群れ瞬く星の下にて君を想う3

 黙って飲み明かす夜は、静かだった。
月明かりが降り注いでいる平穏な夜を、これから自分が幾つ持てるのだろうかと思うと、ケイはゆるやかに笑みになる。彼の隠していた事実も、全部を受け入れていこうと覚悟が定まると後は呆気ないほど簡単に自分の心は屈伏した。
エルシアンはケイにしがみついていた体を既に放し、いつもの早さであっという間に酒の瓶の水平線を下げていく。王宮の話をケイは聞きたかったが、エルシアンはあまり乗り気せずに生返事ばかりだったから諦めてしまった。そのうち、また聞く機会もあるだろうから。

 その代わり、ケイは学院生活の話をした。共通の友人、共通の授業、そんな他愛ない話ばかりでも確かに自分たちの間には繋がるものがあると信じられた。学院に入学したばかりの頃は乗馬と弓射の時間が苦痛であったというと、エルシアンは軽やかな声を立てて笑った。弓の的中と点数の最高点を教えてやると、呼吸ができないほど笑っている。
むくれてお前は、と聞くとケイの点のおおよそ三倍だと言った。それは一瞬怒りを忘れて感心するほどの点数だった。
「すごい……じゃんか」
 ケイの驚いたような賛辞にエルシアンは苦笑した。
「近衛に散々鍛えられたからさ、自分の足場がしっかりしてれば何とかね。騎乗してるともう駄目。狩猟会なんか、獲物をとったこともないものな」
「ふぅーん」

 元の身分を告白したことで、エルシアンの口調はかなり無理をしない自然なものへなった。今までもぎこちないと思ったことはないが、彼が慎重に自分の出身に関わることを避けてきたのが分かった。
ケイの前で、繕う必要がなくなったのだ。そう思うと、ケイはふと自分が例えようもなく嬉しそうに笑っていたのに気付いた。何だよ、とエルシアンが仕方なさそうに笑うが、彼の顔に浮いているのも自然な暖かみであって、他のものではなかった。
うるさいなとケイは彼の肩を若干荒く叩く。同じようなことをエルシアンがする。そうやってじゃれあっていると、部屋に戻るための窓が開いてケイの母親が姿を見せた。
「適当に寝なさいよ、ケイ。夏でも夜は冷えるから、ちゃんと毛布を……」
 子供がケイ一人のせいか、特に母親はケイを溺愛と言っていいほど可愛がっている。
世話を焼くのが生き甲斐な部分があって、帰省すると大概周囲をぐるぐる回って学院の話から寮生活の話、新しい彼女ができたかどうか、までを根堀葉堀聞くのだった。

「分かったよ、うるさいなぁ」
 ケイはいささかうんざりしながら適当にあしらう。決して嫌いだとは思わないが、やはり多少の反抗心は彼にもあるのだった。母親はまぁ、と声を上げた。
「親に向かってうるさいって何ですか、本当に」
 延々と説教に転じそうで、ケイは分かったよ、と大きな声を出した。母親は更に不機嫌にまあ、と繰り返した。
エルシアンが苦笑しながらケイの肩を小突いた。さっさと謝れと言われているのが分かって、ケイは溜息になる。結局親と自分を繋ぐものは切れないのだ。
「ごめんって。適当に切り上げるから、母さんももう休んでよ」
 明日は仕入れでしょう、とケイはそちらへ意識を誘導する。仕入れの日は父親が朝早く家を出るために、母親もまた起床が早かった。適当に母親を追い払ってケイはふう、という溜息をついた。
「ごめんな、うるさくって……」
 ケイは照れ臭いのもあいまって、尚更顔をしかめて見せた。エルシアンは曖昧に笑った。

「いいじゃないか。俺、お前の家族って本当に家族なんだなって思うよ……」
 意味することがよく分からなくてケイは首をかしげる。暫くの沈黙を経て、やっとその内容が分かった。ケイは俯いた。神経の無いことを言ったような気がしてならなかった。
エルシアンの母親は行方が知れず、そして父親は──父親が誰であるのかをケイはとりあえず無視することにした──エルシアンを認知したまま放任したのだ。それを今、彼の口から聞いたばかりだった。
はじかれもの、と彼が自分で言ったその自嘲を、幽かに残る曖昧な痛みを、まるで分からないといってしまうほどケイは嘘が巧くなかった。

 ケイが黙っていることで、エルシアンはケイが何を思っているのかを知ったようだった。よせよ、と苦く、そして甘く笑った。彼の中では既に整理はついているのだろう。欲することも望むことも既にしなくなったことだけが事実で、それをケイは酷く悲しいことだと思った。
「いいんだ、父上のことは……俺はあの人にとって多分、要らない子供なんだよ。でもさ、それでも今まで、ずっと王宮で暮らさせてくれたし、学校も行かせてくれたし……」
 エルシアンの声は次第に低く、呟くようになっていった。彼が必死で父親が自分を気に掛けてくれた証拠を探しているのをケイは分かった。
ケイは隣で膝を抱えるようにうずくまったエルシアンの肩を抱いた。触れ合うのが怖かったとエルシアンは言った。その怖さが何故かは知らないが、それでも体温を透かして自分が彼を本当に想い、想い続けるだろうということを教えてやりたかった。

「要らない子供なんていない」
 ケイは幽かに震えているエルシアンの体を支えるように、強くしっかりした声を出した。
「陛下はきっと、お前が好きだよ。とても好きだよ。だからお前の望みを聞いてくれたじゃないか。認知だってしてくれたじゃないか。お前をとても好きで、好きだから……だから、厳しいんだよ」
「うん……そう、かな……」
 エルシアンの返答はケイの言葉を信じた確信ではなかった。迷っているのが分かった。彼もまた、ケイの言葉を闇雲に信じたいのだ。
 けれど過去の蓄積が素直に頷かせないほどに彼の心を固めている。ケイはエルシアンの肩を揺すった。
「そうだよ。俺が保証するよ。なぁ、お前を嫌いな奴なんかいないよ。そんな奴いる訳ないよ。お前はいつでもそういう奴だよ。そこにいるだけで、誰でもみんなお前が好きだよ……」
 エルシアンは泣きそうな顔で笑い、それから顔を隠すように片手で額を押さえた。
 ゆっくりその体がケイにもたれかかってくるのを、ケイは抱きとめてやる。エルシアンの体はほんの僅かに震えているようだった。何かを耐えるように。
「ごめん、……──」
 エルシアンが呟いた。
「俺、今、ちょっと酔ってるかも……」
「うん……」
 ケイは自分の声もまた、エルシアンの波長と同じように震えているのに気付いた。
 それを彼に気付かれないように、ケイは星を見上げた。星の空は蒼く、柔らかな闇だった。ゆったりと自分の肩で呼吸するエルシアンの体は温かく、その体に血潮の波があることをケイは今、ひどく愛しく思った。
「いいんだ」
 ケイは落ち着かせるように彼の背中を撫でてやりながら呟いた。

「いいんだ、エルス。酔ったときくらい、愚痴くらい、言えよ……」
 伏せた顔の下でエルシアンが呼吸だけで笑った気配がした。ケイがそれを受け止めてやりながら再び空を見上げたとき、視界の中で流星が逝くのが見えた。それを教えてやろうと、ケイはエルシアンの背を軽く叩いた。