例えばそれも愛だとすれば2

 サファ将軍が戻ってきてから4日目にイ将軍が最北の前線ラストレアから一時休暇ということで帝都に姿を見せた。
 サファ将軍が好みだという言葉に照らしたとおり、イ将軍は見上げるほど上背があって、きりりとした雰囲気と甘さのない凛とした顔立ちの、男性としては実に正統派の、役者みたいな美形だ。
 対比して美形だというならやっぱりリュード護衛官長で、こちらはイ将軍とはほぼ正反対の華奢な体つきと匂い立つように甘い、華やかで気品ある顔立ちに洗練された立ち居振る舞いが混ざり合って独特の雰囲気を放っている。
 女性に人気があるのはリュード官長なのだけど、彼は派手な火遊びが好きらしくてそんな噂が絶えない。本人はというとにやにや笑っていて否定するでもないから、多分大体本当なのだろう。

 そんなことを僕が考えているのは執務室に陛下と、イ将軍と、護衛担当としてのリュード官長が揃っているからかも知れない。年末の処理でケイ参議官はゆっくり雑談している暇などないが、多分顔は出すだろう。未裁書類をたらふく抱えて。
 僕がお茶を出すとイ将軍は座ったままで僕に目線を流して軽く頷いた。
 僕は何となく、この人が怖い。身に付いている空気が厳しいこともあるのだろうけど、何よりも、兄が彼の身内にした行為のことを、まだ許されている気はしないのだ。
 陛下が兄に戦力を与えて南部へ出したのも兄とイ将軍との間にある、どうしても消化しきれないわだかまりを配慮して下さったからなのだろう。

「ガーン、帝都にはいつまで」
 陛下がそう切り出すと、ふっとイ将軍の気配が僕から逸れて柔らかに変化した。イ将軍は陛下の忠実な家臣……の枠を越えてしまいそうなほど、陛下に惚れ込んでいる。夢中という表現がこの際適正かどうかはさておき、大体目つきが違う。最愛の恋人とか息子とか弟とか、被保護者に向けるための許容の塊みたいだ。
 陛下もリュード官長やケイ参議官となさるような下世話な雑談を殆どしない。甘えているし甘やかしているとサファ将軍は面白くなさそうだったけれど、イ将軍は陛下にとって──喩えが適切かどうか微妙だけど──父親か、少し年の離れた頼りがいのある兄ぐらいの位置にいると思うのだ。

 陛下とイ将軍がお話に入ってしまうと、僕は呼び鈴だけを残して退出した。本当は護衛とか公正とか、そんなことを加味して誰かが残っていなくてはいけないのだけど、イ将軍が陛下をどうこうなさるということは太陽が西から昇ってもないと断言できる。
 その点はリュード官長も同じ考えだったらしく、僕が退出するのに合わせてその場をひいた。
「ま、久しぶりだから好きなだけベタベタすりゃあいいさ」
 官長はそんな風に肩をすくめている。

 久しぶりと官長が言うのも当然で、イ将軍はほぼ1年近くラストレアで反乱軍やら他国の軍やらと対峙してきた。それはもうほとんど後の事務処理を残すだけだから、大まかな報告と共に今後の正式な立場というやつを追認しようということで今回は新年に帰投となったらしい。
「本当に仲がおよろしいんですよね、陛下とイ将軍って」
 僕はそんなことを呟き返しながら官長と同じように肩をすくめた。妬やける、というのとは少し違うのだけど、あのお2人が仲がよいことにちょっとだけ寂しさを感じるのは僕がまだイ将軍を怖がっているせいだろうか。
 陛下の方は全くそんなことがないのだけど、将軍の方は雰囲気が厳しくて、とても気安く寄っていけるような人ではないのだ。兄のことも僕の気を重くしているのは確かだし、イ将軍が陛下のお側にいると僕は安易に近寄っていけないからかもしれない。
 僕の思考が聞こえていたようにリュードが官長がふん、と鼻を鳴らした。
「エルシの奴は元々、少し年上の同性に弱いんだよ。子供の頃から知ってるけど、イ・ターレンに対する態度ってやつはまさしくアスファーンへのそれがすり替わっただけだからな……おんなじ懐き方しやがる」
 それが面白くないのだろうか、リュード官長は大きく溜息をついた。

 アスファーンというのが勿論誰であるか僕は知っている。陛下の仇敵で異母兄にあたる人だ。僕はまるきり会ったことがないのだが、陛下の周辺の方々は殆ど旧王国の重鎮だったり王国の官吏だったりで、アスファーンを知っているらしい。ケイ参議官は昔、アスファーンの筆頭秘書だったとも聞いている。
 何にしろ、良く知らない人と良く知らない期間の話は僕には出来ない。僕が黙り込んだ理由を官長は何と思ったのだろう、お前さあ、と僕の背を叩いた。
「アスファーンのことは何であれエルシには聞くなよ。藪蛇ってもんだからな」
 はい、と僕は素直に頷く。官長は陛下と子供の頃からのお付き合いがあるから、僕の知らないことを沢山知っているのだろう。僕の返答に満足そうに官長が笑っていると、内国府の従僕が廊下の向こうから来るのが見えた。
 その手にあるのは……例の人気投票の回覧だ。ばっちり、官長の名前も載っている。

 慌てて駆け寄ろうとしたとき、僕は思いきり転んでしまった。僕の反応を見て何かあると踏んだ官長が、僕の足を引っかけたのだ。従僕から回覧を取り上げてざっと目を通し、官長はふうん、と鼻を鳴らして笑った。こんな時の官長は『筆舌に尽くしがたいほど』底意地の悪い顔をする。
「面白そうな企画だな、ソール君?」
「返して下さい……よぅ……」
 僕は手を伸ばすが、さっと官長は腕を振り上げてしまう。僕は官長の周囲をぴょんぴょんウサギみたいに跳ね回って、結局『イ・ターレンにも見せちゃおうかな』などというこてこてな脅しに屈してしまった。
(リューはゆすりと脅迫は世界一)
 そんな陛下のお言葉が脳裏を駆けめぐっている。
 官長は窓際で後れ毛を書き上げながら回覧をじっくり吟味している。僕は叱られた子供のように、馬鹿みたいにその前に突っ立って、官長のお言葉を待っている。

「趣旨は分かった、趣旨は」
 そんなことを言って官長は不機嫌そうに笑った。
「だが俺の方がイダルガーンのおっさんよりも票が少ないことは納得行かない。俺はどんな下らない勝負にも全力を尽くすことにしててね──おい、ペン持ってこい」
 気に入らないとなればイ・ターレンという敬称から単におっさんに変わるらしい。大人しく言いつけに従って秘書官室からペンとインクを持ってくると、官長はおもむろに自分の得票の箇所に出鱈目な署名をもの凄い勢いで書き始めた。
 折角の回覧があっという間に水の泡になってしまうのを僕は切なく見つめる。官長は満足そうに笑うと僕にそれを返してくれたが、多分、この企画はもう使えないだろう。

「下らないことすんな、エルシの奴の素行不良なことは俺が一番良く知ってる」
 官長の間違いじゃないんですか、とうっかり聞き返すところだった。僕はごくんとそれを飲み込んで溜息になったが、僕の表情で官長は大体を分かってしまったらしかった。
 勘のいい人ではあるのだけど、こういうときは呪いたくなる。
「イダルガーンのおっさんよりも俺の方がずっとつきあいが長い。あいつの馬鹿さ加減に本当に良く付き合ってやってる。マルチャの時もアネッサの時もハルナの時もラータの時もフェテラの時もミリナもジェリカもナナミもユーラもあのお嬢様だって取り返しただけでぶうぶう文句言いやがって──他にもいたはずだけど名前覚えてねえな」
 ……これは全部女性の名前なのだろうか?

「あの、官長、意味が良く分からないんですが……」
「ああ? 要するにだな、エルシの奴は俺が目を付けた女を横からさらうのが趣味だって話だな。更に要約するならば、お互いの恥部と恥部を握り合った真の友」
「……官長、本当に意味が分かりません」
 リュード官長はにやりと笑った。
「イ・ターレンよりも俺の方が奴から沢山御下賜を頂き光栄至極という意味だよ」
 下賜というのが具体的に何を指すのか良く分からなかったものの、僕にも一つだけ分かることがある。
 ……官長は、ゆすりと脅迫は世界一です。