眼精疲労


 僕は目頭を摘むように抑えて瞼の上からおもむろにマッサージをはじめた。こめかみをぎゅっ、眉間をぐいっ。肩も痛いが目の方がもっと痛い。親方を始め、工房全員が眼鏡になるわけだ。僕の視力は弟子入した時両方が裸眼で1、5づつあったのに今や0、4と0、2、しかも右は乱視が入ってしまった。
 目の疲れを気休めにとって作業台に向かう。とたんに目の前に並んだカラフルな色使いの細かな地模様(にしか見えない)に視界がぼやけてぐらっとした。眩暈。
「大丈夫か、タカ? ちょっと外で遠くの緑でも眺めてこいや」
そんな僕に気付いて先輩のカシマさんが僕の背中をとん、と押してくれた。僕は頷いて一旦席をはなれ、工房の外の濡れ縁へと立った。
 タバコに火をつける。一服がすごく旨い。青白いタバコの煙の向こうに、のどかな山々の濃緑が重なっていてとてもいい光景だ。僕たちの仕事は目にかかる比重が大きいから、国がここを特別に誂えてくれたと聞いている。そう、僕たちは特別職国家公務員というやつなのだ。但し、かなり職人としての技術が求められるために試験では採用していない。工房に弟子入してから僕も自分が公務員なんだと初めて解ったくらいだ。
 でも仕事の内容からいくと、確かに国の信頼を担っているのだから、公務員でもおかしくないのだろう。僕たちの仕事を国がどんな風にどれだけ評価しているのかはいま一つ謎だが、僕質が仕事をしなければ国家事業がまるまる混乱してしまうことは確かだから、大切な仕事に決まっている。給料も悪くないし、ね。
 一服を終えて仕事場に戻ると、カシマさんは自分の持ち分のドラえもんを仕上げ終えたところだった。僕はまだ見習いなので大量に出ている小鳥だとか屋島菊だとかしかやらせてもらえない。親方は吉祥観音をやっている。さすがだ。僕もせめてドラえもんや星の王子さまやミッフィーくらいはやってみたいが、僕はまだまだ未熟者なのだそうだ。
 僕は座って自分の特製千枚通しを握る。やや斜めになった作業台の上にはきちんと両端を止められたシートが僕の帰りを待っていた。千枚通しをあてる。最初の一点を打つ時が、一番緊張する。ここを間違えると取り返しがきかない。後ろから当てられているバックライトがまぶしいが、これで直線のガイドを透かして見ているのだから仕方がない。ちなみに作業台は特製シリコンで、どうやらかなり高価なものらしいが、国の支給品だ。
 ぽつぽつと円を打っていく。真円でなくてはならない、ライン上に直線でなくてはいけない、大きさが違っていても駄目。そんな厳しい監査を通り過ぎる為には一瞬たりとも気が抜けない。息を詰めて一気に打ちつける。僕はまだ時折監査に落ちてしまうので、確かに未熟なのだ。
 1ラインを仕上げて僕はふう、と息をつく。まぁまぁだな、と思っていると、カシマさんが
「タカもましになってきたのう」
と言って笑った。
「まぁ、ここへきてからもう2年半ですしね」
「俺より上達が早いじゃねえか。筋がいいのう、お前」
「やだなぁカシマさん、僕をおだてても何も出ませんよ?」
カシマさんはばれたか、と明るく笑う。神経の張る仕事なので、作業が一息ついた時の雑談には親方はとても寛容だ。ちょうど親方も一枚が終わったらしく、カシマさんに向かって
「なんの、お前が最低だっただけよ、テル」
と言った。カシマさんは照れくさそうに頭をかいて大きく伸びをし、自分の持ち場へ戻った。
 それから少しして、東京の博物館に僕らのコーナーが出来るということで僕らの監査役兼世話役の人が作業場の写真をとっていったが、いつまでたっても音沙汰がない。世話役の人は「これ飾りますからね」と言っていたが、何の連絡もなくて僕たちは苛々していた。親方も痺れを切らしてついに、みんなで東京に行こう、ということになった。
 僕は東京は初めてで、親方と一緒にはとバスに乗って皇居や歌舞伎座や新宿の東京都庁を見てまわった。すごい街だ、東京。カシマさんは横浜の出身だから実家へ一度戻り、最終日に皆で集まって大手町の博物館へ行った。だが、僕たちの写真はどこにもなかった。それどころか、あれが手作業だという一言さえ、どのパネルをみても何にも触れていない。工業規格品だと誤解してくれといわんばかりの仕打ちだ!
 あんまりひどかったので、帰ってきてから僕たちは早速世話役の人にかみついた。普段温厚な親方も剣呑な目つきだった。
「いえね、写真がどうとかコーナーがどうとかってわけじゃないんですよ。ただ、普段日の当たらねぇ仕事をしてるもんでね、俺はいいけど若い奴らによぉ、少し自信をつけさせてぇんですよ。いい機会だからってんで写真も取材も受けたのに、何の連絡もなしに削除ってのは酷くないかい、ということで」
そうだそうだ、と僕たちは親方の後ろで一斉に頷いた。
「いえ、その……人権擁護団体からの抗議が予想されるものでして、上の方の判断で、保留に、なってるんですね」
保留。それは事実上立ち消えという意味だ。僕は心底がっかりした。僕たちの仕事を世間の人にわかってもらうチャンスだったのに。
「しかしね、俺たちがこの仕事をしているのは事実でしょ?」
親方は食い下がってくれたが、効果はなかった。世話役の人も結局は中間管理職に過ぎないのだから可哀相といえばそうだ。
「重要な仕事なんですけどねぇ」
僕はため息をつきながら言った。カシマさんは苦笑しながら僕の肩をとんとん、と叩いた。
「仕方ねぇよ。いいじゃねぇか、俺たちが切手に穴を開けなければ、世間様は自分たちで綺麗に切手を切り離すことさえ出来ないんだからよ」

《眼精疲労 終》