群れ瞬く星の下にて君を想う4

 ……夏の夜空に、星は少なかった。地上の明かりがあれば天空の光は弱く、屑星の名の下に淘汰されて闇へ紛れてしまう。ケイはそれを見上げながらゆっくりと溜息をついた。
 いつだか、こんな星を彼と眺めたことがあった。あれはもう、……二年以上前のことだろうか。尾をひいた流星の瞬きが一瞬、ほんの僅かな内に過去へと連れていってくれた。ケイは目を細める。
 今更これを思い出してどうしようというのだろう。追憶は暖かではあったが、それを受け取るときにそれが持つ温みで火傷をしそうなほどに痛かった。
 エルシアン。お前、どうして俺を……切り捨てようとするんだ。

 彼からの栄達など欲しくない。王都に来て、王太子の秘書として働き始めて分かる。エルシアンに確かに出世の道はなく、父王には無視されており、権勢や栄光から全く遠いところにいるのだということが。エルシアンからもたらされるものは驚くほど少ないだろう。
 それに、ケイの主人である王太子がケイを買ってくれており、恐らくは地方の領主か名誉職程度の官職を歴任して生涯を終えるだろうエルシアンよりも、ケイのほうが深く国政に関わることができる。だから、身分など関係ないとお前が言ってくれたことが尚更、今、嬉しいはずなのに。

 深く溜息をついたとき、背後からケイを呼ぶ声がした。ケイは振り返り、軽く手を挙げて見せた。
「ごめんね、本当にごめん。許されて?」
 見上げてくる視線にケイはゆるく笑う。多少待ったのは事実だったが、ぼんやりしていた時間もまた、貴重であった。……彼のことを、思い出していたから。
「いいんだ、コーニー。少し、考え事してたから」
 恋人の額に軽くキスをして、ケイは笑ってみせた。そう、とコーネリアは不思議に笑ってどうしたの、とケイの頬をつまんだ。
 柔らかな痛みにケイはぬるくやるせない気持ちになった。愛しい女がいて、仕事は充実している。給料もいいし、同僚ともうまくやっている。何が不満なんだ、俺は。

 その答えはもう分かっている。 エルシアンが何故か自分を弾き、自分には会いたくないと言い、自傷を繰り返しながらのたうっているのを、今、傍観しているからだ。
 手を差し伸べようとするのを叩き返された怒り、けれどそれを理由に傍観して彼から遠ざかろうとしている気がする自分、そんなものへの苛立ち。
 そして、知ってしまった秘密。たくさんの、秘密と……そのしがらみの。ケイは知らず顔を強張らせていたようだった。ケイ、と言うコーネリアの静かな声はひどく優しかった。
「どうしたの、ケイ。怖い顔をしてる……」
「いや。ちょっと、昔のことを思い出してて……」
 ラストレアの、あの楽しかった日々。故郷の村から見上げた群星の瞬き。

「エルシアン……殿下、知っている?」
 いいえ、とコーネリアは首を振った。彼女もまた王族の秘書として勤めているが、何しろ王族は数が多い。特に現国王の子息は男女合わせて五十人以上になる。エルシアンは特に後ろ楯を持たずにひっそりとした存在であった。
「ああ、あの人? なんかちょっと……あの……」
 コーネリアが口ごもったことで、ケイは頷いた。噂は流れているのだろう。
 ───エルシアンはおかしい。何かに潰されるように歪み、調子を崩し、自殺なのかそれを糧に同情を得たいのか、ずっと自傷行為を繰り返している。鬱に沈んだり、ひどく明るかったり、そんなことの繰り返しだ。乱調というにはひどく、そしてそうでなければどんなにか楽だろうにと思わずにいられないほど、冷静で現実をしっかり見ているときがある。
「そう、エルシアン殿下。学生の時の……友人、だったんだ……」
 だった、と過去形で語ったことに、ケイは一瞬後に気付いた。エルシアンのことを諦めたいことはなかったが、彼ははっきりもう会わないと言った。
 何故。ケイは星を見上げる。あの夜見上げたときよりも、遥かに少ない王都の星を。
 流星がまた尾を引いた。それが合図だったようにケイは深く呼吸をしてコーネリアの肩を抱いた。
 唇を重ねると彼女が自分にぴたりと体を合わせてきたのが分かった。それもまた愛しかった。離れた唇をなごり惜しくキスでつまんでいると、コーネリアはケイの頬を両手で挟んで目を合わせた。

「傷ついたら駄目よ」
 コーネリアがケイの目を覗き、強い光を与えながら静かに言った。
「ね、沢山の人と出会ったら、沢山の人と別れるのよ。殿下と今は疎遠でも、思い出せるものがあるって言うのは幸福よ。その幸福をずっとずっと大切にしていけばいいのよ……」
「そう、だね」
 優しい声になったことをケイは自覚する。コーネリアを促してケイは待ち合わせていた公園から歩き出す。つい先週に結婚を申し込み、彼女から承諾の返事を得ていた。
「次の休暇には俺の実家へおいで。両親に引き合わせるから」
 そんなことをいうと、コーネリアは緊張するわねと笑って頷いた。ケイはそれに微笑み返しながら、故郷の夜空を思い、エルシアンのことを想った。
 群れて瞬く星の下で君を思うことを、いつか幸福の記憶にできればいいと、考えながら。

《群れ瞬く星の下にて君を想う 了》