群れ瞬く星の下にて君を想う1

 取り囲まれているような星空であった。夏の夜は蒼く、闇の色も冬より遥かに柔らかい。ケイがそう感じるのは自分の故郷が雪の深い地方であるからかもしれない。
 例えば、隣で同じようにぼんやり天空を見上げている友人であるなら、また違うだろうか。見つめた横顔に視線を感じたのか、エルシアンがケイにゆるく笑って首をかしげた。
「何だよ、ケイ」
 言われてケイは苦笑になった。ただ何となくと言いにくくて星が、と呟くとエルシアンは再び天を見上げてああ、という仄かな返答をした。
「都市だと地上の明かりがあるからな……田舎だとよく見える。気持ち悪いくらいあるな、ほんとに」

 そう、とケイは頷いた。エルシアンはラストレアに来るまではずっと王都ザクリアにいたと聞いているし、ラストレアも地方都市としては小さな方ではない。北の脅威ジェア王国に備えた城壁都市だが、その内側はシタルキア第三の都市として、人口と規模を誇っている。
 多分、彼はこんな小さな村に来るのは初めてなのだろう。明かりの少ない、何も無いような集落に。
 二人が酌み交わしているのはケイの部屋の窓から出る二階の屋根部分だが、そこから見下ろす明かりはまばらで、はぐれた蛍のようなあやふやさだった。

「田舎だからなぁ、ここ。何もなくて驚いたろ。お前、見世物みたいになってるし」
 ケイの帰省にエルシアンがついてきた形だが、ともかくも冬に出会ったばかりの友人は今ケイの実家でのんびりと夏の休暇を楽しんでいる。家の仕事も棚の整理や掃除程度のことはよく手伝うし、そもそも人当たりが良いから商売に向くようだ。ケイの家は国から許可を受けて塩を扱う商家だが、父親が彼を気に入って店番がてら側に置きたがる。しかもケイにとって面白くないことにケイの連れて来た友人ということで様子を見にきた故郷の幼馴染達が、何時の間にかエルシアンと親しくなっていくのだった、特に女。
 それを母親に愚痴ると、母親でさえあら、と声を上げて笑ったものだ。
「だってお前、学院生っていう条件が同じなら格好いい人のほうがいいに皆決まってるじゃないの、馬鹿ねぇ」

 エルシアンは飛びぬけて目立つ美形ではないが、洗練されて垢抜けた雰囲気と明るく開放的な気性のせいで何処へ行ってもこうなのだ。それに短く切りそろえられた髪型が珍しくて一見で目立つということもあるだろう。男女共に髪は長いのが善良な風俗というものだ。
 まぁね、とエルシアンは明るく笑って酒瓶の首を掴んだ。飲む比率はケイが1ならエルシアンが10だ。彼につき合っていたらケイはあっという間に潰されてしまう。
「でも、いい感じの村じゃないか。お前がよければ来年も来たいよ」
「それは構わないよ。母さんなんかエルスみたいなお兄さんがお前にいれば良かったかしらとか言ってたもんな……」
 ちなみにケイの方が年齢は一つ上である。母の言葉は正確にはこう続く。───お兄さんがお前にいればよかったかしら。お前は本当に馬鹿だからねぇ。
 ケイは千人に一人程度の合格者しか出ない学院の入学試験を実質首席で通過し、苦手だった運動科目がやっと必須科目から消えた後は全く危なげなく首席を守り通している。一度もそこから落ちたことはない……のだ、が。
 エルシアンは軽く声を上げて笑っている。

「ああ、確かにお前って馬鹿かも……」
 ケイはわざとらしく唇をゆがめ、それから自分も苦笑になった。成績が良いのと要領が良いのは全く違う話なのだった。同じ学院の寮生であるイ・ハイフォンなどは「お前たち足して二で割ったら出世頭かもな」と言う。エルシアンも成績は悪くはない。法律学に関しては時折はっとするような解釈の鋭さを見せることもある。
 だがエルシアンの特色は成績が云々ではなくて人好きのする性質、誰からも素直に愛されてすんなりと人の和の中心に入り行く明るい気性だ。要領の良さも手伝って、きっとエルシアンは勤め始めれば自分などよりも早く階段を上がっていくだろう。他人の輪の中にあって自分であることを崩さずに誰からも一目置かれて中心にいるということを、これほど容易く自然にこなすことができる人間を、ケイは他に知らない。
「多分、学者に向いてんだよ」
 エルシアンが慰めなのかそんな言葉を口にしてケイの空になっていたグラスに酒を注いだ。そうかも、とケイは答えて軽くグラスを掲げ、僅かに酒を舐めた。エルシアンにまともにつき合っていたら明日はきっと一日苦しむに決まっている。
「卒業したら研究院に残ろうかな……」
 ケイは呟く。学者として学問を研鑚するための機関が研究院と呼ばれているが、実質学者に弟子入りするのと同じだ。人に教えるのが嫌いではない。

「そうしたらいいよ。お前、絶対向いてるよ。多分ねえ、どっかに就職したらあっという間に便利屋になって朝から晩までこき使われそうだし」
 ひどい言われようだと思う反面その通りになるだろうという予感もある。それに配慮してくれる良い主人に巡り会わなければ過労死するかもしれない。
「エルスはどうすんだよ、卒業したら。王都へ帰るのか?」
 順当に行けば後一年半ほどで二人とも卒業することになりそうだった。お互いに落第を喫するような成績ではない。エルシアンの返答は、一瞬遅れた。
「……俺は……そうだな、研究院に残るか……」
 それは意外な言葉であった。残るとするなら法律学を修めるだろうが、彼がそれほど学問に情熱を傾けようと思っていないのは明らかに思われたのだ。
 ケイが不思議そうな顔をしているのに気付いたのかエルシアンは頬で軽く笑って酒を含んだが、その視線はどこか遠い。星を透過して更にどこにもない場所を見ているようだった。王都に帰らないのだろうかとケイは思い、それから彼の身の事情について実は何も知らないことに気付いた。
 今までまるで考えたこともなかったが、エルシアンの口から親兄弟の話を聞いたことがない。天涯孤独と言うには彼には金銭の余裕があった。時折ぎょっとするほどの大金を持っていることがある。

「王都には帰らないのか」
 ケイは言った。エルシアンは僅かに迷うような時間をおいてから曖昧に頷いた。
「あっちへ行っても特に何かがあるわけじゃないからな。……別に、どこに行ったって同じだし……」
 最後の言葉が何を意味するか分からなくてケイは首をかしげる。将来の軌跡が既に見えているような言葉だが、研究院に残るということは学者になるということで、それはラストレアに定住するということと同じことだ。
 けれどそれにはきっとエルシアンの語らない家庭の事情が深く絡んでいるのだという思いがそれ以上を聞くのを止めさせた。話したくないのか、話せるものではないのか。
 どちらでも同じだ。自分たちが今並んで群れ瞬く星の下にいることに、一片の関連もない。関係ないとまっすぐに言えることが、自分にも彼にも大切なことだという確信だけで良かった。

 エルシアンが不意に酒を飲み干した。酒精の香りがふわりと空中を一瞬舞った。
「俺の家族のこと聞きたいんだろう? そんな顔してる、ケイ」
 僅かに残るからかうような語調にケイは苦笑して話したくないならいいよ、と言った。無理に聞くことでも、知らなければならないことでもなかったからだ。エルシアンは小さく笑った。嬉しそうな顔をするとケイは思った。
「いいよ、ケイ。俺は……お前になら話してもいいような気もするんだ───誰にも、絶対、言わない?」
 何だよ、とケイはエルシアンの肩を小突く。
「勿体ぶってさ。重大な秘密?」
「そう、重大な秘密……」
 エルシアンは笑いながらケイの目を覗き込んでくる。そこにあったのが意外に真剣な光であったのに気付いてケイは背筋を伸ばし、厳粛めいて頷いた。エルシアンはゆるく首を俯けながら何かを考えていたが、やがて顔を上げた。

「家族か……」
 呟きに籠った万感に、ケイはやはり聞いてはならないことなのだろうかという、一種の罪悪感を覚える。遮ろうかと迷っていると、こつんと額を弾かれた。エルシアンは笑っていた。その笑顔の安息にケイはようやく救われるような気持ちになることができた。
 エルシアンは暫く黙って何か考えていたが、やがて困ったように笑ってケイを見た。
「何から話していいのか分からないや……」
 ふうん、とケイは頷く。けれど「秘密」にしておくなら何を聞いても今は許されるのだという了解を既に得ているから、自分から聞いてやるのが多分エルシアンには楽なことだろうと結論をつけた。確かに自分から話す取りかかりの部分が自分で見つけられないことはあるだろうから。

「じゃあ……家族構成から」
 何だか見合いの釣り書きを書いているようだとケイは思った。エルシアンも同じことを思ったようで小さく声を上げて見合いじゃないんだからさ、と笑っている。それがひとしきり落ち着いた頃、エルシアンは眉を寄せて宙を睨んだ。
「えーと……兄が12人、姉が9人、弟が18人で妹が14人……だったかな。父親はとりあえず元気」
「……は?」
 言っていることが分からない。いや、分かりはするのだが理解ができない。
「何、それ」
「だって事実だから仕方ないじゃないか」
 エルシアンはふて腐れたような表情になった。ケイは首をかしげる。それから母親について彼が触れなかったことに気付いてお母さんは、と聞いた。エルシアンが肩をすくめた。

「人だから必ずいるんだろうけど、誰だか分からないから。俺、母親知らないんだよ」
 悪いことを聞いてしまったとケイは思わず口を押さえるが、エルシアンの方は案外平坦な表情だった。
「いいって、そんな顔しなくても。物心ついた時からいないのが当たり前だったから、心の傷だとか言い張る気もないし……気にするなって。母親に実際、会いたいかどうかも良く分からないんだ」
 だがその横顔は十分に寂しそうだとケイは思う。夏の休暇中王都にも帰る素振りがなく、どこかへ行くような気配もなかったから良ければとケイは帰省に誘った。どこにも帰る巣がないというのならそれは確かに辛いことに思われたからだ。家族のことは気にならないでもなかったが、エルシアンが帰らないと決めているなら無理に聞き出すことだとも思えなかったから聞かなかった。
 いいんだ、とエルシアンが言った。

「育ててくれた人がいるからいいんだ。本当にそれはいいんだよ。なぁ、ケイ。育ててくれた人が昔、俺に言ったことはさ、人が生まれたときのことを覚えていないのはそれが大して重要ではないからだ、ってことなんだよ。それに、父上は一応俺が息子だってことを認めてるんだから問題ないさ」
 父上という呼び方がするりと彼の口から出てきたことでケイはある程度の納得をする。元々エルシアンの仕種や雰囲気から貴族なのだろうとは思っていた。それが王都から離れた北の城塞で寮暮しであるから家庭の事情という奴なのだろう、総括するなら。
 ああ、とケイは不意に自分の中での順位の整理を終えた。なるほど、こう聞けばいいのだ。

「お父さんって何してる人?」
 家名などは伏せておくつもりがあればそうすればいいし、話してくれる気があるならエルシアンが判断すればいい。多分、ここからが一番分かりやすいだろう。 エルシアンは短く口笛を吹いた。
「いい質問だな、ケイ。それはかなり当たりだぞ」
「だってさ、お母さんが分からないのにお前って結構いい暮らししてそうだもの。それに……その兄弟の数が本当だったらちょっとすごい」
 それだけ子福であるのも中々聞かないが、養っていけるだけの財力も相当のものだ。それに、まさか全員が一人の腹から生まれていることはないだろう。ざっと考えても十人以上の妾がいるということになる。まぁね、とエルシアンは頷いて言った。

「父上は、一応国王やってる」
「……こく、お……」
 復誦しかけてケイは言葉を止めた。
 沈黙。そして。
「ここここ国王ぉ──いてぇ!」
 思い切り舌を噛んだ絶叫を、エルシアンの手が素早く塞いだ。ケイはごくりと息をのんだ。エルシアンがケイの唇から手を放し、静かにというように手振りをした。ケイはこくんと反射で頷き、それから深く呼吸をした。肺に呼気が満たされて鋭く痛むほどに、心臓が大きく速く鳴っているのが分かった。
「じゃあ、それってことは、つまり……」
「父が国王なら俺は王子だな。父上にとっては十三人目の息子だよ」
 第十三王子。ケイは生唾を飲み込んだ。何を言っていいのかわからなかった。