例えばそれも愛だとすれば3

 官長が滅茶苦茶にしてくれたお陰で投票は一時中断したが、ようやく再開した。サファ将軍の目が怖いからだ。
 官長から取り戻した回覧は、官長が書き連ねた署名を同じ筆跡を頼りに消してみると結構面白いことになっていたのが分かった。
 イ将軍が確かに多い。そしてリュード官長もご自分では不満だったのだろうが、イ将軍とあまり変わらないくらいに票がある。
 ……そしてケイ参議官は1票。サファ将軍のそれだけである。

 無理もないかも知れない。ケイ参議官は陛下のことを御存知というよりは、陛下がケイ参議官のことをよく御存知といった感じなのだ。そうでなければあんなにはならないよというのが大抵の意見で、僕も実はそれに賛成である。
 ケイ参議官は……兄が生活能力欠落者であるとするなら、ケイ参議官は生活と仕事の均衡を測る能力が欠落している人だ。あんなに真面目で熱心で、しかもそれをいいように利用されている人を僕は他に見たことがない。
 陛下も本当によくケイ参議官の性質を御存知で、例えば新しい法案だとか内政の方向や方策を探るときに適当に法律上の問題点だとかを指摘して、ケイ参議官に相談なさる。で、ケイ参議官の方はその問題点だけでなく解釈だとか立案だとかまでを回答として準備するのだ。
 それをせずにはいられない完全主義者なのだろう、可哀相になるほど。

 年末の押し迫ったときだからこそ、忙しい副官たちや侍従たちの間でこの回覧は好評だった。みんな息抜きが欲しいのだ。それにサファ将軍の言った通り、外野はこれを肴に一杯飲めるということらしい。
 新年会で投票を締め切るということにして、僕はそれを積極的に集めて回った。締めきりに迫れば迫るほど、イ将軍が順調に得票を伸ばしていくのは壮観だった。これもまあ、当然かも知れない。何しろ陛下がイ将軍に夢中だ。いわゆる、朝から晩までご一緒というやつ。
 官長はだからあまり機嫌が良くない。この回覧のことも気になっているらしく、時折見せろとうるさく言ってくる。けど、大体は色んな部署を回遊中で手元にないから僕はそれだけ告げて安穏とした年末を迎えている。

「だいたいそんなに一緒にいたけりゃ奴を呼び戻して俺をラストレアへやればいいんだ」
 そんなことまで呟いている。官長のぼやきに陛下は……ご機嫌に笑ってそうしようか、などと助長する始末だ。
 どこで耳に入ったのか回覧はイ将軍もご覧になったようで、あまり陛下のお耳に入れることではないなと言いながら、官長とは対照的に将軍はご機嫌だ。多分自分の方が票が多いからだろう。
 官長の方が多かったら、ラストレア戦線が一段落ついたので帝都に戻りたいとか言い出すに決まっている……とは、サファ将軍の意見だけど。

 でもイ将軍がご機嫌がよろしいことは、僕には良く作用した。将軍が良く陛下となさっている白黒の石を並べる良く分からない遊び──碁、とか言っていたような──を教えて下さるのだ。
「陛下のお相手につとまるなら、それもよいだろう」
 ふっと和んだ目元が意外に優しくて、こんな風に僕に笑って下さるのは初めてだったし、僕は本当にほっとしたのだった。

 大祓礼といわれる一年の災厄を纏めて浄化するとかいう宗教行事を終えて、あとは新年の夜会を待つだけの夜、ようやく回覧は僕の手元に戻ってきた。
 途中からそんな予感はしていたものの、イ将軍が圧勝。年末あれだけ陛下がお手元にお呼びになったのだから僕はこの結果には驚かない。
 ちなみにケイ参議官には例によってサファ将軍の1票しか入っていないのも仕方ない。何故ならこの年末、参議官は殆ど執務室に籠もりきりで、まだ12月の日が浅い頃にはご自分で書類をお持ちになって陛下に説明をなさっていたのだけど、それが次第に来なくなり、書類にそえられたメモが増え、メモの字がだんだんよろけていくのを見ると大体どんな状態かは分かる。
 イ将軍やサファ将軍が戻られて連日華やかに催されている夜会にも、祭礼や儀式に関する閣議にも殆どケイ参議官は顔を出さなかった。事実としては出せなかった方だとは思うけど。
 元からそう強烈に主張する方でなかったのと合わせてどんどん存在感が薄くなっていったのは、事の必然という奴かも知れなかった。

 戻ってきた回覧をサファ将軍にお目にかけようと僕は夜の回廊を歩いた。
 新年の会は夜明けと同時の陛下のお言葉から始まる。やや早めに退ける宴席を設けて置いて、新年会に出席なさる方はそのまま王城に泊まり込むのが普通だそうだ。先程陛下の方は精進潔斎のための特別礼拝に入られたから、しばらくは僕たちは自由な時間である

 サファ将軍は待合室で他の方々と歓談中だった。ケイ参議官のお姿もあるが、参議官は一人掛けの椅子の上でうとうとしている。お久しぶりに姿を拝見した気がするが、思ったよりは顔色も良かった。
 イ将軍が僕に気付いて手招きして下さる。以前よりは苦手意識も楽になって、僕はそちらへ歩いた。
「例の、結果が出ているだろう?」
 当然のように手を差し出されて、僕は頷いて回覧を差し出した。イ将軍が第1位なのだから見せても構わないと思ったのだ。
 将軍はやっぱり機嫌良く頷き、それからケイに入らないのはおかしいんだがね、と呟いた。全員の意見である「ケイ参議官のことを陛下がよく御存知」を披露すると将軍は少し笑ってから曖昧に頷いた。
「ケイは目立たないが物事の核は心得ている。……リュード殿は陛下のよきご友人だが、ケイは加えて為政の相談者でもあられるのだがな」

 イ将軍はそんな事を仰有って、共用に置かれていたペンでケイ参議官の所にご自分のお名前を書いた。将軍はケイ参議官がお好きなのだろう。
 お前は、とペンを渡されて僕は少し考える。実は僕の名前はまだどこにも書いていない。何ていうのか、イ将軍もリュード官長も甲乙つけがたいというか、迷うところなのだ。イ将軍のご意見に反対する訳じゃないけど、僕もケイ参議官に関してはみんなの言うことが大体あたっていると思う。僕が考え込んでいると、後ろからいきなり負荷がかかった。
「ソール君は、勿論、俺だよな」
 官長、と僕は慌てて回覧を後ろ手にするが官長はさっと取り上げて一瞥し、不機嫌そうに笑った。
「不公平だな。大体この『一番よく知っている』とかいう基準が曖昧なんだよ」
 自分が勝っていたら言うことは違うんだろう。
「まあこんなものは遊びですから」
 イ将軍はなだらかに対応しているが、多分、こっちも負けていたら違うんだろうな……

 僕は黙って退散しようとする。この場で投票するととんでもない目に遭いそうだった。リュード官長の味方をすれば囲碁教室はお流れで、イ将軍の味方をすれば新年が明けて通常の執務に戻った頃から官長は僕をねちねち苛めるに違いない。
 その両方とも容易く想像できるから、僕は目立たないようにそうっとお二人の間から抜けようとした──が、こういうことは官長は勘がいい。本当に呪いたくなるほど。
「おい、どこ行くんだよ。お前の投票が終わってないぞ」
 襟首を掴まれて僕はあの、と言った。
「そろそろ礼拝が終わるから、お迎えにいかなくちゃいけませんので」
「じゃあ名前書いてから行けよ。それくらいの時間はあるだろ」
 官長の目が『絶対逃がさないからな』と訴えている。イ将軍の方はやっぱり余裕のままで笑っているが、この笑みもちょっと怖い。勿論自分に投票するんだろうと言われているようだ。
 ここは間を取ってケイ参議官しかないのかもしれない。
 僕はペンを握ったままお二人の顔をちらちらと窺う。官長も将軍も、言い出したら退かない人なんだよな……

「何、それ」
 後ろから声が掛かったのはその時のことだった。僕はびっくりして回覧を取り落とした。眠っていたのだと思ったケイ参議官がまだ目をこすりながらだけどそれを拾い、ざっと視線を流していく。大体読み終わったのだろう、参議官は小さく笑って僕の手からペンを取り、
「これじゃあんまり自分が可哀相だ、こんなに働いてるのに」
といいながら自分の名前を自分の欄に書き込んだ。
「……秘書とかが何かこそこそ話しているとは思ったけど、これだったんだな。……あれ、何だよ、エルスに聞いてないじゃないか。本人に聞かないでどうするんだよ」
 ケイ参議官はそんなことを言い、なあ、と他の2人に同意を求めた。リュード官長とイ将軍が首を振るのは殆ど同時だった。

「あいつは絶対誰にも投票しないね。賭けてもいいぜ。みんな信頼してるとか大好きだとか、そんな感じでお茶を濁すね、絶対」
「その点、同意見ですな」
 ケイ参議官は軽く頷き、そして笑った。
「じゃあいいよ、賭けようか。2人は誰にも投票しないってことでいいんだな。――俺は奴は『足りない』と言うと思うね」
「足りない?」
 僕は参議官を見つめた。そう、参議官は悪戯っぽく笑い、僕の肩を叩いた。
「そう言うわけで、そろそろ時間だとも思うし、連れておいで」
 言われて僕は初めて陛下をそろそろお迎えに行かなくてはいけないのだと思い出し、失礼しますとお3方に一礼して礼拝所に急いだ。