1月2日 午前11時

 目を覚ますと羊はいなかった。妙に狭い空間にすっぽり入っているなと思ったら身体にごつごつするのはこたつの足で、どうやら俺はこたつに入ったまま眠ってしまったようだ。のそのそと起きあがり、惰性でテレビをつける。正月特番のやたら明るいバラエティが流れ出してきて、俺はそれを視聴というほど真剣にでもなく、眺め始めた。
 昨日は一日、嵐みたいな日だった。新年丁度に変わった頃に変な羊がやってきて、俺の家にあがりこまれたのだ。帰れと怒鳴っても全く通用しないどころか
「んもう~、照れちゃってぇ。だってぇ、アキラ君、あたしが欲しいって言ったくせに~。遠慮しなくてもいいんですよ~?」
 などと訳の分からないことをほざきやがる。明け方4時まで押し問答をしていたのだが羊はとうとう帰らず、結局泊めることになって俺はふて腐れ、例によってのキンキンした声で俺にまとわりつく羊を無視して一日ゲームをしていたのだ。
「ん~もう~、アキラ君、あたしのこと呼んだくせに~」
 羊はひたすらそんなことをわめいていたが、俺は全て無視した。下手に相手にしても疲れるだけだと思ったのだ。そんな無言と饒舌の16時間の戦いを経て、起きたら羊がいない。俺は勝ったのだ。
 俺はゆっくりとこみあげてくる笑いを喉でならした。羊のやつは諦めて出ていったのだろう。歌い出したい気持ちになって、俺は上機嫌に台所へ向かった。喉も渇いたし、腹も減った。確か冷蔵庫にビールとスーパーの総菜があったはずだ。
 冷蔵庫を開けて俺は羊、と呟いた。あのクソ羊、俺の備蓄食糧殆ど食っていきやがったのだ! そりゃあ6缶680円のビールと書いてはいるが実体は発泡酒ですよ、半額シールのついた正札一パック298円のポテトサラダとフライドチキンですよ。だが、他人の家の冷蔵庫を勝手に開けて俺の許可無く食べるとは、許すまじ、羊。
 俺は夜中に冷蔵庫を開けてあのいっそひょうきんなレースだらけのフリフリした服のまま床に座り込み、ポテトサラダをつまみに俺の発泡酒を飲む羊を想像して思い切り顔をしかめた。元旦が明けてさすがにつながりやすくなった携帯で、早速エンドウのところへダイヤルする。
「おおっアキラちゃーん、羊はどうよ? 羊ちゃんはさぁ!」
 エンドウはすっかりネタだと思ってるらしい。俺は聞いてくれよ、と不機嫌な声を出した。
「あの羊、俺の冷蔵庫から勝手にもの食ってったんだよ! 信じられるか人ん家の冷蔵庫だぞ?!」
「いいじゃねぇか、日付が昭和のヨーグルトとかは入ってねーんだろ」
「ものが古い新しいは関係ねえよ」
 電話の向こうでエンドウがへらへら笑っているのが聞こえる。こいつは俺の家を突然襲った羊事件をまるきりネタとして扱っているのだ。
「つーかさぁ、羊ちゃんはまだいんのかよ?」
 俺がエンドウの態度に怒っていると、奴はそんなことを言った。俺はいいや、と答える。寝て起きたらいなかった、と付け加えるとエンドウは電話の向こうで笑った。
「出てったんならいいじゃねえかよ。あー、俺も見たかったなあ、その羊ちゃん。可愛かった? 女の子なんだろ? 食った? ねえ食った?」
「……いや、だから、羊だって」
 俺がいくらなにを言っても遠藤にはさほど応えないようだ。大晦日からの彼女とのラブラブぶりばかりを語られて、俺は次第にこいつに電話したのを後悔し始めていた。何故俺が電話代を払ってまでこいつのオノロケを聞かなくてはならないのだ。
 いい加減なところで切るぞ、と俺が言うとエンドウは冷たいねぇアキラちゃんはとにやけた声を出した。
「ま、今度遊びに行くわ。ところでさあ、アキラちゃんよぉ。俺、気になるんだけどさあ」
「なにがだよ」
「玄関の鍵、かかってる?」
 意外なことをエンドウは言い出した。俺は携帯を持ったまま玄関先で鍵がかかっているのを確かめる。かかってる、と答えるとエンドウはふっと真剣な声になった。
「じゃあ羊ちゃん、帰ってくるな。お前の冷蔵庫荒らしたお詫びに今から手料理~~ってな! そんでもって、デザートはあ・た・し!」
 俺は反射的に電話を切った。
 エンドウの言うことは正しい。鍵がかかっているということは、羊は俺の鍵を持って出ていったということで、つまりそれは戻ってくるってことだ。俺はドアチェーンをつまみ上げた。その瞬間、がちゃっと音を立てて鍵が回った。
「たっだいま~、アキラ君! 材料買ってきたの~! メリー、お雑煮つくってあげる!」
 まさしく耳を射抜かれるような、つんざくような高音。5年前から住んでるような当然ぶりで、羊は俺の家にあがり台所に立った。
「ちょっと待て。お前、帰ったんじゃないのかよ」
 俺は羊のモコモコした、うなじ辺りと思われるところの毛を掴んだ。きゃっ、という悲鳴がアニメでしかお目にかからないようなはしゃぎぶりだ。
「いやぁんアキラ君ったらぁ、乱暴しないでぇ」
 何故そこで腰をクネクネ動かす。動物なのに潤んだ目で俺を見るな。羊のくせに。
「これ以上の乱暴は絶対せんから帰れ」
「え~~っ、だってぇ、アキラ君があたしのこと欲しいって言ったのにぃ! ひどぉい! メリー、アキラ君に会えるのとっても楽しみだったのに~~~」
「元々欲しくなかったから帰れ」
 羊は何か口の中でぶつぶつとやっていたが、肩からたすきがけにかけた鞄の中から一枚の葉書を取りだした。俺はあっと声を上げそうになった。それはこの夏、まだつき合っていた元彼女がどうしても欲しいと必死でインスタント焼きそばのシールを集めて応募した懸賞葉書だったのだ。……たしか麺の小麦をニュージーランド産のちょっといいものに変えたとかなんとかで、羊のストラップやら羊のシールやら羊のぬいぐるみやらが当たるとかだったのだ。
「ほら、これ。この葉書。書いたの、アキラ君でしょ?」
「……書いたのは俺だが俺は欲しくなかった」
 メリーさんグッズを欲しがったのは元彼女で、特にこの特賞(全国一名様限定)の等身大メリーさんをゲットするために3ヶ月半、昼飯は「メリーさんのおいしい焼きそば」となった、語るのも辛い出来事まで経験した。……等、身、大……メリー…… 
 あー……そういや確かにこんな服きた羊のイラストが葉書に書いてあるなぁ……これのどこが可愛いのか全く理解できなかったものの、彼女と一緒になって葉書に
『とっても欲しい! メリーさん超かわいいです! 当ててください! 焼きそばもおいしい!』
などと書いたのは俺だ。俺だが……
「いやまて、お前を欲しがったのは俺の前の彼女だ。今から電話するから、あの女んトコへ行け、いいな!」
 俺は携帯のメモリダイヤルを探した。ああ、未練たらしかろうとなんだろうと、まだメモリー消さなくて本当に良かった……! 電話は2コールですぐつながった。
『お客様のおかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめの上、もう一度おかけなおし下さい。お客様の……』
 俺は通話を切った。そんなに俺からの電話がいやだったんだな……あいつのために俺は3ヶ月半も焼きそば三昧だったというのに。
 俺は台所で地団駄を踏み、頭を抱えた。いや待て待て、元彼女とは大学時代のサークルで知り合ったのだから、元メンバーに手当たり次第声をかけていけば何とか連絡が取れるんじゃないだろうか……それに思い至り、気を取り直して携帯に向かった時、羊がぬふふふふ~と笑ったのが聞こえた。葉書の一番下、隅っこの方に小さな字で書かれている。
『当選の権利は他人に譲渡できません』
 俺は首を振った。
「違う、俺は名前を貸しただけだ! 彼女がどうしても等身大メリーさんが欲しいって言うから! だからあっちに行くのが道理だろう、そうじゃなきゃいらんから帰れ」
 羊はむほほ~~とやはり口の中で笑った。
「そしたらぁ、会社に電話してぇ、当選取り消しの相談しなくちゃ駄目なんですよぉ」
「わかった、会社に電話するから絶対帰れ」
 俺は羊から会社の番号を聞きだし、携帯から電話した。
『お電話ありがとうございます、メリーさんのおいしい焼きそば大好評のN食品です! 12月28日から1月5日までの間、誠に勝手ながら業務をお休みさせていただきます。今後もN食品を……』
 正月休み。なるほど、羊のむほほ笑いはこのせいなのか。
 俺はうなだれる。ということは、俺はこの羊と5日までは一緒にいなきゃならんのか。
 それってどーよ。どーなんだよ。
 俺はなるべく早く元彼女を探し出そうと思った。その脇で羊は上機嫌に『メリーさんの羊』を歌いながら雑煮の支度を始めるのだった。

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