指で一個一個つぶすだけならまだともかく、音と感触を楽しむためだけに雑巾みたいに絞って一気にぶちぶちぶちぶちーってのだけは、絶対にしないで。あの、緩衝材の保護シート(通称ぷちぷち)は僕らの涙と努力の結晶なのだから。

《口内炎 終》