金魚鉢

 精神インナーに、眼帯のイケメンを飼っている。

 これがいつから私の脳内にいるのかはよく分からない。いつ出会ったのかはわかる──去年二〇一五年一月十八日、記念すべき出会いの日。但しこやつがいつから脳内に棲みだしたのかの日付は分からない。気付いたらそこにいて、眼帯のイケメンを扱うピクシブ内のイラストや小説にひたすらブクマを付けている私を後ろから覗き込みながら「僕が受ばっかりなんだね」と呆れたように溜息をついていた。
「だって、仕方ないじゃん」
 振り返って私がふてくされると、あやつは苦笑する。せっかくだから言い訳させていただくと、世の中に沢山の人が在り、それぞれの価値観とフィルタを持ち、それらを透過してお前を見てるのだから人によって考えることが違うのは当たり前で──そして地雷創作発狂スイッチはなくてもやんわりと避けたい傾向は私にもあり、避けたいと思うのがどちらかといえば攻側のときが多いんである。
「だってあんたサイコパスとか偏執狂パラノイアとかじゃねーし……人格キャラゆがめられるよりまだ白痴みたく♥飛ばして喘いでるほうが断然赦せる、ていうかむしろそれ可愛い白痴エロ最高」
「それ僕じゃないし」
「誰かの頭ん中のあんただよ。そしてあんたも私の頭の中の解釈キャラだ。だから誰にも見せない。キャラ解釈は本気になったら戦争なんだよ、性癖で殴り合う。そんなのさせたくないからこんなに大切にしてるのに、解釈が違うだなんて、寂しいこと言わないで」
 彼の答えはない。やれやれというように肩をすくめ、「あ、所蔵元のミュージアムトーク」水戸の博物館の公式ブログを指さすのを見ると、告知が出ていた。二〇一五年五月である。
「僕の話をしてくれるつもりがあるんじゃないかな」
 イケメンがそんなことを言う。くっそいい匂いがする。
 ところで内容には私も全面同意する。元々このイケメン(の本体である日本刀)は関東大震災時に焼失したということになっていたのだが、ブームに気付いた所蔵元が「え、うちが持ってますけど、何か?」とポロリしてくださったので、我々ヲタク女子属イケメンクラスタは圧倒的感謝の舞を捧げながらさっそく所蔵元博物館のサイトのサーバーを落とした。すみませんでした。
 募集開始の日付と時間をリマインダーに登録。各回四〇名募集で二回開催、プレイヤーが全国で四〇万を超す頃でキャパの設定が大甘おおあまであるが、先着順というご親切なことも書いてある。時間と同時に申し込まねばとれないが、同時ならば勝機はある。
 当選通知は割合早く来た。はしゃいでいる私にイケメンが「良かったね」と頭ぽんぽんしてくれる。イケメンは常に抜かりない。
 ミュージアムトークの開催は日曜日だったが直前の金曜日に突然「沢山応募してくれてみんなありがと! 興味あると思う日本刀を特別に来てくれるみんなに見せてあげるね!」そう所蔵元が言い出したのでびっくりである。そしてそのとき既にイベントの申込は締切済。エグいな……とはいえ私は当選者である。あまり気にしないことにする。見たい人に見せてやれというのは私の感想で、所蔵元の考えとは違う。これは解釈の話も同じで、自分の中で正しいことと他人の中のそれと、社会通念上のそれが一致するというのは大変に幸福なことなのです。
 だから同人誌書いてると言えなくもない。私の書いてるイケメンのいいところを理解してくれる人がいたら嬉しいし、他の人の書くイケメンのエキスを啜りたい。蟹は何をしても美味いもんだが、だからといって調理法にこだわらないわけでもない。蟹は生が至高と思ってるがそれ以上に上手い蟹があれば是非喰いたいとそう思う。イケメンはまたしても苦笑であるが、小説の細かな表現にはあまり口を挟んでこない。何か言うと三倍言い訳が戻ってくることをよくご存じで、さすがイケメンそつが無い。
 ミュージアムトークの内容はびっしりメモがあるが、要するに
 ・武器としてだけではなく日本人の魂、精神の一柱としての刀
 ・ちょうど異国船が頻繁に目撃されるようになった時期、国防意識の高まりと共に国学にも力を入れるようになり、水戸徳川家では刀剣のリストを作成することにした(武庫刀纂)。
 ・あとは刀のエピソードや来歴をつらつらと。
 大体こんなことを聞いたはず。
 で、その後焼けて真っ黒になった刀とご対面。焼けた日本刀が登場した途端、会場から黄色い悲鳴があがったんですマジです。まぁこの年の正月まで私だって日本刀が日本刀に突っ込む(物理)小説を書いたり読んだりしてそのたびにゴリラになるとは思ってなかったしな……生々流転しょうじょうるてん、美しい。
 帰宅の車の中でイケメン(本体)とツーショット写真を撮らなかったことを後悔しつつ、鼻息は吹きかけてきたとニヤニヤしているとイケメン(インナー)が「表現が生々しくて汚いよね」と溜息をついた。
「うるせえ次の本で輪姦マワすぞ」
 そんなことを言いはするが多分そんなの可哀想すぎて書けない。不憫は萌えだが可哀想なのは嫌なのだ。あと、自分の『小綺麗でそつのない体裁を本能的に保とうとする』小説をどうにか汚したいという欲望をここ数年抱いていて、イケメンもそれは承知しているから反論はない。「どうだった?」さらりと話題を変える。
「焼けててもシュっとして綺麗だったよ」
 そう言ってやるとイケメンが「ふふふ」と吐息で笑う。嬉しそうにしているこれを見ている時、金魚鉢を覗いている気分になる。決して触れられもせず言葉を交わすことも出来ないが、硝子球面の向こうとこちらに確かに何かが存在していて、見ているだけでぼんやりと穏やかな時間を感じるような、そんな気持ち。
「すごく大切にしてもらってて嬉しかった」
 美術品としての価値は焼けたときに失われている。
 そうだね、とイケメンがそれっきり黙り込んで高速を南下する車の窓の向こう側に落ちていく夕日を見る。私も同じものを見る。誰かに大切にしてもらえるというのはとても嬉しいこと、だから、運転中の夫にどの音楽をかけるか聞いてみる。
 ブルハ! といういつもの答えに添いながらイケメンを見ると少しお疲れのようだった。大丈夫? ──ちょっと酔ったかな。
 そうか車に酔うのか、次の本で使おう。
 そんなことをちらと思った途端にイケメンまたしても苦笑。でも仕方ない。硝子鉢の中に誰かを飼って、会話しながら小説を書く、ということをもう遠い高校生の頃くらいから私はしていないのだ。自分で作った箱庭なのに一人遊びのような遊び方しか出来ないのをおかしいとは思わないが、寂しいとは思う。
 今それをイケメンがしてくれていて、戸惑うことも困惑することもあるがとにかく楽しい。楽しいからやれている。
 ありがとねえと囁くとイケメンが鮮やかに笑って背を向ける。彼が何を考えているのかは分からないが、決して触れられない何かの向こう側で、黒いスーツの燕尾がひらりひらり揺れている。
 車は残照の中を東京へ戻っていく。
 夜の闇は東京の灯りに気圧されて、地上に降りないままでいる。

 精神インナーに、眼帯のイケメンを飼っている。
 これは時々寂しげに鳴く。