1月7日午前0時

「こんばんわ」
 彼女は言った。俺は羊アタックで今にも破れそうなドアを必死で押さえつつ、彼女に向かってはあ、と会釈した。黒いコムサのパンツスーツを着込み、ショートカットの髪をさらっと耳にかけ、彼女は眼鏡の奥からにっこり微笑む。
 俺はつられるようにして曖昧に笑ったが、背中から羊の猛突進を受けて慌てて力仕事に戻る。彼女はカツカツとヒールの音を立てて俺の押さえるドアの前にたち、あの、と俺に囁くように言った。
「メリーですか?」
 俺は一瞬ぽかんとするが、それがまさしく状況といえば状況だったから激しく大きく頷いた。
「め、メリーです! メリー! あのクソ羊!」
 俺が怒鳴ると中から羊のうほほほほほという勝ち誇った高笑いが聞こえてきた。相変わらず、一瞬耳をふさぎたくなるようなアニメ声だ。
「やっと名前を呼んでくれたのね~、ダーリン! あなたのメリーはここでっすぅ!」
「じゃかわしぃ! 黙っとれ! 誰がダーリンだ!」
 俺が怒鳴り返すと、彼女はしっと人差し指を立てた。相変わらず、羊アタックの合間を縫って俺にだけ聞こえるようにひそひそと囁く。
「メリーに話なんか通用しません。あれに通用するのはただ一つ」
 彼女は肩から提げていたバッグから電気ひげそりよりもちょっと大きいくらいの物体を取り出した。何だろうと俺がぼんやり見ていると、かちっとスイッチを入れたらしい。途端、バチッと火花がはじけたのが見えた。
「こ、これは……?」
 俺がこわごわ聞くと、彼女は先ほどと変わらないにこやかな顔で答えた。
「スタンガンです」
「す、スタン……」
 俺が仰天して復唱しかけたのを、彼女はさっと手で塞いだ。
「羊に人間の言葉なんか通用しません。アレに通用するのは力です。暴力です。結局強硬手段しかないんです」
 やはり彼女はひそひそとした声音で喋る。それが薄いベニヤの張り合わせである俺のドア越しに、羊に話が聞こえてしまわないようにしていることを、俺はやっと気付いた。俺も声を潜める。
「で、でも、電流なんか流したら……また別の変なことを言い出すかも……」
 彼女が「変なこと」の内容を目で聞いてきたので、俺はさっきの「光の国に帰れないのでお嫁さんになります」を披露した。彼女はうっすら微笑んで頷いた。
「大丈夫、それは彼女の常套手段です。そうやって自分のペースに巻き込むんですよ」
「ほんと……に?」
「ええ。大丈夫、任せておいてください。さ、ドアを1、2の3で開いて」
 俺はじっと彼女を見つめた。彼女はドアの横に立ち、俺に頷く。俺は覚悟を決めてドアから飛び離れた。
 その瞬間、ドアがものすごい勢いで開き、中から白いカタマリが弾丸の如く飛び出してきた……避けてて良かった。直撃食らったら死んでるかもしれん。
「ひゃっほ~ぅ、アキラく~ん! メリー、会いたかった~!」
 羊は甲高い声を上げた。
「そうね、あたしも会いたかったわ」
 彼女がさっと割って入る。スタンガンはしっかりと構えている。
 羊は彼女を見て、きゃっ、と変な声を上げた。
「メメメメ、メリー?! なんでメリーがここにいるの?!」
 ちょっと待て。俺は混乱する。メリーが彼女をメリーと呼ぶと言うことは、彼女がメリー? じゃあこのメリーと名乗る羊は何だ?
「なんでいると思う? あたしはね、メリーを取り戻す為にあんたを追ってるのよ! 返しなさい、お金とあたしのメリー!」
 もう意味が分からない。俺がぽかーんと事の成り行きを見つめていると、着ぐるみのメリーが俺に突進してきた。避けようと思うがもう間に合わない。どーんと体当たりされて俺はアパートの廊下に押し倒され、重みで肺がむぎゅうといった。
「馬鹿ッ、重たい、どけ!」
 俺はもがくが羊のメリーは俺の首にしがみついてキンキンした声でひどぉ~いとうぉんうぉん泣き始めた。なんだよそのマンガみたいな泣き方は……しかし今までヒドイ目に遭ってきた俺はこの声で更に怒りと白けた気持ちの両方をかきたてられる。
 俺は思い切り羊を突き飛ばした。
「お前! お前のそんなとこが嫌いなんだよ! 俺の前から失せろ───い、いやその前に持ち物をチェックさせろ、俺のGショックコレクションがお前の鞄の中から出てきたら、俺はお前を殺す!」
 羊はぴたりと泣きやみ、むほほほと小さく笑った。
「だってぇ、夫婦なんだもんっ。夫婦の財産は共有なんだもんっ。だからアキラ君のものはメリーのものだもんっ」
「ほぉ~~おぉ……」
 呟きながら俺はこめかみの欠陥が破裂したかと思った。かーっと目の前が赤くなったような気がしたのだ。身勝手とか我が儘とか、そんなレベルじゃない。確かにメリーという彼女の言うとおり、人の言葉など通用しないのだ。
 俺は羊の首に腕を回し、ヘッドロックの要領で締めあげた。
「俺がいつお前と結婚した?! ああ?! 妙なことほざいてるとこのまま絞め殺すぞ! お前のことなんか大嫌いだ、俺の目の前から失せろ! 今すぐ失せなければ殺す! お前を殺して屠殺場に送ってやる! 眉間かち割ってやる! 分かったか羊!」
 羊はかふかふと喉の奥で何かを言っている。俺は羊を突き飛ばし、部屋の中にあった傘を掴み、先端で突きまくった。
「いやん、痛ぁい、やめてよぉ、アキラ君ったらぁ」
 羊は相変わらず変な声を出して腰をくねくねさせている。俺が更に頭に来て殴りかかろうとした時、待って、と彼女が割って入った。
「駄目です、そんな攻撃は彼女には効かないわ。だってメリーは結構分厚いんだもの。だからコレなんです」
 彼女はスタンガンを持ち直して羊ににじり寄っていく。俺の時とは一転して羊はじりじりと後ずさった。こふーっ、こふーっという呼吸音が羊から聞こえる。
 一陣の風がにらみ合う二人のメリーの間を吹き抜けた。
「勝負!」
「メリーアターック!」
 ぼよんと羊が空を飛ぶ。それを彼女はハイヒールとは思えない素早さでかわし、後頭部を掴んだ。チャックの音。そしてそこにおもむろにスタンガンを突っ込む彼女。
 バチバチバチっというすごい放電音に、俺は一瞬目を閉じた。結構こういうバイオレンス、弱いのだ。一瞬が過ぎてなんだか焦げ臭くなってきて、俺はおそるおそる目を開けた。
 ……アパートの階段にどーんと横たわるのは羊。
「……う、動かないよ……?」
 俺は羊を足でつついて言った。まさか本当に死んだのじゃないだろうか。この羊は万死に値する行為を俺に散々してきたわけだが、死んでしまうと面倒だ。羊が死ぬのはかまわないが、俺が羊のせいで人生を棒に振るのは絶対にごめんである。
「大丈夫、気絶しているだけですから」
 彼女は言い、気絶しているという羊の中からずるりと中身を引きずり出した。それはごく普通の女だった。年はよく分からないが、若いということは分かる。
「……これがメリーの中身です。やっと捕まえたわ。ご協力、ありがとうございました」
 彼女は深々と俺に頭を下げた。俺ははあ、と変な返事をした。彼女が携帯を取り出し、素早く警察に連絡をしている。それは110番ではなくて、誰か刑事さんの携帯であるらしかった。やっと、とかどこそこで捕まえましたとか、そんな話をしている。
 電話を彼女が切るのを待って、俺はあのさぁ、と言った。
「君、誰。それとメリーって何。この羊は一体何なわけ」
 彼女はにっこり笑っていった。
「詳しいことは警察で───ああ、ほら迎えが来ます」
 俺と彼女の耳に、遠くサイレンが聞こえてきた。
 警察でこの1週間のことを俺はとくとく語った。とにかくあの羊にはヒドイ目に遭わされてきたのだ。羊の鞄の中からはやっぱりというべきなのか俺のGショックと、PS2の本体が出てきたらしく、俺は生ぬるく笑った。
 何故そうお約束なのだ、羊。
 ところで相手の女は未成年だったらしく名前などは教えてもらえなかったのだが、あの羊が何故俺の懸賞葉書を持っていたのか、何故メリーさんの着ぐるみを被っていたのかなどの経緯は教えて貰った。
 あの羊(の中身)、メリーの着ぐるみが欲しくてN食品の懸賞葉書の仕分けのバイトに応募したらしい。普通懸賞を出そうと思うのが一般人なのだが、当たり葉書の住所を見て強奪しようというのがあの中身なのだ。
 で、その強奪した着ぐるみメリーをかねてから趣味だったコスプレ……という範疇では既に無いような気もするがコスプレ衣装に作り替え、アパートを去年の10月に家賃滞納で追い出されてからは盗んでおいた応募葉書の中から独身で一人暮らしだと当たりをつけた相手の家に行っては……あとは俺の経緯を1月1日から読み直すように。
 警察で調書を取られ、俺は羊の仕業を長々語り、警察官から同情され、やっと全てが終わって外へ出ると既に夜明けだった。外で眼鏡の彼女が待っていた。
「お疲れさまでした」
 彼女はそういって笑う。俺は頷いて、朝日の中で彼女をじっと見つめた。夜だったし動転してたしあの羊に別の意味で夢中だったし、彼女のことをじっくり眺める余裕など無かった訳なのだが……結構、可愛い。俺好みに。
「彼女のこと、迷惑かけて本当に済みません」
 そういわれて俺は適当な返事をする。そう、いくら可愛くてもあの羊と知り合いだっただけですごい話だ。
「君、あの羊のなんなの?」
 俺の言葉には多少険があって、彼女は少し赤くなった。コムサのスーツの裾が少し汚れている。裾の汚れと赤面がきりっとした彼女の印象の中で何となく、色気があった。
 ……ああ、やばい。ミホと比べてこっちの方が100倍いい女だと思ってる。
「彼女、私の高校の同級生だったんです……あの、友達じゃないですよ。クラスメート。卒業してから縁は切れてたんですけど……等身大メリー、当選者はあたしなんです」
「……なるほど、で、奴は君の家に押し掛けたんだな……」
 はい、と彼女は頷いた。彼女が高校の同級生だと分かるとそれを理由に家に上がり込み、隙を見て彼女の貯金と等身大メリーを奪って逃げたらしい。彼女は子供の頃から合気道を習っていたからこちらには手を出さなかったのだ、……悪事に相手を選ぶ、本当に嫌な奴だ、羊……
 聞けば聞くほど羊の奴が憎くなってくる。俺は長い溜息をついた。
「君も災難だったね、あんなのに見込まれてさ」
 彼女はふっと遠い目をして笑った。彼女にもあの羊との戦いがあったらしい。とにかく自分が当たった等身大メリーと貯金を返して欲しくて探していたのだと言った。
 よくも俺の家が分かったものだとは思うのだが、あの羊、買い物などにも着ぐるみで行っていたようで、着ぐるみ羊としてネットで噂を募集し、それを元に追いかけてきたらしい。近所に来てからは聞き込みと張り込みであったようだが、それが功を奏し、羊羊と呟きながらテンパった顔つきでビニール傘を手に走っていく俺を追ってきたのだった。
 大体の道筋が理解でき、俺は最後に残っている疑問を口にした。
「あの羊、君のことメリーって呼んでたね?」
「ああ……」
 彼女は更に赤くなった。指が空中に「羊」とつづる。
「あたし、ヨウコっていうんです。ヒツジコって書いて羊子。実家は北海道で農場をやってまして、祖父がそんな風に。中学の頃からメリーさんって呼ばれてて、高校でも同じようにメリーって……」
「そ、そう……名前、珍しいね」
「でも、兄なんか牛男に馬次郎ですから」
 羊子さんはちょっと笑った。やっぱ可愛い、メリーさん。エンドウ、俺の子羊ちゃんはあの憎たらしい羊ではなくて、こっちのメリーさんだったらしい。
 俺は彼女から携帯メールのアドレスを聞き出すために、彼女を近所のファミレスに誘う算段を頭の中でし始めた。

《メリーさんという羊 終》



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